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頬に日射しが照りつける。遠くに聞こえる海猫の声、潮騒の囁き。
腰掛けた流木に浮いた白い塩を、無意識に爪で引っ掻く。
海の眩しさに目を細めた。
変わらない、彼女のいない日常がそこにあった。
いつものように、世界は美しかった。神秘的で心惹かれる自然の奥には、緻密な理論と数字がいつも潜んでいた。
裸足の足を暖かい砂に埋めながら、それらに想いを馳せる。
それでも、何かが足りなかった。
時々、誰にともなく願うことがある。
お願いだから、僕を忘れないでくれ。彼女の中から、自分の存在が完全に消え去ってしまうことだけには耐えられないと思った。
ああ、意味がない。こんなことを思っても無意味だ。心が、白い砂に埋もれていく。
ーーこれは、どういうことだろう。
信じられない。僕の目には今、何が映っている…?
いつものような、日差しの気持ちいい昼下がり。
涙をたたえた鳶色の瞳が、真っ直ぐに僕を見つめていた。
風が吹いた。
彼女の唇が、僕の名前を呼ぶ。
もしかして、いや、もしかしなくても。彼女には、僕が見えている。
どうして、どうして。だって、彼女は。
思考が、感情に追いつかない。
ただ一つわかるのは、自分の握りしめた指先が、震えていること。
そこにあるのはたぶん、泣きたいくらいの、叫び出したいくらいの、喜びだった。
会いたかった。忘れて欲しくなかった。覚えていて欲しかった。
彼女の唇が開く。
「エド、あなたのせいだわ!!」
涙に濡れて、無理やり絞り出したかのような声。
自分の口が、彼女の名前の形に動くのをどこか遠い意識の中で感じていた。
僕のせい…? 僕は一体、何をした…?
回らない頭で考える。君の目から溢れる涙を、どうしようもなくただ綺麗だと思う。
「あなたのせいで、あなたのせいで…!」
彼女は、泣きながら、笑っていた。
潮風が、頬につめたい。どうしてだろうか、視界が、滲む。
何かが迫り上げてきて、溢れる。
彼女がいなくなってから積み上げてきた僕の日常が、音を立てて、一瞬のうちに風化する。風が通り抜けていく。
ああ、君は、
「あなたのせいで、私、大人になれなかったわ。」
君は、大人になれなかったらしい。
二人で、泣きながら笑った。笑いながら、泣いて。
今なら、いもしない神に跪いたっていいと思った。
君はまだ、子供なんだね。
どこか覚えのある言葉が胸に浮かぶ。口に出したら彼女は笑ってくれるだろうか。
陽光を反射して、青い海がきらきらと光る。
腕の中の存在は、どうしようもなく、僕のしあわせだった。
「それにしても、どうして君は大人になれなかったんだろうね。」
「違うわ、大人になれなかったんじゃなくて、私、ならなかったのよ。」
彼女が冗談めかして答える。鳶色の瞳が、悪戯っぽく光る。
二人で、笑い合った。
読了ありがとうございました。