第五話 イケメンって連呼しすぎて頭痛い
「今日から働くことになりました海藤俊です。よろしくお願いします」
翌週、咲の思い人は本当にうちの店に仲間入りを果たしていた。細身だが筋肉質、身長は180センチくらいだろうか。短く整えてある髪に端正な顔立ち。こんな底辺居酒屋の制服をまるで執事服かのように着こなしている。正にイケメン。イケメンの中のイケメンがそこにいた。
「気軽に俊と呼んでいただけると嬉しいです」
やめろ、イケメンスマイルを披露するな。俺の隣の山口が戦意喪失して顔から生気なくなってるから。てか戦うつもりだったのか山口。自称店内1のイケメン山口、俺は彼が女の子と快活なコミュニケーションを取っているのを今のところ一度も見ていない。
他称イケメンの方はどうやらホール担当のようだ。まあキッチンにイケメンはいらない……というよりはホールスタッフをやらせて見栄えをよくする方がいいという店長の判断が垣間見えた。
「えっと、立花先輩ですよね。咲ちゃんから聞いてます。とても面倒見のいい先輩だって」
先制でジャブを繰り出してきた。硝酸から入ることでこちらの戦意を削ぐ気だ。そうはいくものか、こちらも思いつく中で最高のイケメン返しで応じなくてはならない。
「じゃあ俊、恭祐でいいよ。俺も咲から話は聞いてる。これからは同僚だ、仲良くしてくれ」
「ありがとうございます恭祐さん! ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!!」
ものすごい低姿勢でカウンターを食らってしまった。さっきからイケメン特有のオーラに圧倒されて語彙も貧弱になってしまっている。メッチャいいやつじゃん俊、敵うわけがない。山口同様俺もイケメンには無差別攻撃をくらわすタチだが、イケメンって大体心もイケメンだから一瞬で負けちゃうんだよなぁ。咲のヤツ、どこをどう見たら天から全てを与えられてるこの男と俺が似てるって言えたんだ。目も脳も腐ってんじゃないのか。
「俊、今日はわたしがお前の教育係だ。よろしくな」
「はい! よろしくお願いします!」
今日は珍しく杏子さんがオープンからのシフトに入っている。まあどうせ店長が俊に気を回してホールチーフの杏子さんを回したんだろう。ちなみに俺は以前の里香からの要請でオープンからのシフト主体に変更した。そのせいか、普段はこの時間帯だとバイトはホールとキッチン各2人なんだが、今日はホールが4人にキッチンが5人。いやちょっと多すぎないか? 絶対今日赤字だろ。
「恭祐、今日はホールに入ってくれ」
「え、嫌です杏子さん」
「なんで理由も聞かず断るんだ」
「だって俺がホールに呼ばれる時って大体くそ忙しい時じゃないすか」
俺が最初にホールに呼ばれたのは去年のゴールデンウィーク、年に数回あるこの店の繁忙期だ。その日のバイトは俺を含めてキッチンが2人、ホールも2人だった。店長がキッチンを回すからお前はこっちだと杏子さんに連行されて仕方なくやる羽目になったのだ。あれは辛い思い出として未だ俺の心に刻み込まれている。0時になって全卓に食器が残ったままだったのはあれが最初で最後だ。今年のゴールデンウィークは絶対に出勤しないと決めている。
「後ろの予約票を見てみろ」
杏子さんが俺の背後を指差し振り向くよう促す。いやな予感しかしないので微動だにしないでいたら杏子さんからデコピンをいただいてしまった。じゃれあいじゃなくてマジのヤツだ、諦めよう。
「えっと……見ました」
「感想は?」
「今日は熱があるみたいなので帰りますね」
二方向から殺気を感じた。片方はキッチンから女の園ホールに出れない男連中から。もう片方は俺の左後ろにいた里香から。
「もし帰ったら……」
里香さん、急にシャドーボクシングを始めないでください。
「いやでもそう思っちゃってもしょうがないでしょ。なんですかこの予約の数は!」
拳を握りしめ必死に訴える。でないとこのままでは本当にホールで働かされてしまう。
「オープンから団体予約が3つ。体育会系サークルが20名、向かいのレンタカーショップのスタッフお別れ会で10名、オーランサークルの追いコンで30名。大丈夫だ、お前ならやれる」
いやそんないい笑顔でサムズアップされましても……。俊、お前もその場のノリで一緒にやるなぶん殴るぞ。おい咲、後ろで爆笑すんなお前も結局地獄確定なんだからな。
「あばらが1本、あばらが2本……」
里香よ、一応頼みの綱のお前は何を数えてらっしゃるんですか? 折るんですか? 誰のを? さっきから俺の方向いてるけど、違うよね、俺死にたくないよ。帰らないから手を止めてくれ、実は一緒に煙草吸うの楽しみにしてたんだからな。
「実際、キッチンは昨日仕込んでおいたものを序盤は出していくだけだから4人でなんとかなる。だがホールはどうだ、一人は今日入ったばかりの新人、後は全員女だ。予約は全て飲み放題、一人は男手がいないと酒を出し切れん」
至極適格な判断だった。逆転の余地はない。
「僕も精一杯手伝いますのでお願いします! 恭祐さん、僕たちを助けてください!」
今度はありとあらゆる方向から殺気が飛んできた。新人にここまで言わせて恥ずかしくないのか、そんな声まで聞こえるようだ。これ以上は無駄な抵抗でしかないのだろう。それに、ここらで引き下がらないと里香さんが10カウントまで数えてしまう。
「分かりましたよ、でも俺ドリンクの作り方そこまで覚えてないのでフォローお願いしますね」
「ああ、それなら大丈夫だ。お前はドリンク作らなくていいぞ」
「え」
「基本的にお前には配膳と会計を頼みたい。実はな、最近団体客の中でも悪酔いしたお客様から女子たちがナンパというか絡まれることが多くなっている。客が少なかったらわたし一人で対処しきれるが今日はそうもいかん。だから、お前が里香や咲を守ってやれ」
「し、死なない程度でよければ……」
マジか、うちの店でそんなことが起こっていたなんて。でもそれならしょうがない。流石にこれで断っといて里香や咲がナンパされてトラブルにでもなったら、後悔してもしきれない。
杏子さんの後ろで爆笑していた咲も流石に大人しくなっていた。まあこの空気では笑えないだろう。
「立花先輩、よろしくです」
里香はそう言うとカウントをやめて俺に目を向けた。こうして少しは頼ってくれている以上、期待に応えなくては男が廃る。
「おう、困ったらいつでも呼んでくれ」
「あたしもよろしく恭祐!」
「おう咲、そんなに期待しないでくれると助かる」
突然、空気が変わった。おそらくそれに気づいてないのは俊だけだろう。さっきまでとは別種の殺気が俺の全身を貫いている。
しまった、よくよく考えたらみんなの前で咲と名前で呼び合うのはこれが初めてだった。完全に失念していた。里香はいつの間にか真隣に来ている
「あとで説明してください、ね」
小声の棒読みでそんなこと言われても……。ああ、杏子さんは杏子さんでこめかみに青筋立ててらっしゃる。俺にだけ分かるよう口パクで
(おい、なんだこれは???)
とおっしゃっている。杏子さんにも弁解しないと俺のバイト生活がここで終わってしまう。
何より怖いのは後方、キッチンの男どもだ。あいつらほぼ全員咲に惚れてるからか一段と圧が強い。マジモンの殺気を向けてきてる。これは……、今日はもうキッチンに入れないな。後ろから今日は賄い作ってやらないだとか裏切り者だとかそんな怨嗟の声が聞こえてくる。多分今日、俺が無事に帰るのは難しいことなんだろう。
「さ、さあ! 開店まで後10分ですよ。みんな仕事しないと。なあ俊!?」
「はい! 一緒に頑張りましょう恭祐さん」
俺の味方は今日入ったばかりの新人だけのようだ。諸悪の根源はしてやったりみたいな顔でこっちを見てやがる。咲よ、現状俺の立場はお前の想像の5倍はまずいことになってるんだからな。てかお前はどこまで分かってやってるんだ?
「ま、まああれだ。言いたいことは色々あるがそれは後にしよう。今日はよろしくな」
そう言うと杏子さんは俺の肩に手を置いてきた。傍目からだと任せるだとか託すだとか、そんな意味に取れるかもしれない。しかし俺にとってこれはただの警告だ。あらん限りの力を込めて俺の肩を握りつぶそうとしてらっしゃる。
ああ……、おうちに帰りたい。