食料人間
「遂に実が成りましたね」
「見事なものだ。やっと成功といった所だな」
とある研究室にて、二人の男が嬉しそうに言う。片方はまだ二十代半ば、もう片方は四十代前半くらいだろうか。
二人の正面には作物を育てるビニールハウスがあり、そこにぎっしり並んでいるのは熟したトウモロコシ。
彼らは遺伝子工学技術によって作物の改良を行う研究者だ。
そして、この目の前のトウモロコシも彼らの研究の成果だった。
「これが広まれば食糧問題は解決されるでしょうね」
「勿論だ。高温、低温、湿潤、乾燥、更には台風、干ばつ、虫害、病気、あらゆる条件にも負けず育つ。砂漠や山脈、ジャングルや氷雪地まで、どんな過酷な環境でもだ。多少の管理技術は必要だが、すぐに普及し、飢餓は消え去る。それも特許など取らないのだから誰でも安く簡単に出来る」
「まさに革命ですね」
若い方が情熱的に言った。年配の方はそれを落ち着かせるように続ける。
「だがあと一つ調べる事がある。遺伝子組み換えの影響で人体に対して今まで無かった毒性が現れているかもしれん」
「今分析機に掛けていますよ。組み換えた遺伝子情報から予測すればそんな害は無いと思うんですがね……」
すると、机の隣にあったコピー機サイズの分析機がピー、と音を立て、同時に自動ロックの解除音も聞こえた。
「どれどれ......ほう、凄い。人体に対する毒性は全く存在しません」
若い方がコンピューター画面を見ながら更に嬉しそうに報告し、年配の方も嬉しそうに表情を変えた。
「完璧だ。早く世の中に発表するぞ」
かくして、どんな過酷な環境でも育つ作物が無償で世界に発表され、食糧問題に対する希望を見いだしたのだった。
研究グループは世界的な技術賞を貰い、その二人は他の研究参加メンバーを呼んでパーティを開いた。
具体的には例のトウモロコシを料理した。
「あー食った食った。トウモロコシばっかで飽き飽きしちまった」
若い男は帰宅し、はしゃぎ疲れてベッドに横たわった。
翌朝、いつものように何事も無く目覚める。
だが、青年はどこか体に違和感を覚えていた。
「何か腹が痛いな。スイカの種を食べると盲腸になるとか言うけど、トウモロコシの種を食べると腹痛にでもなるのかな……」
しかし痛くはなく、動くのにも支障は無い。なので普段通り身支度を済ませ出勤することにした。
自宅から徒歩で五分で駅につき、電車は五駅目で降り、そこからバスで十五分。
世界的な技術革新をしたとはいえ、何時誰かに抜かされるか分からない。それに他にも研究課題はあるのだ。
若い男は問題が起きる訳でもなく、一日中普段通りに働いた。
しかしただ一つ、普段通りでない事があった。帰宅中のバスの中、腹の違和感が朝よりも増している感覚がする。
(やっぱ昨日の食べ過ぎが悪かったかな)
でも痛みは微かなので気にしなかった。
次の朝、今度は寝起きが少々良くなかった。腹の痛みが前日よりも明らかに強くなっていたのだ。
だがそれでも少し我慢すれば大丈夫な程度なので、いつも通り出社した。
なお、仕事中に同僚がこんな話をした。
「俺何か昨日から腹が少し痛えんだよな。やっぱトウモロコシ食い過ぎたのが駄目だったか」
「痛みは大丈夫なのか?」
「平気平気、楽勝だ」
帰宅した時、痛みは更に強くなっていた。痛みで寝付きが悪くなり、翌朝の目覚めは悪かった。
「いてて……病院でも行こうかな」
若い男は研究所に遅れると電話で伝え、病院で検査を受けた。
「で、胃のこの部分の僅かに白くなっているのが分かりますか? これが原因だと……」
「じゃあその白い物は何なんでしょうか?」
「少なくとも潰瘍や腫瘍ではない事は確かです。念の為血液検査をしてもらいましたが、それっぽい癌の類は検出されませんでした。更に精密検査をすれば詳しく分かると思いますが……」
「仕事あるので今日は痛み止めを貰って明日でお願いします」
こうして病院から鎮痛剤を処方してもらい、痛みに耐えながら午後を研究所で過ごした。
ちなみに彼は同僚とこんな会話をした。
「え?お前も腹痛で?」
「ああ、俺も午後からの出社だ。特に異常は無かったらしいが、明日もっと精密な検査をしてもらおうと思って」
言い終わると同僚が何か言いたげだったので訊いてみた。
「それがな、他の皆も、半分くらい腹痛で病院行ったんだってさ。かくゆう俺もだ」
「へえー。やっぱトウモロコシか?」
「俺もそれ思った。やっぱり食い過ぎてからこうなったとは思うんだけどな。害があるとは思えないのに……」
結局、議論で結論を出す事は出来なかった。
帰宅中の電車の中で、不意に、鎮痛剤が切れたのか、急激な痛みが襲った。
「いでででで……」
周りの乗客が何事かと心配そうに視線を向けたが、すぐに鎮痛剤を飲み、痛みは治まった。
帰宅し、寝る時に再び腹痛が現れ、鎮痛剤を飲むと収まった。
だが、寝てから真夜中、激痛によって目を覚まし、薬を飲んで痛みは無くなるが、一度起きてしまっては中々寝付けない。
「いでででで! しかし癌でも潰瘍でも無いなら原因は何なんだ?」
考えても痛みが消える訳ではなく、結局今日は良く眠れなかった。
そして朝、いつも通りの時刻に起きる。
目は覚めた。だが体が起き上がらない。
体を動かそうとすると、何かが引っ張っているかのようで上半身を起こせない。
今度は勢い良く体を動かす。
プチプチプチッ……
何かが千切れる音が背中から聞こえた。同時に自分の体をベッドへ抑え込む力が抜ける。
横たわっていたベッドを見てみると、驚くべき物があった。
白く細長い糸状の物体が根のように多数。否、それは根っこだった。
それが単子葉類特有の髭根である事は、植物研究者である彼にはすぐに分かった。
(これが根っこならば、茎と葉は……)
若い男は青ざめながら嫌な予感がし、自分のシャツをめくる。
「なっ!」
更なるショック。自分の腹から単子葉類、恐らくはトウモロコシの子葉が生えていた。
(やはりこの前食ったトウモロコシが……でも何故?)
その時、電話が鳴った。疑問が残るまま仕方なく取った。
受話器からした声は自分の通う研究所の上司だった。
「あっ、先生?今丁度お話ししたい事が……」
『言われなくとも分かっている。トウモロコシが腹から生えて来たのだろう』
「え、ええ。どうして……ひょっとしたら……」
『お前の思っている通り、私にも生えた』
ならばどうして……
『原因はあの改良トウモロコシだ。あれがどんな環境下でも育つ事は知っているだろう』
「はい……という事はその環境というのが……人体」
『それも胃の強酸の中でもだ。つまりトウモロコシは私達の胃に根を張り、私達の養分を吸収し、肉体を突き破って出て来たという訳だ。全く、羊が人間を食うという話があるが、まさか農作物に食われるとは……』