5.黒薔薇宮の人々
なぜ、こんな状況になったのでしょう。
とリディアは心の中で首を傾げた。
魔王の執務室の片隅にあるソファー。そこにリディアは座っていたのだが、彼女の右隣にはリアム。これはいい。
問題は彼女の目の前に魔王であるシオンが座っているということである。
リディアはなかなか顔を上げれないまま、チラチラとシオンの方を盗み見る。夜会で遠目でしか彼女は見たことがなかったが、間近で見るととても美形だとリディアは感じた。
王宮にいる男たちは皆美形揃いだと朝から感じていたリディアだが、彼は特別だ。
純白の髪に意志の強そうな琥珀色の瞳。適度に筋肉がついた体。
今年でたしか20になる彼の顔はまだ少し幼さを残していた。
「シオンー、レイちゃんはー?」
リアムが退屈そうにそう尋ねた。
「もう少しで帰ってくるはずだ...噂をすれば。」
部屋にノックの音が響き、扉が開かれる。
「シオン、ただいま戻りました。」
透き通るような声が部屋に響いた。
「おかえり、レイ。」
「レイちゃんおかえり、待ってたよ!」
リアムはソファから飛び上がると彼の元へと走る。
「レイちゃん、今日のおやつは?」
「今日はマドレーヌです。」
「やったぁ。」
そこで彼の視線は動き、来客を視界に収めた。
「リディア?」
「お久しぶりです、レイモンド様。」
リディアが礼をすると、レイモンドは嬉しそうに笑った。
「今日が配属の日だったのですね。入団おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
レイモンドはリディアの記憶にあるよりも大人びていた。物腰も柔らかくなったようで、その瞳には優しさが宿っていた。
リディアは本当に昔遊んだレイモンドその人か疑いたくなったほどである。
「リディアの分もお茶を淹れますから、くつろいでいってくださいね。」
「は、はい!」
勢いでリディアはそう返事をしてしまったが、改めて考えると陛下とお茶を共にするなどイチ伯爵家の娘としてはあるまじき行為なのではないだろうか。
しかし、リディアは今後のことは怖いので考えないことにして、純粋にレイモンドの淹れるお茶を楽しみにすることにした。
彼の淹れるお茶は幼い頃から絶品だったのだ。
そうして、リディアが今このいる空間の異常性を考えないようにしている時、再び執務室の扉が開く。
「あ、ライナスおかえりー。」
姿を現したのは騎士服に身を包んだ青年だった。
「よっ、リアム。また来てたのか。」
「そうそう、リディアをシオンに紹介しにね。」
リディアは新しい人物の登場に慌てて席を立った。
「リディア・レミクシアと申します。今日から紫に配属になりました。よろしくお願いいたします。」
「俺はライナス・アンディンセルだ。陛下付きの近衛騎士団の団長をしている。気軽にライナスって呼んでくれ。よろしく。」
差し出された手をリディアが握り返す。
「私のこともリディアで構いません。よろしくお願いします。」
「じゃあ遠慮なくそう呼ばせてもらおう。人の名前覚えるの苦手でなぁ。」
そう呟くと、ライナスは頭をかいた。
「ライナスは名前以外の重要なこともすぐ忘れるからな。」
「シオン。お前この間俺が訓練で約束の時間遅れたのまだ根に持ってるだろう。」
ふんっというような様子でシオンが顔を背ける。そのあまりに子供っぽい仕草にこれが魔王かとリディアは戸惑いの表情を浮かべた。
「ほら、シオン。お茶とお菓子の準備ができましたよ。」
そこにレイモンドがそう言って現れるとシオンの顔が輝いたのはリディアの見間違いではないだろう。
「やったー!おやつー!」
リアムが真っ先にマドレーヌに手を伸ばした。
「レイ、俺にもお茶頼むわ。」
「そろそろライナスが来る頃だと思って淹れておきましたよ。」
「さすが、執事様は違うわ。」
「お褒めの言葉と受け取っておきます。」
レイモンドからお茶を受け取り、ライナスがシオンの隣に腰を下ろす。レイモンドもどこからか椅子を持ってきて、テーブルの側に腰を下ろした。
「リディアもどうぞ召し上がってください。」
「そうだよ、リディア。こんなに美味しいから食べないと、ほらほら。」
レイモンドとリアムに勧められたリディアはようやく目の前に置かれた茶に手を伸ばした。そして一口。
「...美味しい。」
やはりレイモンドの淹れるお茶は絶品である。リディアのその一言に淹れた本人はとてもご満悦そうである。
「やはり、お茶の味が分かるお方に褒められると嬉しいものですね。うちのアホ共はお茶の味すら分からないので、退屈していたところだったのです。」
しれっとアホ扱いされたその他の面々がブーイングするが執事様は華麗に無視を決めこんで、リディアに話しかける。
「今度も魔王の名前を最大限に駆使して最高級品のお茶をご準備しておきますので、また是非きてくださいね、リディア。」
色々とツッコミどころが多い台詞だったが、これが彼の通常運転であるようで、魔王以下全員ため息である。
リディアといえば、雰囲気優しくなったけれど、中身は昔のレイモンドだということを認識して、少し安心をしていた。そして、レイモンドの満面の笑みに押されて、「えぇ、是非。」と答えてしまっていた。
リディアがこう返事をしてしまったせいで、魔王様とまたお茶をしなければならないのかと悩むのはもう少し後である。まぁ、その悩んだ結論も、レイモンドのお茶は美味しいからいいか、という能天気なものになるのだが。
「ほらほら、リディア!お菓子も美味しいから食べよ食べよ!」
リアムに言われてリディアはお菓子にも手を伸ばした。これもまた絶品である。
「美味しい...」と再び呟くリディアに執事様のご機嫌はうなぎのぼりのようだ。
「レイ、お前相当にレミクシア嬢のことを気に入ったな。」
なぜか少し不機嫌そうにシオンが言った。
「私は昔からリディアのことは好きですよ。私のお茶を褒めてくれますし、昔はお茶を淹れる練習にも付き合ってもらっていましたから。」
「そうだったのか。」
「そうですね。リディアがレミクシア家に引き取られた頃からですから、もう数十年に...」
そんなたわいのない話をしていた時だった。執務室の扉が突然開いたかと思うと、「シオン、例の件でどうなった!?」という言葉とともに1人の女性が入ってきた。
彼女はシオンが執務机に座っていないと把握するとまっすぐに彼らが休憩をしているテーブルの方に視線を定めた。
「また、サボってるわ...ね...」
言葉が途中で途切れたかと思うとそのまま固まる女性。
「どうしたんだ、ミラ?」
「俺に聞くなよ...」
という王と側近の小声の会話のあと。
「なに、なにその可愛い子は...」
彼女の口からそんな言葉がもれた。
「あぁ、ミラ、紹介するよ!紫に新規配属になった、リディア...」
「名前は知ってるわ!資料みたもの!」
彼女はそう叫ぶとゆっくりとリディアに近づいて、礼をした。
「初めまして、リディア・レミクシア伯爵令嬢。私は王の補佐の第一執務官をしております、ミランダ・サンフォードと申します。以後お見知りおきを。」
王付きの文官のトップが女性という事実に驚きながらもリディアも慌てて頭を下げようとしたのだが。
「いえ、私に挨拶は不要ですよ、レミクシア伯爵令嬢。それより1つお願いが。」
「なんでしょう。」
「抱きついてもよろしいでしょうか。」
リディアが固まる。
その前で大真面目な顔でその台詞を言ったミランダは隣にいたレイモンドに無言で頭をはたかれていた。
「いいわけないでしょう。」
「えぇ、可愛い女の子は正義よ、正義!少しぐらい、ちょっとぐらいならいいじゃない!」
「だめです。」
勃発する執事様VSお姉様文官。
しばらくにらみ合っていた2人だが、リディアの「少しだけなら...」という言葉であっけない終戦となった。
「ほんと!?」
という言葉と共にリディアに抱きついたミランダ。その結果、背の小さいリディアはミランダの大人な胸に顔を埋めることとなった。
「かわいい...ふわふわの金髪に澄んだ水の色の瞳...妖精さんかしら...」
「ミ...ミランダ様...息が苦しい...です...」
解放されたリディアは疲れ果てた顔をしている。一方ミランダは恍惚そうな表情である。
「ミランダ様だなんて...リディアはいい子ね...あ、リディアって呼んでもいいかしら?」
無言でリディアがコクコクと頷く。
「そうね、でもどうせなら、お姉様って呼ばれたいわ!」
ミランダのキラキラした瞳に飲み込まれたリディアは再びコクコクと頷いた。
「ミランダお姉様...?」
「ミラでいいわ。」
「ミラ姉様...?」
「最高!好きよ、リディア!」
再びミランダの胸に顔を埋めることとなったリディアである。
そんなリディアを救い出したのはシオンであった。
「で、ミラ。用があったから来たんじゃなかったのか。」
「そういえばそうだったわ。」
ミランダの胸から解放されたリディアは新鮮な空気にありがたみを感じていた。
「シオンに頼まれてた例の件だけれど...あら?」
ゴーンゴーンゴーン...
城に鳴り響くのは夕方を告げる鐘の音。城に勤める役人達の終業時間である。
「今日も一日終わりかーはやかったねー。」
リアムの呑気な声が響く。
「リディアー、今日はお仕事終わりだから帰っていいよ。」
「あ、はい。」
今日はなにもしていない気がするリディアだが、上司の帰宅許可に大人しく頷く。
「魔法士宮まで送っていくよー。」
「リアム、しれっと部屋戻って寝ようとしてるでしょ、あんたは残業。」
「えーー!」
ミランダの言葉に不満を言うリアム。
「ライナスもね、聞いてってちょうだい。」
「はいはい、俺もだろうと思いましたよ。」
上司たちが残るのに部下が帰っていいものだろうかと新米魔法士は真剣に悩んでいたのだが、再び執務室の扉を開けた人によって、その悩みは消えることとなる。
「リディアー帰るぞー。」
お父様直々のお迎えが来たのである。
うっわ、過保護。というのは執務室全員の心の声である。
「ローベルツ、黒薔薇宮って許可ないと入れないはずだぞ?」
「そんな細かいこと気にしてたら、ハゲるぞシオン。」
元側近のその言葉に頭を抱えるシオンである。そして、密かに宮の護衛体制の見直しを最優先課題に位置付けた。
「リディア、このメンタル劇弱魔王様(笑)にいじめられなかったかー?」
「リディアね、最初魔王のこと怖がってたよ!」
面白そうだと判断したリアムの告げ口によって、ローベルツの顔が険しくなると拳が握りしめられる。
「あ?リディアを怖がらせた?それは重罪だな、シオン、歯を食いしばれ。」
「ローベルツ待て、冤罪だ、冤罪!リアム、笑うな!あとで覚えてろよ!」
拳を構えるローベルツ、壁側に逃げるシオン、大爆笑するリアム。
「これ、止めなくていいんですか?」
「そう思うなら、止めてやってくれ...」
頭を抑えたライナスに言われて、リディアは自分が止めればいいのか、という考えにたどり着く。
「お父様ー。カッコいいお父様は陛下をいじめないですよね?」
「おお、いじめてないぞ。俺はカッコいいお父さんだからな!」
速攻で構えていた拳を下ろしてデレッデレになるローベルツである。
ちょろい、と全員が思った瞬間だった。
「よし、じゃあリディア帰るぞー。残業してもいいことは何もないからなー。」
「分かりました。皆様、本日はありがとうございました。明日からもまたよろしくお願いいたします。」
そう挨拶したリディアに返ってきたのは暖かな空気だった。
「あ、そうだ、シオン。」
帰ろうと一旦部屋を出た、ローベルツが思い出したようにシオンに呼びかけた。
「なんだ。」
「うちの娘は自慢の娘だ。可愛いし、気立てがいいしな。嫁に欲しいとか言う奴がいたら、ぶっ殺...おっと話が逸れた。」
シオンの背中に冷や汗が流れた。
「だが、魔法士として俺は全てを叩き込んだ。ヤワな鍛え方はしてないぞ、王付きになっても大丈夫なように育てたからな。だから、シオン。遠慮なく思う存分使ってやってくれ。うちの娘は最高だぞ。」
ローベルツがニヤっと笑う。それに答えるようにシオンも笑った。
「わかった。いい働きを期待しているぞ、レミクシア。」
「は、はい!」
父親に上げに上げられたハードル。その期待に応えられるのか、リディアの胸には不安しかなかった。と同時にうまくやっていけそうな安心感も持っていた。
「明日からも頑張らなきゃ。」
こうしてリディア・レミクシアの宮廷魔法士としての初日は終わりを迎えたのである。
ここまでで第1章は終わりです。
次の話から第2章(まだタイトル未定)に入ります。夜会篇とかになるかな?という感じです。
まったりですが更新していくので、次の章もよろしくお願いします。