第三脅威の勝因 / do not disturb その1
リネン、エルノウ、ポチの三者はナヴィガトリアのアジトの入り口を守る者に事情を正直に話した。エルノウとポチが指摘していた不思議な力、アイテルまたは影結いを知る者が辿り着けるであろうアジトは地下約二百メートルのところにあった。
ポチ曰く、これは古代の防衛施設によくある構造の人工物らしい。建造されて千年は経過しているとのことで、隠れ家にするには雰囲気だけは良いと皮肉を言った。
ナヴィガトリアは三者を歓迎した。しかし入室、会合には条件があることを付け加えた。一つは個人情報の識別暗号の提出ともう一つは彼らが指定する個人識別機械を体内に埋め込むことの二つだった。
ポチは彼らに悟られぬよう『電源』を停止させた。もちろん電源などというものは存在しない。ポチはナーヴァルエービー技術で動いているからだ。この技術はリネンが理解できなかったように、現状ポチにしか知りえないものである。そしてアイテルを知るナヴィガトリアにも理解は難しいと確信したポチは、リネンの背中に抱えられて便宜的な電源を落としたのだった。
リネンはポチの予想以上の軽さにとにかく驚いていた。ポチはそんな彼女の耳元に鼻先を近づけて冷静を仰いだ。
最終的にエルノウとリネンの二人はナヴィガトリアの申し出を受けた。
超小型の個人識別機械は両者とも『右の肩』に埋め込まれた。
入り口を通されると薄暗く長い廊下が奥まで伸びていた。アジトの入り口を守る者は仕事を続けるため中に入るのはリネン達だけだった。
エルノウはふとなにかを思い出したかのようにリネンの顔を覗き込んだ。
「え、どうしたんです」
「ちょっと、名前で呼ぶのを躊躇っちゃってね」
「はい?」
「これ、あげる」
エルノウは衣服の中から赤くて丸いものを取り出してそれをリネンに手渡した。
リネンはそれを廊下から漏れる微かな光を頼りに覗き込む。すると、それはどうやら首にかける形式の装飾品のようだった。ぶら下げるのは半透明の石のような少し重い球体で、リネンがそれを確認するとエルノウが素早い手捌きでリネンの首にかけた。
「うん、似合ってるね。ずっと大人っぽくなって引き締まった感じ」
「あの、これは」
「うん、それはあーか……」
エルノウは、今度はリネンの耳元で小さく『アーカ・ドライヴ』と伝えた。
どうやらこの言葉も聴かれては困るものだったらしい。
「俺が大声で言っちゃうと暴走するかもしれないしね」
「ですから、これは」
「お守りだよ。なんとなく、直感が俺にそうさせたのよ。仮にそうじゃなくなってもいつか使う時が来るかもしれないから今のうちに渡しておこうかと思ってね。なんてったって彼らは戦争上等な集まりなんだし」
リネンはここに来てはじめて自分が危険な場所に行こうとしていることに気づいた。ナヴィガトリアがもし本当にファスークスを襲撃したのだとしたら、彼らにとって邪魔な存在の生き残りが自分かもしれないからだ。
父を探すためにエルノウやポチを頼りにしていたが、今しようとしていることはまるで見当外れな道を進んでいるのではないのだろうか。そんな気持ちが脳内を駆け巡って彼女は焦燥した。
自分が世界中の人に誤解されていること。この払拭が急務だということを心の中で何度も唱えて落ち着かせようとした。いつもならここで発作が起きるところなのに、今回はなぜかなにも起こらない。先のエルノウの施術が効いているからだろうかと彼女は思った。
リネンは直感的にエルノウのことを信じていた。まだ会ったばかりのポチと同様に普通の人種とは違う不思議ななにかに包まれた、どこか懐かしい存在のような感情を覚えたからである。
まるで何年も一緒にいるかのような、奇跡的な記憶の混濁が彼女に認められた。それをリネンは論理的に理解するというより、本能的に理解した。自然に任せて、自分の意思に従って生きようと、なぜかこの廊下を歩いている時にそう思い立ったのだった。
この長い廊下がまるでリネンの思いをまとめるためにあるかのような、そんな運命的な距離をもって通路が行き止まりに達した。
次の扉を進むと中は廊下より少し明るいくらいの大部屋があった。生活感をほとんど感じさせないその部屋には赤い色をした四人掛けの腰掛けと小さな机だけが置かれており、そこに組織員らしき四人の姿があった。
リネン達の入室を見るや映像で見た長い縮れ毛の男がこちらに向かってきた。映像で見るよりも鋭い目つきをしたその男は彫りの深い顔に微笑を作っていた。
「やはり君が来たか。ようこそ、俺の名はドラゴンだ。おそらくテレビを見てここに来たんだろう。我々は君達の来訪を歓迎する」
「やあやあ、どうもどうも。こちらはエルノウだ。それと」
「リネンです」
ポチとエルノウがしまったといわんばかりの反応を示した。今ここで本名を名乗る必要はないからだ。しかしリネンという名が本名かどうかについて確認をしているわけではないので、ポチはすぐに気持ちを切り替えた。エルノウはまだ動揺していた。
リーダーらしき男のドラゴンが手を差し出してきたのでエルノウはそれに躊躇せずに手を出した。するとドラゴンが急に手を引っ込めて他のメンバーが笑い声を上げた。リネンがエルノウを見上げると少し不機嫌な顔をしていた。
「いやすまんな。こちらとしても新入りをただで歓迎するわけにはいかないルールなんでな」
本当に影を結う者なのか、その試験をしたいという。影を視覚化できればその内容は問わないとのことで、早速エルノウが前に出た。
静まり返った空間に一同が注目する。
エルノウは表情を変えぬまま左手を素早くドラゴンに向けて差し出した。すると彼の手から淡い緑色の光が現れた。
「グリーンか。いいね、しかもこなれている。影結いになってからどのくらいになる」
「二年、くらいかな」
「だろうな」
そのやり取りを見てポチが小さく吹いた。リネンはその反応に乗じて、次は私だよねと呟くとポチは最低音量で「そうだ」と返した。
「エルノウからもらった首飾りがある。あれはおそらくアイテル補助器の類だろう。身につけた者の声に反応して働く仕組みのはずだ。合言葉、憶えているか?」
リネンは小さく頷いた。
「次はそこの女子だ。見せてくれ」
リネンは緊張が周囲に分かるくらいに全身を強張らせながら一歩前に出た。
呼吸を整えながらうつむき加減で影結い……アイテルを想う。
一瞬だけ時間が完全に停止したかのような感覚があった。
彼女はこの風景が生涯記憶の中に残るかもしれないと思った。
「アーカ・ドライヴ」
彼女はほんの少しだけ、宙に浮いた。
足元からはエルノウの時と同様に緑色の光を放出させている。
「いいね。君も合格だ」
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『個人識別番号』とは
電気的に生体情報を開示するために与えられる番号のこと。特殊な光を当てることで抽出することが出来るが一般的に個人の体液の提出を求められてはじめて開示許可とみなされる
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「おい、太郎ちゃん。まだ出ねぇのかよ」
リーダーのドラゴンの隣に座る短髪で筋肉質の男はガラームと名乗った。その他には細身で常に無表情なセフメットという男と金髪で色白の小柄な女、ジャロスがいた。そしてガラームが急き立てている対象の太郎という人物はこの組織の主要メンバーの世話係をしており、彼らの生活面なども含めていろいろと支援する立場のメンバーらしかった。
太郎は今、リネン達の個人情報を確認していた。政府が管理している電子情報を閲覧し来訪者がクリーツ側の人間でないことを裏づけるためであった。
しばらく待っているとドラゴンの通信式イヤフォーンに太郎からの連絡が来た。ドラゴンが部屋の隅に行き通信を済ませると穏やかな顔つきで皆に言った。
「エルノウ、リネン。我々は君達二人の来訪を心から歓迎する。早速なんだがこれから我々のアジトへと向かう。移動は単独となる。各自細心の注意を払ってもらいたい。それでは一旦解散とする」
メンバーの三人が立ち上がりそれぞれの歩幅で部屋を後にする。ガラームが去り際エルノウの顔を見てにやりとした。
「お前達が来る前に三十人は始末したんだぜ。とりあえず、おめでとう。あとはあれだな、合格判定した太郎ちゃんにも感謝しないとな。ガハハ、じゃあな」
「そいつはどうも」
ドラゴンは左の人差し指を突き出して本当のアジトの場所をリネン達に見せた。
「ここに来れた君達なら心配ないだろう。ではまた」
そう言い残し長い縮れ髪をなびかせると足早に去っていった。
「つまり、ここはもうじき政府の息のかかった猛者どもでごった返すわけだな」
そう言いながらリネンの背中から剥がれたポチは、今度は自分の背中をぶるぶると震わして全身をほぐした。するとリネンは「その中にジェイサン・クリートの居場所を知っている人がいるかもしれない」と言った。
「リネンちゃん、それはちょっとばかし甘い考えかもね」
ナヴィガトリアはクリーツ側にアイテル使いがいることを知っていたか、もしくはそれを確かめる目的で公共放送を乗っ取ったのであろうことをエルノウは指摘した。
ポチが付け加える。
「自軍の能力限界を把握しつつ敵となる権力の掃討が可能かどうか、そこを見定めるためにもここで一戦を交えるのは適切ではないと判断したのだろう。これは我らにも該当することだ」
リネンは「私達は彼らのように戦争をするわけではないので」と言い切ってから前言を撤回した。
それでも彼女は政府にとって文字通り敵なのであり、このままでは衝突は避けられない運命にあることもポチには分かっていた。
「リネンは、この世界をどうしたいと思っている」
急なポチの質問に一瞬返答に戸惑ったが、リネンは一言「平和な世界」と答えた。エルノウは黙っていた。
「我は長い時を人として生きた。そしてこの身体になってからも同じくらい長く生きている。これまで我はこの星以外の様々な時代を目にし、繁栄と崩壊を経験してきた。……リネン、これは経験則によるものだが、地球は今、人と星の宿命の最中にある。時代が大きく終わりを迎える時はいつも一緒なのだ。同じ原因で起こるのだ。そしてこの星もそうだ。今起ころうとしている変化はその終わりの原因を踏んでいるのだ」
リネンは最後の句を言いよどむポチに催促する。だがポチは「早いところここを離れよう」と言ったきり、機械的に口を閉ざしてしまった。
彼女は不満を顔に出しながらもしぶしぶ出入り口の扉を開いた。
なにやらつまらないことで言い争いをしているリネンとポチを尻目にエルノウはたった今出てきたばかりの部屋の方向に注意を向けていた。
……誰もいなくなった部屋。彼はその中から姿を現すかもしれない『第三者』のことを考えていたのだった。
(……最後まであの部屋に残っていた『人物』は、一体誰なのだろうか)
彼は扉が閉まる寸前に、部屋の天井から人為的な物音がするのを聞いていた。
誰かが隠れているのかと疑ったが、リネンとポチが全く気づいていないようだったのであえて確認はしなかった。
エルノウは何事もなかったかのように振る舞い、注意を維持しながら薄暗い地下を進む……。
結局、後方からの脅威は現れなかった。
「やれやれ、この身体、いつまで持つことやら」
「なにか言いましたか?」
「うん? ああなんでもないよ。独り言独り言」
「……保存完了」
「あれ、ロボのおじさんなにか言ったかね?」
「いや、なんでもない。これも独り言だ」
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