1.始まりの朝
そこは暗い部屋だった。
その部屋の真ん中には1人の少女が立っていた。少女の顔には戸惑いが浮かんでおり、今日はお祝いだからと着飾ったドレスにはすっかり影がおちてしまっている。
「おとうさま...おかあさま...?」
その少女が瞳に映すのは怒りに燃えた父の顔と絶望した母の顔。年の離れた兄は恐怖を顔に浮かべており、少女と同じ顔をした姉は驚きの表情を浮かべていた。
「どうなさったの...?」
状況を読み込めない少女はいつものように両親を呼ぶ。しかし、返ってきたのはいつものような優しい返答ではなかった。
「もうお前は私の娘ではない!」
恐怖に怯えた父親の声が部屋に響く。
「二度と私たちの前に現れるな..バケモノ!!!!」
ドサッ。
何かが落ちる音で少女...リディア・レミクシアは目を覚ました。そして、気だるそうに体を起こし、頭を抑える。
「嫌な夢をみたわ...」
幼い頃のトラウマを思い起こさせた夢を思い出して、よりによってなんでこんな日にと彼女は思う。
今日は彼女にとって大変めでたい日なのだ。夢によって今日の、そしてこれからの日々に対して突然不安を覚えたリディアは無意識に彼女の胸にかかっているお守りのペンダントに目を向けた。朝日を受けて輝くそれはいつも通り彼女の胸にあり、リディアは安心したように息をひとつついた。
そして、大きく伸びをするとリディアはベッドから起きようともぞもぞと体を動かす。そんな彼女の目に飛び込んできたのは部屋の隅の机の上に置かれた昨夜の彼女の門出を祝うパーティで贈られた大量の花束だった。その1つが床に落ちていたので、どうやら先ほどの悪夢から彼女を引き戻したのはその花束のようだとリディアは結論づけた。
床に落ちたその赤い薔薇の花束をリディアが拾い上げると、その花束に挟まっていた1枚のカードが床にヒラヒラと舞い落ちた。
《貴女に出逢えたことに感謝を》
いつもと同じ達筆な字で書かれたカードのその言葉に彼女の顔が綻ぶ。
「薔薇のおじ様も花束をくださっていたのね。」
コンコン。
ノックの音と「失礼します」という言葉。リディアが「どうぞ」と声をかけるとアリシア付きのメイドのアンナが現れた。
「おはようございます、お嬢様。」
「おはよう、アンナ。ねぇ、アンナ。薔薇のおじ様の花束がここにあるということは、昨日のパーティーに花束を持ってきてくださったってことよね?アンナはお顔を拝見した!?」
挨拶もそこそこにリディアが興奮した様子でアンナに尋ねる。もう彼女は先程悪夢を見たことなど忘れているようである。
「いえ、いつもの通り代理の方が持ってこられたと聞いておりますが。」
その返答にリディアが肩を落とした。
「薔薇のおじ様にお会いしたいものだわ...絶対ダンディなカッコいいお方だと思うのよね...」
顔も名前すら知らない相手に思いをはせているリディアにアンナは苦笑しながら言う。
「お嬢様。薔薇のおじ様もいいですが、はやくご支度なさらないと遅刻いたしますよ。」
「そうだったわ。」
アンナに手伝われながら、リディアが身支度をはじめる。アンナがリディアの美しい金髪を慣れた手つきで結っていく。
「お嬢様、こちらを。」
アンナがリディアに渡したのは真新しい制服。宮廷魔法士であることを示す紫色のローブである。
「どう?」
新しい制服を着ると、よほど嬉しいのか、くるくる回って見せながらリディアは尋ねた。
「えぇ、とてもお似合いです。」
その言葉にリディアが顔をほころばせる。そんな浮かれた様子のリディアは、「お父様とお母様にも見てもらわなくては!」と言ったかと思うと、両親のいるであろう食堂に向かって駆け出そうとする。
「お嬢様!」
リディアが数歩進んだところでかかるアンナの声はリディアを諌めるものだった。
「家の中では走ってはいけませんと何度言えばわかるのですか。」
「ごめんなさい...」
リディアは勉強ができないわけではないが、どちらかといえば体を動かすことの方が好きな、行動実践派である。
「そんなことでは、お城勤めしても、良い殿方に見初められませんよ。」
「うぅ...。」
痛いところをつかれたリディアだった。
リディアは今年で18になる年である。15歳が成人で結婚が認められる黒の国では20歳過ぎまでには結婚しているのが普通で。彼女は伯爵令嬢なので、見合い話などは「リディアの容姿の良さを聞きつけたバカ共(父親談)」から大量に届くらしいのだが、リディアに甘々な父親は政略結婚はさせられぬと全てを断っているのである。そのため、リディアは自分でお相手を見つけなければならないというのが、彼女の置かれた現状である。
「黙っていれば容姿は完璧なのですから、行動に慎みを持ってください。」
アンナの言葉にリディアは少しばかり反論する。
「外ではできるわ!ここは家なんだから、しなくてもいいじゃない。」
「家でできないものが外でできるはず無いでしょう。日常生活の癖は外でもでるものです。」
「・・・うっ...」
リディアが再び言葉に詰まったその時だった。
ドンという音と共に家全体が震えた。リディアとアンナが顔を見合わせる。
「またお兄様ね。」
「アレク様、昨日『いい魔法を思いついた』と研究室に籠られてました。」
「たぶんまた失敗したのでしょうね。」
主人とメイドが2人揃って冷めたようにいう。扉の向こうからリディアの母の「アレク、家を壊す気ですか!」という高い声が聞こえるのも彼女たちの日常である。
「この家でご令嬢らしく行動するのは無理があると思うのは私だけかしら。」
「私も少々無理があったと思います。」
同時にため息をつく主人とメイドである。
「ではお嬢様、朝食にいたしましょう。今日はお嬢様の好きなパンケーキですよ。」
「ほんと!?」
リディアの表情が一瞬で輝いた。
そして部屋の扉に駆け寄る。
「アンナ、早く!急がないとお父様とお兄様に全部食べられちゃうわ!」
そういうと、リディアは部屋を飛び出した。
「容姿はいいんですから...そういうところを直せばご令嬢らしいのですが...」
というメイドの呟きは主人には届かなかったようである。メイドは本日2度目のため息を吐くと主人を追って部屋を出た。
「お嬢様、どうしたのですか?」
リディアが食堂に行く途中の階段で止まっているので、アンナは声をかける。
「また、お母様とお兄様がやってるわ。」
リディアが指差した方にアンナが目をやるとそこには貴婦人とその前に正座させられている青年。貴婦人はリディアの母、ミシェルであり、正座の青年は彼女の兄のアレクシスである。
「お、リディア、おはよう。」
怒られているという状況でもさわやかな笑顔でアレクシスがリディアに挨拶をするので、ミシェルの眉間のシワが深くなる。
「アレク...状況をわかっています?」
「俺が魔力の加減を間違えて家を倒壊させかけたから怒られてるんだっけ?」
「なんで疑問形なのです!」
ごめんって、と軽いノリでアレクが謝るのでミシェルの眉間のシワはさらに深くなる一方である。
「それより母上、早く朝食にしないと俺も父上もリディアも城に遅れますよ?リディアを登城初日から遅刻させていいんですか?」
その言葉に反論できなかったらしいミシェルは「早く食堂に行きなさい。」とアレクシスを急かした。満面の笑みで食堂に向かうアレクシスの後ろでミシェルがため息をついたのは仕方のないことだろう。
「リディアも早く食堂に来なさい。」
2人のやりとりを見ていたリディアにミシェルが声をかけた。
「はい、お母様。」
リディアが返事をすると、ミシェルがリディアを呼び、先程とは違う優しい笑みを浮かべた。
「リディア、その制服とてもよく似合っていますよ。」
その言葉にリディアの顔が明るくなる。
「本当ですか?」
「えぇ、お仕事頑張るのですよ。」
「はいっ!」
そんな会話をしながら、リディアと母ミシェルが食堂に入ると、そこには既に父と兄の姿があった。
「おはよう、リディア。」
この家の主人、ローベルツ・レミクシアが飲んでいたコーヒーを戻しながら彼女に挨拶をする。
「おはようございます、お父様。」
「・・・制服、さまになっているな。」
「ありがとうございます。」
リディアが嬉しそうにそうお礼を言う。一方で発言したローベルツの顔はどこか寂しそうであった。
「朝ごはんにいたしましょう。」というミシェルの号令でメイドたちが朝ごはんを運んできて、今日もレミクシア家4人揃ってのあたたかな朝食が始まった。