第30話 憧れて、期待して、思い出はいつしか
前回に引き続き、伊勢京=加衣ナギの視点です。
重い話になるので、お気をつけください。
後で配信回を入れて緩和したいと思います。よろしくお願いします。
「はぁ、今日もダメやったなぁ」
ウチ──加衣ナギは、駅からの道を歩いていた。お気に入りのアコースティックギターを背負い、髪は乱れ、気落ちしながらではあったけど。
ポケットに入れたピックケースが、からからと虚しい音を鳴らす。
虚しい、そう表現するに相応しい状態だ。
「……うまくいかんなぁ」
吐いてしまったのは、現状のどうしようもない停滞感と、そこからくる自身への不甲斐なさだった。
──あのさぁ、感情をもっとこめないと。
──顔が笑ってないんだよ。
──声は綺麗なんだけどね。
これは今日の駅前での弾き語りの感想の数々であった。
わかっている、わかっているのだ。
けれど、どうしても認められずにいて。
ウチは、逃げ出してしまったのだ。
* * *
加衣ナギは、アーティストの母親と、おおらかな父親の間に生まれた女の子だ。
母親──加衣ミソノは、売れに売れたアーティストであり、ミュージシャン。
『little to sing』や『夏に消えて』など、女の子らしいキュートな曲から電子音漂うメロウな曲まで、その表現は多岐にわたる。
それを可能とするのが、加衣ミソノの卓越した歌唱力に他ならないことを、幼い頃から見てきたウチは理解していた。
そして、憧れた。
ウチも、あんな風にキラキラしたい。
ステージで歌う母親を見て、何度もそう思ったものだ。その都度、父親に伝えては微笑ましい顔で見られていたものだけど。
父はウチによく言っていた。
「お母さんみたいになりたいなら、うんと頑張らなければいけないよ?」
それに対しての返答はなんだっけ。
──うん、ウチがんばる! いつか、お母ちゃんといっしょのステージでうたうの!
そんな感じだった気がする。
幼い頃は無邪気に、そう考えていたものだ。
けど月日が経てば、現実はそう容易くはないことを嫌でも理解する羽目になった。
"加衣ミソノ"の娘であるウチに対する周りの視線は、いつも似たようなものだった。
『あの人の子供だから、歌えるよね?』
『あれ、こんなのも歌えないの?』
『ミソノさんの子供っても、こんなもんか』
いつどんな時でも母親と比べられていた。
誰もが同じような反応をした。似たような言葉で、何気ない気持ちで。
近所で、学校で、カラオケで。
クラスメイトや友達、近所の子供に、大人などなど。
小学生の頃には、無遠慮に言われ続けていたし、その言葉が積み重なって重荷になっている。
中学生の頃には、表立っては言われなくなったが、陰で言われることが多くなって、実際に話しているのを聞いてしまったこともあった。さらにウチの心にのしかかる。
極め付けは、高校の頃、合唱コンクールのような催しで、友達に突きつけられた言葉。
──つまらなそうにしないで、真面目にやってよっ!!
……えっ。
その指摘は、ウチの思慮の外のことだった。
真面目に、やってるつもりだ。
小学校の頃から歌唱力について言われてきたのだ、練習は怠らなかったはず。だから、ウチの歌唱力が足りないなんてことはない。"あの"加衣ミソノの娘なのだ。手を抜くなんてありえない。
……そのはずなのに。
──ミソノさんの娘なら、もっとちゃんとしてよ!!
思いの外、胸が跳ねた。
──……あ、その、ウチ、は……
言い返すことすら、出来なかった。
口を開こうにもあわあわと動かすだけで、意味のある言葉を発することは叶わない。
真っ白だった。何も考えられなかった。考えようにも頭の中はごちゃごちゃで、ぐるぐるで、思考がまとまらなかった。
これじゃダメだ。
どうすればいいの?
なんでウチなの。
歌ってるつもりなのに。
何が足りないの?
真面目にやってなかった?
何でこの子はウチを名指しするの?
お母さんみたいにならなきゃ。
どうして、だめなの。
もっと声を出すべきだったか。
いや、歌唱力を上げなきゃ。
響かせ方が足りなかったのかな?
音域を広げるべきだったんじゃ?
ウチはお母さんじゃない。
ウチはこれでしか。
やり直したい。
悔しい。悲しい。切ない。
ダメなのに、ダメなのに。
泣いちゃダメ。
……これじゃ、ダメじゃんか。
堂々巡りでループする思考の波に、ウチは飲み込まれていく。砕かれていく。消えていく。
そして口から残骸が溢れ出る。
──⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ッ!!
ウチは絶叫する。慟哭する。
それはきちんとした言葉になっていたとは思うけど……
……なんて返答したかすら、もう憶えられなかった。
──……っ!
ウチが言葉を叩きつけた相手は、驚いたような、涙を堪えるような表情で走り去ってしまった。その背中を見て、ウチは自問自答する。
いつからなのだろうか。
憧れは苦痛に。
期待は失望に。
思い出はトラウマに。
自分自身を嫌いになったのは。
* * *
「……はぁ、ほんとにウチってどうしてこうなんやろ」
家に帰る前、通りかかった公園のベンチに座って、ホットココアの缶をあおる。
口下手で緊張しいで、秀でているものなんて何もない。
あの日から、人前で歌うことでさえ緊張してしまうようになった。
でもあの日のことはきっかけでしかなくて、積もり積もって今がある。今にして思えば、あの子の言っていたことは最もだろうと思う部分もあるのだ。
「……はぁ、感情表現むっず」
歌っていて、微妙な違和感があった。
高校の頃よりも歌唱力に磨きをつけたのに、何故かまだ上手く歌えている気がしない。
何が足りないのか、答えは観客が散々ウチに伝えてきてくれている。
曰く「感情表現ができてない」らしい。
何やねんそれ、感情て。心って何? その胸を抉り取れば見れるん? 頭蓋を砕けば見えるん?
や、わかるんよ。
わからんでもないんよ。
ウチだって人間、感情の1つや2つ、あるに決まっとる。けど、それを上手く表現できないんやて。
幼い頃から抑制してしまった影響なのか、表情筋は仕事をしないし、歌声はカチカチだ。柔らかさが足りない。
いくら響いていても、いくら音程が取れていても、いくら高音低音が取れたとしても。
綺麗な歌声にはなっても、そこに人間味はない。機械のように聞き応えのない音を羅列するだけになってしまう。
今でも駅で歌っていると足を止めてくれる人もいる、けど少しすれば立ち去ってしまう。忙しい人もおるとは思うが、それにしても人を引き留める力がないというのは問題である。
そこに衆人環視という緊張のファクターが加わればあら不思議、思ったよりも歌えないギター持ってる女の子の完成である。泣きたい。
緊張しいを治すには、これがぴったりだと思ったんやけど、思っていたよりも厳しい。
思っていたよりもウチの感情は強情だった。
結局、がむしゃらにやっていても上手くいかないということなのだろうか。
ウチのやり方間違ってたんやろうか。母の言葉を参考にはしてたんやけど。
『緊張なんて、歌ってたら取れる!』
お母ちゃん、歌っても緊張取れへんよ……?
母の言葉を参考にして、外に出て歌うと決意したのがいつだったか。そもスタジオで歌ってばかりいた自分にはちと厳しい。何度もチャレンジして、その度に挫折してきた。
こんなに苦労して、それでも歌いたいのは、ウチに残った最後のものだから。
縋っていなければ、耐えられないから。
これ以上自分を嫌いになりたくないから。
いや、色んな理由はあるけど、きっと歌うこと自体は好きなのだ。それが1番の理由なんだろう。うん、そう思うことにした。
だから今日も歌うし、失敗する。
恥ずかしくて情けない。
「はぁ、帰ろ……」
「お姉さん、歌わないんですか?」
「えっ」
帰ろうと腰を浮かそうとした時、不意に声をかけられた。
今にして思えば、こんな偶然あるかぁ? って思うようなことやったけど。
あの時に、その子と出会ったのだ。
ウチのファンになってくれる子に。
読んでいただき、ありがとうございました。
次回もナギちゃん視点です。




