Ep.1 そこはかとない変態はサラリーマンで覚醒する
2031年 9月20日
――ドッカァァァァァァアン!!!!
鼓膜を震わせる程の爆音。降り注ぐ火の粉。空を舞う人影。
「な、なんなんだよこれぇ…」
目の前、いや、頭の上で起きているこの光景は一体……
男は開いた口を塞ぐこともせず、ただただ目を見張る。
つい数分前までは、代わり映えのない日々を過ごしていた。いつも通りの帰り道。いつも通りの満員電車。いつも通りの駅。
夢と言うには妙にリアルで、現実と言うにはあまりに突飛な光景。
平々凡々な男はこの日、人類の未来に巻き込まれた。
▽
夕刻の大都会。
雑多な街は今日も賑やかで、多くの人が行き交っている。
そんな大勢の中でも際立った目つきの青年、銅 逸実は昨日見た夢のせいか、すれ違う人々の顔を無意識に眺めていた。
「ヒッ」
人混みの中、偶然目が合った学生が小さく息を飲んで視線を逸らす。
細身のわりに背が高く、軽く猫背になった背中。毛先に向かってピンクがかった黒髪。心臓を貫けそうな程鋭い三白眼。
……なんて風貌だからか、銅は意図せずも、今のように誰かをビビらせてしまうことがよくある。
その度に申し訳なくなるも、生まれつきだから仕方ないだろう、と心の中で弁明する。
「おーい、逸実? さっきから人の話聞いてる?」
「……?」
ふいに左腕を小突かれ、反射的に視界の端の橙色に目を向けた。
視界の先、橙色の頭、もとい天利 奏陽は不満げな顔をして銅を見上げていた。
「……あ、わりぃ。ちょっと考え事してたわ」
そう答えながらも呆けた様子の幼馴染みに、パーマがかった髪を揺らし、天利は大袈裟に息を吐いてみせた。
「全くもぉ、すぐにボーッとするんだから。んで、どんな考え事してたの?」
わざとらしく首を傾げてみせた天利をチラッと見て、直ぐに周りの喧騒へと目を戻す。
おかしな所なんてないはずの街中を捉えながら、小さく答える。
「んー、なぁんかいつもと違うなって」
なんの脈絡も主語もない返答。ただ漠然と思ったことを口にしただけの銅。
到底伝わるとは思わなかったが、何故か驚いたというように、天利は大きな目を見開いた。
「ええええ! 気づいてた!? やっぱいつもと違うって気づいてたんだ!? 誰も気づいてないと思ってたから言わなかったけど、さすが幼馴染み。きっと、いや絶対同じこと考えてるよ。幼馴染みテレパシー!」
大きな驚嘆と共に、するすると出てくる言葉達。更にテレパシーと言いながら、謎のポーズを繰り出している。
そんな怒濤の勢いに薄っぺらい上半身を反らし、銅はとりあえず相槌を打ってみせた。
(……うーん、でもこの反応は絶対話噛み合ってないわ)
「おっ、おう」という相槌とは裏腹に、瞬時にそう思ったわけだが、薄緑の瞳を輝かせて話す幼馴染みの姿に、あえて訂正はできなかった。
天利の場合、ここで何を言っても右から左に流れていくだけなのだ。
「テ、テレパシーかは分からねぇけど、長く一緒にいると考えることが似てくんのかもな」
「ほんとそれ。――――いやぁ、新調したこのシャンプー、やっぱ見た感じから違うってわかるだろ」
「…………はぇ?」
予想していたどれをも上回る返答に、一瞬、言葉が詰まる。
(いやいやいや待て! ここはさすがに訂正すべきだよな。シャンプー変えたことに気づく俺、そこはかとなく変態っぽいだろ。つうか、シャンプーって見た目から変わるもんなのか!?)
脳内でグルグルと考える。
ここでツッコんで訂正することは簡単だ。
だがそうなれば、先ほどの”いつもと違う”という言葉の真意を説明しなければならない。
瞬時に思案した結果、銅はそれもそれで面倒だと直ぐには口に出さなかった。
何よりも、シャンプーのことを否定してしまえば、幼馴染みの気分の沈みようは相当なものになるだろう。
小学一年生から知る天利奏陽という人間は、とにかく純粋で明るく、感情豊かな男なのである。
裏を返すと、態度や言葉を間違えてしまえば、見て分かるほどに意気消沈してしまうのだ。
そんな人となりを熟知しているからこそ、言葉は選ばなければいけないのだ。
危うく出かけた言葉を何とか飲み込み、天利の右肩に手を置く。
「……ああ。俺にはよぉーく分かってるぜ。伊達に幼馴染みやってないからな!」
一拍置いた後、銅は清々しいほどの笑顔を向けて親指を立ててみせた。あたかも同じことを考えていましたよ、という風に。
「うんうん。たまには違うやつ使ってみても良いね。シャンプーってあんま冒険するようなものじゃないでしょ? でも思い切って変えてみたんだ。そしたらさ、いつものより手触りが良く…………って、あ!」
饒舌に語り始めた矢先。いきなり大きな声を出し、天利は弾かれたように顔を上げた。
何事かと思って彼の方を見下ろすと、彼は上着やズボンを叩いて、何かを探しているようだった。
「どうした?」
「俺さ、多分学校にスマホ忘れてきちゃった。取りに戻るから、悪いけど先帰ってて。じゃあ!」
早口でそれだけ言った天利は、直ぐに踵を返して人混みへと消えていく。
「ちょっ! ……ったく、相変わらず忙しないやっちゃな」
あまりの素早さに、咄嗟に上げた右手が宙を彷徨う。銅はろくに挨拶も出来ないまま、その右手を静かに下ろした。
はぁ、と軽く息を吐き、気を取り直して一人帰路についた。
駅へ近づくにつれ、余計に人が増えていく。
人々の流れに沿って駅に入ると、タイミング良くホームに電車が滑り込んだ。
九月も終わりだというのに、まだ夏を感じる天気と気温。車内の冷房が気持ちいい。
夏空の夕暮れは明るく時間もあやふやになるが、もうすぐ帰宅ラッシュの時間なのか、電車が止まるたびに息苦しさが強くなる。
ふと窓の外を眺めると、高層ビルが屹立しているのが見えた。
その中でも目を引いたのは、いくつかのビルに設置された巨大モニター。
多くの企業宣伝が流れている中、一際高い位置にあるモニターには、話題の科学技術社の広告が映し出された。
「日本をより良い未来へと変えていく。改革のカーニバル、サイロップメント社」
最近よく耳にする、下手な韻を踏んだフレーズが銅の脳内を占領していく。
ここ数年、日本は科学発展国と言われるようになり、世界でもトップの科学技術を誇っている。
近頃では、科学研究所や医療技術系の会社が注目されているらしい。工学部に進んでいる銅は、あまりそっちの分野に詳しくないが。
『NEXT,神某駅』
アナウンスと共に電車は減速し、いつの間にか銅の乗り換え駅に到着していた。
そこまで大きい駅でもないが、帰宅ラッシュとあって、ホームもたくさんの人で溢れかえっている。
細長い体を駆使し、人と人の間をすり抜けるように改札へ向かったが、足元に目を向けたほんの一瞬、誰かに衝突してしまった。
「あ、すんません」
転ばないよう踏ん張りつつ勢いで謝れば、ぶつかったであろうサラリーマンも、銅の目を見て頭を下げた。
――――その瞬間だった。
脳内をかき乱すような、激しい頭痛が銅を襲う。今まで経験した事のない酷い痛みに、周りの目も気にせずしゃがみ込む。
目を固く閉じても、両手で頭を抑えても、警鐘のようにガンガンと脳を揺らす。
(なんだよこれ!? 痛い痛い痛い痛い痛い!!)
衰えない痛みに、自然と左のこめかみを軽く叩いていた。
いつも咄嗟にやる、痛みが一瞬だけ分散できる動作。小さい頃からおまじないのようにやっていた、気休め程度の行動だ。
今はその一瞬だけでも痛みが和らげばいいと、軽い気持ちでやったのだが。
痛覚は瞬く間になりを潜め、先ほどまでの痛みが嘘のようにスッと消えていく。
驚きつつも閉じていた目を開くと、
――刹那、白い光が弾けたように視界を覆った。
「……あ?」
つい、間の抜けた声を上げて辺りを見回す。
視界の端から端まで。
いくら目を凝らしても、人でごった返していたはずのホームに誰もない。
――ドッカァァァァン!!!!
銅が混乱を極める中、地面をひっくり返すような爆発音が轟く。
見上げた空は真っ青で、灰色がかった赤とのコントラストが鮮明に映し出された。