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「君は、まだ子供なんだね。」
隣に座った私に、彼は唐突にそう言った。
「はあ?」
私がついいらついた声を出してしまったのもしようがないことだと思う。何が悲しくて、初対面の奴からお前は子供だ、なんて言われなきゃならないのだ。しかも見たところ同じ年くらいの男の子にだ。確実に喧嘩を売っているだろう。
しかも私は、常日頃から大人になりたいと思っていたし、そう思うだけの理由を持っていた。
私の家には、父親がいなかったのだ。父親は、私が4つ、妹が1歳の頃に家を出て行ったらしい。母ではない女の人と暮らすために。
それから今日まで、母は私と妹を女手一つで育てあげてくれた。身を粉にして働いて。おかげで私は学校に通えていたし、飢えることなく暮らしてこれた。
だから私は、早く大人になって、自分で稼げるようになりたかったのだ。母に楽をさせてあげるのが長女として当然のことだと思っていたし、妹の学費だって今のままじゃ足りるかどうかわからない。私は早く大人にならなければならなかった。
「私の、どこが、子供だって言うんですか。」
彼を睨みつけて、低い声で、極め付けは怒りを示そうと敬語まで使って言った。
言ってから、12歳ならまだ子供か、とも思ったが、それを認めるのは非常に癪に触ったので私は彼を一層強く睨め付けた。
驚いたことに、それまですました顔をしていた彼は私の言葉に怯んだ様子だった。その表情を見て私は幾分か溜飲を下げた。
しかし、彼の次の言葉に、私はさらに当惑を深めることになる。
「だって君、僕のことが見えているじゃないか。」
「はああ?」
意味が、わからない。
「子供じゃないと、僕のことは見えないんだよ。」
「村の外れに、評判のお医者さんがいるの。優しいおじいちゃんよ。あなた、診て貰うといいと思う。」
この時の私の突っ込みは、なかなか冴えたものであったと自分で思う。心の中で、少々場違いにも
自画自賛していた私だが、彼は気分を害したらしい。
「人を頭のおかしい奴扱いするな。僕が妄言を吐いているという根拠がどこにあるんだ。僕のことが見えるのは、たしかに子供だけだ。大人には見えない。」
「そんなお化けみたいな、妖精みたいな奴がいるわけがないじゃない。からかわないで。不快だわ。」
「嘘なんか言ってない。疑うんなら大人を連れてくればいい。絶対に僕のことが見えないから。」
「なら連れてきてやるわよ。もし嘘だったらただじゃ置かないから。」
完全に、売り言葉に買い言葉だった。
言い訳をすると、私は普段からこんなに好戦的なわけではないのだ。しかも普段ならこんな妄想としか思えない言葉に耳を貸したりなんかしない。この日は、学校でも嫌なことがあって、多少むしゃくしゃしていたのである。
私は座っていた流木から立ち上がって、もと来た砂浜を走り出した。手近な大人を呼びに行くのだ。
ーー結果から言うと、彼が言っていたことは本当だった。
手始めに私は、近所の商店の隠居したおじいちゃんを連れてきた。
しかし、おじいちゃんは私の予想に反して、彼のことを見えないと言ったのだ。砂浜に男の子なんてどこにもいない、大丈夫か、疲れているんじゃないか。なんて私が逆に心配されて終わった。お菓子をくれたのでありがたくもらっておいた。
納得がいかなかった私はやっきになって次々に大人を連れてきてみたが、彼が見える人は一人もいなかった。これでは認めざるを得ない。
それなのに、妹を連れてきて彼を見せたら、妹は彼を過たず指差して言うのだ。
「お姉ちゃん、あの子誰?綺麗な男の子だね。」
もうほとほと疲れ果てて、妹には、私にも誰かわからないよ、と返事をしておいた。
「本当だっただろう?僕が言っていたことは。」
妹を家に返して、私が疲れ果てた様子で巨大流木に腰掛けると、彼が勝ち誇った顔をして話しかけてきた。
なんとも憎たらしい様子であったが、この頃には私の先程のむしゃくしゃした気持ちは完全に霧散していた上に、彼の言葉が正しいことは実証済みだったので、私はこれ以上彼に突っかかる気など全くなかった。
「ごめん、私が悪かった。でも、それならあなたは何者なの?」
そうなのだ。こんな、大人には見えない人間がいるなんて聞いたことがない。
もしかして、自分は何か恐ろしいものと出会ってしまったんじゃないかと思い当たり、遅まきながら、ちょっと怖くなってきていた。もしかして、今すぐ逃げるべきなのではないだろうか。
しかしどういうことか、この時ばかりは好奇心が勝ったらしい。私の頭は逃げるという選択肢を早々に排除し、口は彼に彼の正体を問うていた。彼が何者か、知りたかった。
彼がゆっくりと、口を開く。
「僕は、君が言うところの、妖精というものだと思う。で、君ももうわかってるだろうけど、子どもにしか見ることができない。」
唖然とする、とはこのことを言うのだろう。妖精…?
君がいうところの、なんて、彼はとても偏屈で理屈っぽい話し方をしているのに、私の頭には彼の言っていることがちっとも理解できないでいる。
しばし黙った後、私は重々しく口を開いた。
「まって、異議があるわ。妖精というのは、もっと、なんていうんだろう、神秘的で、神々しい感じのものなんじゃないの?たしかにあなたも顔は信じられないくらいに綺麗だけど。それでも、あなたみたいに、理屈ぽくて、子供っぽい妖精がいてたまりますか!」
言うに事欠いて、口から出たのはそんな言葉だった。口にしてしまってから、随分と失礼なことを言ったかもしれないと思ったが、もう遅い。
「うるさいなあ。僕の性格に文句でもあるの?妖精にだって色々あるんだよ…!」
彼は完全にふてくされているようだった。澄んだ、海のような瞳が不機嫌そうにすがめられる。
「ふうん。そういうものなの?」
失言をした気まずさからか、おどけた声色が喉から出た。
「そういうものなんだ。君の理想とは違くて残念だったな。」
そうか、そういうものなのか。納得できない部分はあるが、まあ、きっとそういうものなんだろう。
ふと目の前の海に目を移すと、青い海が、夕焼けに染まってあざやかな朱色になっていた。
ここに来た時は、まだ日は頭上高くを照らしていたのに、随分と時間が経ってしまっていたらしい。
もうそろそろ帰らなくてはならない。母が、きっと、心配している。腰掛けていた流木から立ち上がると、昼間より少しひんやりとした感触の砂に、足先が埋まるのを感じた。さあ、帰ろう。
しかし、ふと思い当たって、彼に話しかける。
「あ、そういえば、あなたの名前はなんていうの?」
「……エド。」
「私は、ナキアっていうの。よろしくね。」
潮騒が、夕暮れの砂浜に、静かに響いていた。