第31話 今日、『はじめての音』を紡いだ日
ナギさん視点続きます。
「お姉さん、歌わないんですか?」
声をかけてきたのは、ウチよりも歳下のように見える女の子だった。
ニットセーター、スカート、アウターに至るまで白で染まっていて、胸元の星形のアクセサリーがきらりと輝く。アウターのモコモコさで、彼女の可憐さを見事に表現している。
髪色は透明感のあるミルクティーベージュで、女の子らしい女の子という印象を強くする。
きっとクラスやゼミでは人気者、明るい子なんだろうという予測がついた。学生さんかはわからんけど。
そんな子が、こんな寂れた公園で何をしているのか。そもそも、なぜウチに声をかけたんやろ?
「……えっと、なに?」
「いえ、お姉さんが1人で寂しそうだったので、声をかけてみました」
「寂しそうて……そう見えた、かなぁ」
「どうです、当たってます?」
「おまけで半分正解にしたるわ」
寂しそう、かぁ。
そう見えたんやろうか。
夕暮れの公園に1人、缶を手にしてぐったりしている女性……うん、黄昏てんなそれは。
客観的に見て、明らかに何か思う事のある人やん。悩んでる人やん。うわ、つら。
「お姉さん、歌わないんです?」
「それさっきも聞かれたな。歌わんよ」
「えぇー、なんでですか?」
「何でって言われてもなぁ……」
その問いかけへの明瞭な回答など、存在しない。
そういう気分ではないから、緊張してしまうから、落ち込んでいるから、色んな理由を挙げることができたと思う。けれど、なぜかそれも口からは出てこなかった。
女の子の口調は柔らかい。
優しさに満ち溢れた声だというのは、聞いた時にすぐわかった。
「そうですか……、じゃあ、隣失礼しますね」
そしてグイグイくる。陽の者だ。
ウチの座っとる横に、女の子は腰を下ろす。パーソナルスペースどうなってんねん。ちょっと距離空けとこ。
「ホットココア」
「ん?」
「それ、好きなんですか?」
その子が指差したのは、ウチが手に持っていた缶。
「あーそやね、好きやな。嫌なこととか、むしゃくしゃすることとか、悩んだ時はお世話になっとる」
甘くて暖かい飲みものは、なぜか飲みたくなってしまう瞬間がある。それがたまたま今日に当たってしまっただけのことではあるんやけど。
「え、今嫌な気分なんです? 私何かしました?」
「してへん」
「そうですか〜、よかったぁ」
胸に手を添えて、ほっと息をつく。
その様子は、安堵しているように見えた。
かと思えば、彼女はウチに問いかけてくる。
「で、お姉さん、どうしたんですか?」
「どうしたって、どうもしてへんよ」
「ほんとにぃ?」
ジト目で、彼女はウチを見てくるが、そんな疑いの眼差しで見られても困る。
そして、その鋭い思慮が怖いとも思えた。
やから、誤魔化すように、言葉を紡ぐ。
「……ほんまやし、何かあったとしても見ず知らずの人に話す気にはならん」
「それはそうですよねー」
なんなんやろ?
急に深く入り込んできたかと思ったら、すぐに離れる。強引に話題を振ったかと思えば、時期が悪いと見て引っ込める。
ウチの思い上がりじゃなければ、それはウチを案じる人のやり口で、どこまで踏み込んでいいか探っている配慮で。
ウチの父親にも似た配慮のようにも感じられた。
なんやろ、この子は。
ウチの疑念もちょっとありつつ、その子はウチに話題を振ってくる。
「あ、そうだ聞いてくださいよ。今日友達と話してたんですけど──」
* * *
「それでですね、私も言ったんです。『Vtuberってなんなの?』って。そうしたら──」
* * *
「ひどいですよね、ひどいと思いませんか? 私はその子のためを思って言ってるのに、全然聞いてくれないんですよ? それで──」
* * *
「そんなことがあってですね。お姉ちゃんは、それはそれは忙しく働いてるわけなんですよ。私が学校に通えるのもそうですし、尊敬するしかないっていうか──」
* * *
「いや、どんだけ喋んねん!」
長い長い! 会話の切れ目がわからん!
どんだけ喋んねん、この子。心の中でも同じツッコミしてしまったやん!
ウチがツッコむと、彼女はキョトンとした表情を浮かべる。
「え、そんな喋ってました?」
「ベンチに座っとるお尻が痛くなるくらいには長いこと喋っとるわ! いや、すごいな。そんだけ喋れるのはすごい!」
「いやぁ、照れますね」
てへへと頬を赤らめる彼女。いや、褒めてないんよ。
「お姉ちゃんみたいに、大人の落ち着きが出てくるといいんですけど、難しいですね」
「さっきも話に出てきたな。お姉さんのこと」
長々と話をしていた時にキーワードとして出ていた『お姉ちゃん』とは、この子の姉のことやと踏んでいる。
話をそれとなく聞いていると、中々に大変な経緯を持つお姉さんのようだ。
早くに両親を亡くし、親戚をたらい回しに、あるいは魔の手から逃れるために、早くから自立して生活を始めていて、学生時代にはアルバイトと学業の掛け持ち。高校卒業と同時に就職して、お金を稼いでいるという。
なんというハードモードだろうか。
加えて、目の前の子は顔立ちが整っていて可愛げがあるので、危険なことも多かろうと思う。ウチもそれなりに経験があるので、わかる。
それを守り抜いているのだから、そのお姉さんは相当凄いことをしているというのは、なんとなくウチでも理解できた。
「……はい、自慢の姉です。家だとズボラなのが玉に瑕ですけど」
「でも、尊敬してるんやもんな?」
「もちろん!」
清々しいまでの笑顔で、そう答える彼女の姿が、ウチには眩しく見えた。
これだけ真っ直ぐに尊敬されるとそのお姉さんも鼻が高いことやろう。ウチも、そんな尊敬の気持ちは未だ燻っているわけやし。……おまけで嫌なもんもついてきたけど。
「……あー、すみません。話つまらなかったですか?」
「や、そんなことはない……けど」
つい表情が固くなっていただろうか?
そしたらめっちゃ申し訳ないんやけど。
ウチの返答に何を思ったのかはわからんけど、その子はウチの方に向いてお辞儀をする。
「……長々と話を聞いてくださってありがとうございます。……私の処世術なんです」
「処世、術?」
彼女がポツリと溢した言葉を拾う。
「はい、こうやって悩んでいることとか、困ってることとか、全部誰かに話して共有してもらうと、気が楽になるんですよね」
「それは……あるかもしれんな」
「ですよね。友達とか、お姉ちゃんとか、身近な人に言うようにしてますね。そしたらスッキリするので」
「それ、友達おらんくなりそうやね」
ウチもあまり忖度ができんので、ストレートに話して離れてしまった人というのもおるわけで。
そんな気持ちも込めて話すと、やだなーと笑いながら彼女は教えてくれる。
「ちゃんと話す人は分けてますよ〜、人付き合い上手いですからね、私」
「自分で言うことやないけどな」
「ですね」
ほんとにな。でも彼女が言うことは間違ってはないんだろうなと感じる。
くすくすと笑うその姿からは、明るさを感じさせるし、人気があるのは間違いないだろう。
その人当たりの良さが、彼女の価値を高めているのかもしれない。わからんけど。
そして、彼女は真面目な顔でウチに語りかけてくる。
「だから、もしお姉さんがなにか困ってることがあるなら、吐き出してもらえればなって思うんです。あ、もちろん私じゃなくてもいいですけどね。ご家族にでもいいし、友達にでもいいし」
手をパタパタ振って彼女は提案してくれる。
「そこで、『私に』って言わないんやな」
「見ず知らずの人だから、喋りにくいと思いません? 私はそうは思いませんけど」
「思わないんかい」
── 何かあったとしても見ず知らずの人に話す気にはならん。
さっきウチが言った言葉が尾を引いているのだろうか。反する言葉をぶつけてくる。
この子は、きっと誰とでも仲良くなれる。距離を詰めることができる。
そんな気がしてならない。
だって、すでにウチと彼女の距離はほとんどないように思えるから。
少し動けば、触れてしまいそうな距離で、彼女はウチに話している。パーソナルスペースは、とっくに彼女の侵入を許してしまっている。
なぜだろう。自分で言うのも何だが、ウチは警戒心の強い方だと自覚しているのに。
これも彼女のコミュ力がなせる技なのだろうか?
"誰かに話すことで、気が晴れることもある"、か。
父親にも相談できず、母親には少しだけ話したこともあるけど、核心に触れたことはない。友達と呼べるほどの親しい知り合いなんておらん。
知り合って間もない人に話すべきことではない。
けど、今だけは、目の前の子に全てを話してもいいように思えた。
「聞きますよ?」
ウチの逡巡に気づいたのか、その子は、真剣な目でウチを見てくる。その瞳には温かな光が宿っているように思えて。
歳下の子にここまで言われて、引くわけにはいかない。
「……せやな、少し聞いてもらってもええか?」
「……はい!」
これだけ長いこと話に付き合ったんやから、ウチの重い話も聞いてもらっても構わんやろ?
少しずつ、少しずつ。
誰にも伝えられずにいた、燻っていた思いが、重荷が、記憶がほろりとほぐれていく。
それは甘くて暖かくて。
まるでホットココアのように、ウチの心に染みていった。
* * *
「……想像以上に重たい話でした!」
「第一声がそれかい!」
「想定の10倍くらい壮絶な人生でした! 私、軽い気持ちで聞こうとしてほんと申し訳ないです……」
「あー、まあ、ウチも誰かに話したかった、んやろうしなぁ、たぶん。むしろ、少しスッキリしたような気もするしな」
きっと、ウチは解決法なんて求めていないんだと思う。
話せば、自分の中で絡まっていた糸が解れるような感覚があった。
誰にでもよかった。誰だってよかった。
その糸を誰かに解してもらえれば、誰でも。
でも、見つけてくれたのは、この子だ。
見ず知らずの、可愛らしい女の子だ。
「うん、助かったわ。ありがとうな」
問題が解決したなんてことは言えない。
たぶんまだ緊張はするやろうし、自分が嫌いなのもきっと変えようがない。
けど、それでいいのだ。
向き合えれば、きっとそれでいいのだ。
逃げることなく、自分と対話ができれば。
まだ、逃げ出しそうにはなるけど。
「あ、そうだ。これ歌えますか?」
「話聞いてた? 緊張しいやって言ったよな?」
「いいからいいから、早く早く」
「わかった、わかったから、急かすのやめ!」
その子のケータイから流れてきた曲は、誰だって聞いたことのあるポピュラーなものだ。老若男女問わず、聴き覚えのある国民的アイドルの曲。
歌っている人は、ウチの知らない人やけど。
ミルクベージュの女の子に急かされるまま、横に置いていたケースからギターを取り出す。ポケットに入っていたピックも表に出して。
観客は女の子1人。
だからか、不思議と緊張はしていなかった。
わん、とぅー、わんとぅーすりー。
ギターのボディを叩いてリズムを取る。
ウチはピックを握り、ジャカジャンとギターを鳴らす。リズムもメロディも耳で覚えている。だから、弾くことができる。
「わぁ」
隣に座る彼女の、感嘆の声が耳に届く。
少し気分がいい。
夕暮れの公園に、2人の声とギターの音色が響く。
他に観客のいない、2人だけのオンステージ。
弾き歌いながら、不思議な感覚に包まれている。誰かに歌わされるでもなく、進んで歌おうとしている。この感覚。そして、仄かな手応えもあって。
──歌うことが、好き。
たぶん、それはウチの中に残った大切な気持ちで。
憧れも、期待も、思い出も、何もかも変わってしまったけれど。
それだけは、変えようのない事実だった。
そして心に残り続けるこの想いを、歌に乗せて。
もし今までのウチの歌が、ちゃんと『音』になっていなかったとしたら。
きっと今日、ウチは『はじめての音』を紡いだのだと、心がそう囁いていた。
次回もナギさん視点ですが、回想は今回でおしまいです。




