第四話 未確認第一号、暴走
季節は冬、試験も近い。そんな状況で3限を思いっきりサボってしまった。出席が評価に直結する授業じゃなかっただけ良かったとしよう。そう、仕方なかったんだ。世の中の8割くらいのことは仕方ないでどうにかできるって兄貴が言ってた。兄貴大学で2留しちゃったけど。
今日はバイトもないし家で大人しくすることにした。換気扇の下に小説とココアを持っていく。
換気扇を回すとぶぃーんという嫌な音が鳴り響いた。大学に近いこのアパートは山のふもとに位置しているため虫が多い。冬でも現役と言わんばかりにうじゃうじゃ出る。おそらくそのうちの何匹かが換気扇の内側に入り込んだのだろう。まあ放っておけばそのうちファンによって細切れになるのでさしたる問題ではない。想像すると気持ち悪くなってきたのでココアで悪寒ごと飲み下す。
煙草に火をつけ椅子に腰かけた。煙が換気扇に吸い込まれていくことを確認してから小説を開く。今日読むのは先ほどまでうちにたむろしていた不法侵入者2号、吉田の忘れ物。帯に夜のお伴とか一夜の過ちとか『あなた、ごめんなさい……』とか書かれてる。吉田は俺の家にこれを持ってきて何をするつもりだったのか。ナニとか言ったらぶっ飛ばす。
意外と面白いじゃないか。帯の過激な内容と違って、一人の女性の日常を描いたほのぼのストーリーだった。細々と挟まれてる息子とのコミカルな掛け合いが笑いを誘う。続きが気になり読み進めているうちに、時刻は午後6時を回っていた。
夕飯は何にしようか、そんなことを考えているとポケットの中のスマホがけたたましく鳴り始めた。慌てて画面を見るとでっかく(咲ぽよ♡)と表示されていた。誰だこいつ、知らん。出るつもりはなかったのだがいつまでたっても鳴りやまないので仕方なく出ることにした。
「はい、もしもし」
「あ、もしもし? 何やってるんすか立花さん!!」
「お前……、綾瀬か」
「なんすか、分かってなかったんすか」
「いや、頭の悪そうな名前が表示されてたからな、仕方ねえだろ」
「仕方ないわけないでしょ!! 立花さん、もしかして忘れてました?」
「……?」
「てーれー会議ですよ」
「……あっ」
「ダッシュ、10分後にいつもの場所で。遅れたら立花さんのロッカーはなくなると思ってくださ」
電話を切り、急いで身支度を整える。煙草とスマホと財布だけあればいいか? 冷静に考えてる時間はない。家を飛び出て自転車にまたがる。
ここから目的地までおよそ10分、信号に引っかからないことを祈るしかない。俺は中学生の時以来の自転車ダッシュを敢行した。。
「あ、立花さんこっちっす!」
綾瀬が奥の席で手を振っていた。ダッシュで乱れた息を気合いで無理やり整えて彼女の元へ向かう。
「毎度毎度なんでファミレス集合なんだ?」
「いや、奢ってもらうのに高いとこに行くのは流石に気が引けるんで」
「俺が奢るの前提なのな」
「そんなこと言っちゃって、いつもあたしに財布すら出させないじゃないですか」
兄貴に小さいころからずっと言われ続けてきた。『女に金を払わせるなよ』って。それもあって女子にお金を出してもらうのは今でも抵抗感があるのだ。
机に目をやるとノートやら参考書が一面に広がっていた。綾瀬、勉強してたのか。意外だな。
「いやーテスト近いんすよね。赤点取るとバイト辞めさせられちゃうんですよ」
「赤点って……、綾瀬成績悪かったっけ」
「クラスで下から数えて2番目っす」
「じゃ、俺帰るわ。家でゆっくり勉強しろよ」
席を立つも袖をがっしりと捕まえられた。いやいやマジで勉強しろよ。いくら里香と同じで受験しなくていいったってその成績はまずいって。
「勉強はあとでするからいいんすよ、それよりほら、てーれー会議始めましょ!!」
その頭の悪そうな言い方は今後改めさせるとして、冗談を辞めて席に座り直した。
「飯食いながらでいいか? 今日カレーしか食ってないんだよ」
「いいっすよ。あ、店員さーん注文お願いします。ハヤシライス一つで、あとドリンクバー付けてください」
それだけ言うと綾瀬は笑顔で店員を見送った。完全に嫌がらせだこれ。目の前の綾瀬は昨日の杏子さんと同じ顔をしていた。
「遅刻した立花さんが悪いんすよ。反省してください」
お前が反省しろ、そうのどまで出かかったが無理やり言わずに済んだ。綾瀬は机に広げたままだった参考書類を片づけ始めた。その手つきの乱暴さから、勉強に対するやる気が伺える。綾瀬が店を去るのも近いかもしれない。
「悪い、一本吸っていいか?」
「いいっすよ、毎回そのために喫煙席選んでるんすから」
そう、普段はこういう風に気が利くいい子なのだ。ただちょっと色々雑なのが偶に傷といったところか。
許可ももらえたことだし吸い始めるとしよう。本当なら女の子、それも未成年の前で吸わない方がいいのだろうが、毎回こうして付き合ってるんだ。これくらい許してくれ。
「で、今回は進展あったのか?」
「いえ全く」
「ま、またか。綾瀬、いったい何時になったら勇気を出してくれるんだ!」
「しょうがないじゃないっすか! 乙女の恋路には障害がつきものなんですよ!!」
そう、綾瀬の言うてーれー会議とは、つまりただの恋愛相談である。童貞の俺が華のjkに何故恋愛相談をされてるかと言うと、好きな男が俺に似てるかららしい。最初は俺に恋愛相談しても無駄だと断っていたが、何度も頼まれるうちに俺に似てるってことはどうせ恋愛経験なしの魔法使い見習いだろうから、まあそれなら力になれるんじゃね? と思ってしまい、今に至る。
「いやーこんなに好きなのになんで伝わらないっすかね」
「伝えてないからじゃないか?」
「マジレス辞めてくださいキモイっす」
恋愛相談とはそれこそマジになってやるもんじゃないのか、知らなかった。
綾瀬がその幸運な思い人と上手くいかないのには理由があった。こいつ、相手と仲良いくせに恋愛関係や男女の仲を匂わせる話を一切振れないらしいのだ。
「なんかこう、照れくさいんすよね」
んなこと言ってないでとっととその羨ましいほど幸運な奴に抱き着いて告っちまえばそれでゲームエンドだろうに。基本的に童貞とは、可愛い女の子にちょっと優しくされればすぐ好きになる生き物だ。綾瀬ほどの子であれば既に告白されててもおかしくないレベルだ。その幸運者がよっぽど奥手なのか、はたまた奥手なのは綾瀬の方なのか。
「で、どうすればあいつにいい感じに思いを伝えられますか?」
「毎回それしか俺に聞かないけど、他に聞く事ないの?」
「ないっす」
ないのかよ、困るんだけど。童貞なりに考える告白のパターンもそろそろ底を尽きてしまう。
「あーあれだ、家に呼ぶとかして二人きりになれば告白出来るんじゃね?」
もう知らん、いい加減考えるのにも辟易してくるころだ。これくらい適当でいいだろう。
「あ、いいっすねそれ」
「へ?」
そういうと綾瀬はスクールカバンからスマホを取り出し何かし始めた。なんだろう、とても嫌な予感がする。
「えーっと、何やってんの?」
「あいつをうちに誘ってます」
「なんでだ!?」
「え、立花さんがそうしろって言ったんじゃないですか。もうlineしちゃいましたよ」
迂闊だった。まさかあんな意見が採用されるとは思ってもいなかった。これでもし上手くいかなかったら……考えるのも嫌になってきた。
「返信来ました、okだって! 明日来るって!!」
「あぁ、そう。うん、そっか」
もういいや、知らん知らん。どうせ上手くいくだろう。心配することはない。明日にはそのまま綾瀬は大人の階段を上っていることだろう。そう思うと、俺の意見もあながち間違いじゃないような気がしてきた。これが上手くいけば、恋のキューピットの地位を確立出来るんじゃないか? 他の相談者にとっても朗報に違いない。
「じゃあ明日頑張れよ、応援してるからさ。パフェでも頼もうか? それ食べて頑張ればいいさ」
「あ、パフェならついさっき頼みましたよ」
そこは一言ほしかったなあ。
その後はお互い夕食を取りつつ雑談を交わすことにした。煙草も2,3本吸ったころ、綾瀬が話題を変えてきた。
「そういえば立花さん、ずっと気になってるんですけど」
「ん? 何がだ?」
「なんで店の女の子の中であたしだけ苗字で呼ぶんすか? なんか仲間外れみたいで嫌なんですけど」
ストローを指でつつきながら綾瀬は不満を口にした。
「あー、なんとなく?」
「なんとなくってなんなんですか! ちゃんと咲って呼んでください!」
俺は基本的に後輩女子は下の名前で呼ぶことにしている。入店するときに今はもうやめていない先輩からそうするよう勧められたからだ。ただ、綾瀬はその先輩より先に店で会っていたため、今更変えるのもなんだしそのまま苗字で呼んでいたのだ。
「分かった分かった、じゃあ今度から咲って呼ぶよ。てか、逆に呼んでいいのか聞きたいくらいだ」
「いや、あたしたちもうマブダチじゃないっすか。遠慮しないでくださいよー」
俺に初めて女子のマブダチが出来た瞬間だった。てか、女子の口から初めてマブダチという単語を聞いた。マブダチって死語じゃなかったんだな。
「じゃあ、咲」
「どした、恭祐」
「いやお前がどうした」
「だってマブダチなのに敬語使うっておかしいじゃん。今度からタメ口でいくね!」
はめられた、完全にはめられた。なんでこうも上手いこと人を騙せるのに学校の成績が悪いのか。もっと頭を勉強に使えばいいのに。
「どしたん恭祐、難しい顔して。その顔不細工だからやめた方がいいよ」
いかん、タメ口が既に板に付いていらっしゃる。どうにか軌道修正を図らないと次のバイトの時に同僚に何て言われるか分かったもんじゃない。
「あ、分かった。彼女がいるのに名前で呼ばれるのはまずいとか考えてるんでしょ。大丈夫だって。杏子さんこんなことで嫉妬する人じゃないから」
「……今なんて言った?」
「嫉妬しないって言ったよ」
「いやそうじゃなくて、その前」
「彼女がいるのにってとこ?」
とんでもない誤解が生まれていることにここで気が付いた。俺が杏子さんと付き合ってるだって? 付き合えるもんなら既に付き合ってるんだが???
「付き合ってないぞ、杏子さんと」
「え」
「マジだぞ」
「いやいやそんなはずは……マジか」
誤解は解けたようだ。しかし一体全体何がどうなったら杏子さんと俺が付き合ってることになるんだ。そんな関係に見えるはずが……。
『いいじゃないか、恭祐とわたしの仲だ』
『いや、いつも通りお前の匂いがするぞ。わたしの好きな匂いだ』
『本当にお前はいい顔を見せてくれる。わたしがここを辞めない理由の半分はお前なんだってことを理解してくれよ』
うん、昨日だけでも見られてたら誤解されても仕方ない発言ばかりだった。今度からこれを口実にもう少しからかいの手を緩めてくれるよう頼んでみよう。
「あ、そうなんだ。絶対付き合ってるもんだと思ってたよ。なんかそんな雰囲気出してたし」
「どう見えてたのかは知らないけど、それはないよ」
「でもでも、杏子さん絶対恭祐のこと好きだって! 今すぐにでも付き合えるって! あたしが保証したげるからさ!」
「そうだといいなー」
「しんじてないなこの野郎!」
俺が保証する、あの人は俺を気に入ってくれてはいるが、別に男女の意味で好きなわけじゃない。絶対に、それだけはない。
「じゃ、お互いの恋が上手くいきますようにってことで、かんぱーい!!!」
「パフェとアイスの器で乾杯だけはやめような」
・・・
次の日の夜、綾瀬改め咲からlineが来た。
【あいつ、来週からうちの店でバイトすることになりました】
もう、意味が分からないよ。