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二人は言葉を交わすことなく、少女が気付いたときには森の入口まで運ばれていた。ようやく口を開いた甲冑の者は謝罪の一言を発して、足元の茂みの中へ少女をそっと放り投げた。柔らかい土壌と毛布が緩衝材の役目を果たし、少女はそれほど痛みを感じることなく着地した。少女が上体を起こした様子を見届けるなり、甲冑の者はすぐさま踵を返して立ち去ろうとしたが、少女が呼び止める声に反応して立ち止まった。
「貴方の、お名前を」
心身共に疲弊しきった繊弱な問いかけに、甲冑の者は兜を開けて答える。聞き覚えのあったその姓は少女を犯したあの獣と同じだったが、似ても似つかない端整な顔立ちと月明かりに映える翡翠色の瞳は、確かに少女の脳裡に焼き付けられた。
「この御恩は一生、いえ死んでも忘れません」
そして少女は茂みの奥、暗がりの向こうへ潜むようにして、安息の地を求めて消えた。
木々の隙間から差し込む月の光の帯が照らす足元は視界が悪かったが、それでも遠くへ向かってどこへともなく移動し続けた。少女の体力には限界があって、時々太い木に寄りかかってはほんのわずかな休憩をとった。もはや空腹さえ感じなくなっていた少女は、気力の続く限り足を繰り出した。夜も更けているというのに目の前には払うことのできない光の筋がいくつも見え、目を開けていることさえ苦痛だった。
頭を垂れたまま、重くなった傷だらけの足を繰り出すことに疲れて、傍にあった木に手をつく。まるで踏み出す気力を吸い取られているような錯覚に陥った少女が、一縷の望みを託して視線をあげた先にあったのは、打ち捨てられたと思しき山小屋だった。
力の入らなくなった足を引き摺って山小屋の近くまで寄ると、老朽化している様子が外観からでも如実に分かる。歪んだ窓から恐る恐る屋内を除くと、月明かりの差し込む床に散らばった家具がいくつか目に入った。内装の修理や補強すらされなくなって久しいように見えるその小屋は、少女にとっては今までのどこよりも安息を得るに足る場所に感じられたのだ。
幸いにも、案の定というべきか、扉の蝶番は外れかかっていて、弱り果てた少女の力でも容易に開くことができた。その弊害として、扉を完全に閉めたり、ましてや施錠することが不可能な状態だった。もはや、今の少女にそこまで考える余裕はなく、扉は枠に引っ掛けるように閉じて、所々が傷んだ床に倒れ込んだ。そして、そのまま、泥のように眠り始めた。
※次回は、6月29日に公開予定です。