第一話
コミュニケーション能力。現代の若者が最も欲してやまない能力の一つである。友達ともっと仲良くなりたい、もとい友達が欲しい。彼女が欲しい、出来なくてもいいから少しくらい女の子と楽しい会話を経験したい。仕事を円滑に進めたい。上司のお小言を上手く躱したい。才能なくても人望だけでのし上がりたい。せめてコンビニの店員ぐらいとはまともに会話がしたい。以上全ての願望はコミュニケーション能力、略してコミュ力さえあれば叶えられるのだ。少なくとも、俺はそう信じていた。
・・・
「オーダー入ります」
「はーい」
この肌寒い時期にはよく鍋が出る。鍋のストックは前日のラストオーダー後と開店前に大量に仕込むのだが、既に残り3つしかない。頃合いを見て仕込んでおかなければ地獄を見ることになる。
そうこう考えてるうちにオーダー表が機械から出てきたようだ。パートの山内さんが確認する。
「キムチ鍋5つにから揚げ4つ、チョレギサラダ10個入りましたー!」
すでに地獄だった。
「いやー立花さんさっきは大変でしたねー」
やっとの思いでさっきのラッシュを乗り切ったころ、同僚の綾瀬が話しかけてきた。
「ほんと大変だったよ、山内さんいなかったらどうなっていたことやら……」
「やっぱ山内さん神だわー。あたしも今度料理教えてもらおっと」
「それはやめとけ、痛い目を見る。主に俺が」
「なんなんですか、いいですよーだ店長に食わせますから」
「ごめんごめん、じゃあ店長の後でいいから今度作ってよ。綾瀬料理の練習ちょくちょくやってたもんな。きっと前より上手くなってるもんなー」
「なんなんすかその下手なお世辞。まあいいですよ、びっくりさせてあげますからねー」
そう言って彼女はちょっとはにかみながら、ホールに来る注文を確認しに行った。
綾瀬は基本的にいい子だ。誰とでも分け隔てなく話すし、ノリもよく、気遣いが出来る。今時珍しいツインテールがよく似合う童顔で、今まで数多くの男を虜にしてきた。これだけ褒めるところばかりの綾瀬だが、料理だけは出来ない。唯一の欠点と言ってもいいだろう。
店長が1年ぶりの休みで店にいなかった日、綾瀬は意気揚々と厨房に侵入してきた。
「あたし、今からチーズケーキを作ります!!!」
みんな最初は止めたが、立花が食べるならいいかと引き下がった。つまり俺が勝手に毒見役にされていた。客もいないしあらかじめ材料をこちらで揃えておけば問題はないはずだった。俺は覚悟を決めた。
「立花さん、みんなと裏行って煙草でも吸っててください。あたしが一人でできるって証明したいんです! これでもうちで料理の勉強してるんですから大丈夫ですって」
ライオンは我が子の成長を願い、子供を谷に突き落とすという。二重に覚悟を決めた俺は、客と店長がいないのをいいことに裏の座敷でさぼっている他の同僚のもとへ向かった。
40分後、綾瀬がそれは見事などや顔で至高の一品を持ってきた。
「どうすか立花さん、すごいでしょ! 褒めて褒めて!」
腰に左手を当て右手でピースしてきた綾瀬、ちょっと可愛かったが褒めるのは食後にした。
「でも本当に美味しそうだな。では、いただきます」
フォークを手に取りケーキに刺す。感触はちゃんとケーキだった。この時点で綾瀬のことを思いっきり褒めてやりたかったがぐっと堪える。まだ美味いと決まったわけではない。前のシーザーサラダはひどかった、まだ脳裏に得も言われぬ生臭さが残っている。
丁寧に一口分に切り分け、口に入れた。2,3回咀嚼すると口の中にほんのりと優しい甘さが広がっていく。食感も柔らかく、すぅっと喉奥に消えていった。これは美味い! 美味い。美味い、のだが……。
「卵スフレだ……」
「はい?」
「いや、これ、チーズケーキじゃない。メッチャ美味いけど卵スフレだ」
「いやいや何言ってんですか、そんなわけないでしょ。ほら、みんなも食べて。美味しいって立花さん言ってくれたし」
皆不安と恐怖が入り交じった顔ではあったが、恐る恐る食べ始めた。
「卵スフレだ」
「卵スフレだよこれ」
「少なくともチーズケーキではないですね」
「咲ちゃんの料理が美味しいなんて私は認めないわ」
「卵スフレってそもそもなんだっけ」
皆一様に驚いている、もちろん俺も。そして俺には他にどうしても気になっていることがある。
「綾瀬、俺は材料一式ちゃんと渡したよな」
「はい、ちゃんともらいましたよ」
「クリームチーズ、その中にあったよな」
「はい、それがどうしたんすか?」
「……チーズの味しないんだけど」
「そんな馬鹿な……ほんまや」
ちなみに彼女の出身は東京である。お好み焼きや焼きそばで白米を食べるなんて考えられないとこの前言っていた。あれ美味いのに。
こんな感じで綾瀬の料理スキルは着実に成長していた。ちゃんと美味しい物を出せるようになったのだ。ただ、目的の料理と結果が何故か一致しない。味噌汁はおじやになるし、親子丼はカツ丼に、パフェはあんみつとして生まれ変わる。某錬金術師になりつつある彼女、今度はいったい何を錬成してくれるのだろうか。少し楽しみだ。
「立花君、オーダー溜まってるよ!」
山内さんの声で現実に引き戻された。目の前には10や20じゃ足りないくらいのオーダー票の山が。煙草休憩はあと1時間は取れそうにない。
死に物狂いでオーダーを捌き、団体客が全員お帰りになったのは22時を回ったころだった。山内さんに一声かけて煙草休憩に出ることにした。この居酒屋は煙草に寛容で、特別忙しい時以外ならいつでも吸いに行っていいことになっている。外の空気も併せて吸いたくなったから、今回は店の裏の一角で一服することにした。
火が消えないように口元を手で覆いながらライターを着ける。一筋の煙が立ったことを確認して肺いっぱいに煙を吸い込んだ。……美味い。この瞬間があるから働ける。一本の線を描くように煙を吐き出し、もう一回吸いながらスマホの通知を確認すると、lineにメッセージが20近く溜まっていた。どうせサークルのやつだろう、処理は帰宅後の俺に任せることにした。
「お疲れです立花先輩」
裏口の方から声がかかった。
「里香、お前今日シフト入ってたっけ」
彼女は近藤里香。綾瀬咲の同級生だ。綾瀬と違って常に敬語、礼儀正しい後輩だ。
「金曜日なんで22時から閉店までの短い勤務です。シフト表見てないんですか?」
「いや、別に同僚のシフトなんて逐一確認しないぞ」
「山口先輩はいつも女子全員のシフトを確認してますよ」
「まじか」
「まじです」
山口のやつ、そんな気持ち悪いことやってんのか。女に飢え過ぎじゃないか?
「ところでどうしてこんなとこに? 未成年の喫煙は法律違反だぞ」
「煙草は好きですけど吸ったりしません。ほらこれ、ホールのゴミ出しに来たんです」
彼女の手元に目をやると、パンパンのゴミ袋を提げていた。今日の団体客は料理だけでなく酒とデザートも好みだったようで、ナタデココの空き箱やらリキュールのパックやらが詰まっていた。ラッシュ時にシフトが入ってなかっただけ里香はラッキーだったらしい。
「ほれ、貸してみ」
そう言って彼女からゴミ袋を問答無用で奪い取った。レディには優しくするもんだって某金髪コックが言ってたからな。
「……ありがとうございます」
「いいっていいって」
「でもあとほんの5mで代わってもらってもあんまり意味ないと思います」
「里香は正直者だな」
「皮肉ですか」
「半分な」
里香が不満を拳で伝えてきた。横っ腹に直撃したが全く痛くない、じゃれあいのようなものだ。大げさに痛がると本気で心配して謝ってくる子なので、軽く笑いながら笑顔で返した。ゴミを出し終えて元の場所に戻り、置いていた煙草を吸い始める
「ところで立花先輩、その煙草って美味しいんですか?」
「これか? 結構いけるぞ。少しバニラっぽい匂いがする感じだ」
里香が不思議そうに手元の煙草を見つめてくる。なんだか犯罪臭がしないこともないが、与えなければ問題はないだろう。
「そうですか、私が大学に入ったら一本貰ってもいいですか?」
「さっき吸わないって言ってたじゃん、法律違反だぞー」
「お酒と同じですよ、大学に入ったらokみたいな」
まあ確かにそうやってデビューする奴は結構いる。酒なんか特にそうだ。そうやってデビューした奴のごく一部がsnsではっちゃけて大変なことになったりするんだが。
「止めはしないけど、まあ自己責任で頼むわ」
「そういう立花先輩の甘いとこ、私は好きですよ」
「俺も里香の素直なところ好きだぞー」
そんないい笑顔で言わないでください、本気にしちゃいますよ。いつだって気持ちは一方通行なのだ。
「そういえば、立花先輩からまだ大学の合格祝いを貰ってませんでした」
「いやお前さんうちの大学にエスカレーター式に進学じゃん。あげなきゃダメか?」
「ダメです。ですから……」
そう言って彼女は俺のユニフォームのポケットに手を入れてきた。俺が驚いて動けないでいるうちにそこから煙草の箱をくすね、一本取り出すと……
「一本、貰っちゃいますね。帰る前にここで一服して待っててください」
「何する気だ非行少女」
「私のデビュー戦です。セコンドとしてライターの用意をお願いします」
近藤里香、ポニーテールのよく似合う彼女の趣味は格闘技観戦だ。
初投稿です。読んでくれると嬉しいです。
卵スフレが気になる人は自分で一回作ってみよう。意外と美味いぞ!