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 中心塔からまた人が落ちた。

 ガラス張りの窓越しに見えるその塊を横目でとらえて、私は椅子から立ち上がった。壁際のロッカーから専用の白衣を取り出して羽織る。

 外へとつながる扉を開けた。とたんにむせ返るような熱気に包まれる。照り返しのひどい夏の午後、蜃気楼が不気味に揺らいでいる。

 この塔が放っているエネルギーによって、周囲50メートルの気温は50度を軽く上回る。ろくな教育など受けてこなかった私には、その仕組みなどわからないが。

 長時間の作業は危険だ。私はすぐに地面の塊に近寄った。

 それは、若い女性のようだった。自分と同じくらいの年齢だろうか。多少崩れてしまったが、こうなる前は華やかな美しい顔立ちをしていたことがうかがえる。体の方も比較的原型を留めている。手足は付いているし、頭の中身も収まっている。ひじや肩から飛び出した骨が少しやっかいだが、他の部分に問題はないようだ。これ程までに状態のいいものは珍しい。

 彼女が着ているシャツの肩口をナイフで破り、皮膚に埋め込まれたチップを切り離す。このチップこそが、中心塔で働く人間であることの証、社員証である。

 チップを水道で軽く洗い流す。汚れを落としてから読み取り専用の機械に通す。それから、彼女の体を丁寧に台車に乗せ、一時保管の冷蔵室まで運ぶ。運送業者に連絡。5年間毎日行ってきた、手慣れた作業である。

 私の仕事は、毎日落ちてくる職員たちの身元確認と、死体処理だ。

 塔から落ちた人間はその後、トラックで工場まで運ばれる。そこで人間らしい姿に加工されてから、翌日には家族の元へ送り届けられるのだ。死因は心筋梗塞。この国の心筋梗塞死亡率は不自然に高い。

 遥か高くそびえ立つ、塔の頂上を見上げる。雲と雲の隙間からわずかに見える最上階。そこから、彼女は落ちたのだ。彼女だけではない。これまで何人の人が落ちたんだろう。自分の意思なのか、それとも誰かに落とされるのか。

 私が処理する人は皆、この塔で働く職員たちだ。優秀な人材だけに認められるこの場所は、誰もが憧れる職場だ。しかし、彼らがそこでどんな仕事をしているのか、知っている人間はほとんどいない。誰も疑問に思わない。この国はそういう教育を進めてきた。人々は、優秀な自分の息子が勤務中に心筋梗塞で亡くなったという知らせを聞き、黙って葬儀の日取りを決めるのだ。

 私の両親は心筋梗塞で亡くなった。6年前に父親が、その翌年に母親が、人間らしい死に顔で家に送り届けられた。二人とも優秀な中心塔の職員だった。

 両親を亡くした子供が生きていく環境は、この国にはない。私は必死の思いで仕事を探した。

 この仕事を見つけたのはちょうど5年前。一度だけ、中心塔が一般市民から清掃員を募集した。好待遇がたくさんの応募者を呼んだが、「清掃」の内容を知ったとたん、彼らは次々と身を引いていった。低い倍率の中から抽選で選ばれたのが私だった。

 死体を冷蔵室に運んでからもう一度外に出た。熱気がじりじりと体に突き刺さる。水道の蛇口をひねり、ホースで地面に水をまいた。汚れたコンクリートの赤を洗い流す。念入りに流した後でも、うっすらと色が残る。この辺り一帯に染みこんだその色は、いくらこすっても磨いても、決して落ちることはないだろう。

 しばらく水を流した後、私はホースを少し伸ばして、近くの花壇へと水を向けた。この花壇は3年前に私が自分で作ったものだ。一年中咲いている薄紫色の不思議な花が植えてある。50度の気温にも耐える花はないかと聞いたところ、花屋の主人が持ってきたのがこれだった。遠い外国の砂漠に咲く花だそうだ。

 塔で働く職員がどんな思いで落ちるのかなんて想像もできないが、彼らが最後に見る景色の中に、美しい花を植えよう。そんな思いつきでやったことだった。

 それが、塔の人間の目にとまった。

 一週間前、定期的に仕事内容の視察にやってくる人事部がやってきた。今までは何の反応も示さなかった彼らが、花壇の存在に気付いたとたん、「これは自分で作ったのか」と、問い詰めてきた。深く考えもせずやったことに対して強く問われ、戸惑った私はしどろもどろに理由を説明した。人事部はなにやら相談して帰って行った。

 解雇の覚悟をしていた私の元へ一通の手紙が届いたのは今朝のことだ。

 蛇口をひねり、水を止める。いつもより念入りに流した地面と、いつもと変わらず咲いている薄紫の花を眺めてから、塔の中へ戻った。これが私の最後の「清掃作業」になる。後任者への引き継ぎ文書を机の上に置いてから、勤務時間を終えた私は部屋の電気を消した。

 明日から、正式な塔の職員になる。手紙はそれを知らせるものだった。何がどう作用して、そんなことになったのか、教養のない清掃員が、誰もが憧れる夢の職場で働くことになった。

 ふと思い出し、机に置いた引き継ぎ文書を開く。最後のページに赤のボールペンでこう付け加えた。

「花壇の水やりを忘れずに。」

 心残りはない。ガラスの扉を開き外へ出る。

 果てしなく続く摩天楼。今、そこで何が起きているのか。

 私は、熱気の中へ足を踏み出した。


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