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遠い日のはじまり……素晴らしい世界へ/we will remember not the words of our enemies, but the silence of our friends その1



 運命は多くの人を紡ぎ、自由を与え解き放つ。無数の可能性の中で生きては託し、分岐は遠く霞みがかったなにかを映し出す。



 降り立ったところは、やはりスチートだった。



 あの頃と変わらない外観と人の流れが俺に運命の自由を疑わせる。全ての偶然や奇跡が未来に決定したものであるならば、俺という運命もどこかの誰かがあらかじめ決めたことなのかもしれないと。

 正直覚悟していたのだ。過去の面影も残らない世界を彷徨い、仲間などいなくて諦めて、世界のあるべき姿だけを理想として受け入れる最後を。

 実際はそうでもなさそうだった。彼らが存在している現実の可能性も十分にありえた。鼻に当たる懐かしい匂いや降り注ぐ日差しは、まさに彼らの存在を想起するに容易いとすら思った。



 ここに来てすぐに確認したいことがあった。それはこの世界にクリーツが存在しているのかということだった。今の地球人の九割以上は五万年前と変わらない純血を現在も維持している。同じ論理で研究されていたとしたら、技術は完成していないはずだった。

 詳細を調べてみる。最初に理論を発見したのはとある女性研究者だと分かった。実用に向けての研究もなされていたみたいだが、やはり成功確率の低さから事業協力を名乗り出る企業は現れなかった模様。その後クリーツに相当する研究は各所で頓挫したらしく時流の変化とともに風化していったらしい。完成されたものは現在も世には出てきていなかった。

 予想通りの結果となった。だが望んでいた未来の一つが実現したことに俺は嬉しさというよりも言いようのない切なさを感じた。クリーツ開発が失敗に終わったことを心から喜んでいる者はこの時代に一人もいなかったからだ。

 運命の結果論から導き出された最良の選択が一部の誰かを悲しませているかもしれないと思うと複雑な気持ちになった。信じてきたものを分かち合えないということがこんなに寂しいことだとも思わなかった。



 次に確かめたのは巨大隕石についてだった。世界に点在する天文観測施設に直接訪問し事実確認をして回った。

 怪しいものも含めてそのような兆候は報告されなかった。原因は不明のままだったが、俺はこれを星の意思が下した現実であると解釈した。今の地球の文明は星の意思にとって存在する価値のあるものだとこれからも信じたかった。

 確定的な未来の回避に必要な要素は揃った。これでなにも起こらなければ地球人類の滅亡はなくなるはず。

 なんというか、呆気ない終焉だった。争いの火種が生まれないことはそこにあるところ全てが平和なのは当然の結果だ。それなのに、未だ不安の払拭が不完全だと感じる自分がいる。どこかに見落としがあるのだろうか。それとも刺激を求めているだけなのだろうか。

 現時点で明確な答えを出すことは困難だった。それほどにこの時代の人の世は穏やか過ぎる生活を送っていた。



 この地球は確かに救われていた。理想の幸せで満ち溢れていた。だがそれと同時に心から喜べない自分がいることにも気づいていた。この思いはどんなに押さえつけても止めることは出来なかった。

 実のところ、今の世界を誰かと共有したい願望があった。高望みであることは重々承知している。それでも俺は、かつての戦友達の面影を探さずにはいられなかった。



 胸に秘める大きな想いを押さえつけつつも、俺は世界各所を巡り人々に溶け込む彼らの顔を捜索した。

 最初に見つけたのはドラゴンとガラームだった。俺の心は舞い上がった。この星にいてくれただけでも十分に満足だった。

 遠くから彼らを観察する。二人が仲睦まじく話しているところを眺めていると、変わってしまったものとそうでないものの両方が同時に映り込んでくる感覚を覚えた。

 彼らの間にはこれまでの過去があり記憶の蓄積に基づいた信頼が形成されている。自分には入り込めないなにかがそこに出来上がっていたのだ。

 慎重に声をかける。彼らは気さくに応じてくれた。当然俺とは初対面の対応だ。

 話を聞くと彼らはケプというところで宇宙開拓事業を立ち上げているのだそうだ。まだ小さな組織なので地味な仕事しか入ってこないのだが、そこの首長の資金援助のおかげで事業は順調に進んでいるとのことだった。

 二人は今、先日新たに加入してきた新人のことについての話に花を咲かせていた。


「噂によると脳科学に関係する新技術を研究していた凄腕らしいな」

「確か自分も脳の一部に障害を持っているとも聞いたな」

「なんでそんなやつがここに来たんだ? 優秀な頭脳が増えることは大いに歓迎なのだが、どこか引っかかるぜ」

「二十二歳、見た目は普通だったな。実は俺も気になっていたんだ。そうだガラーム、直接聞いてみてくれよ」

「俺がか? よせよ。女なんだろ、しかも秀才ときたら住んでいる世界がまるで別もんだ。鼻で笑われるに決まっているぜ」

「だからいいんだろう。そもそも興味がなくてこんなところに来たりなんかしないさ。きっとお前の良さだってすぐに見抜いてくれるはずだ」

「ドラゴンよ、お前なんか変なこと考えているんじゃないだろうな?」

「杞憂だ。それよりもガラーム、あれ、忘れていないか?」

「……おおそうだった。あいつに片づけ任せっきりだったぜ」

「今夜は『デミーロ』に旨い酒を奢らないとな」

「久しぶりに、朝までやるか?」

「いいから早く行ってこいよ」


 そこには明日に向かって突き進む男達の日常があった。出会い、そして触れ合い、未来を探索する。それはまさしく俺の世界と乖離した彼らの世界だった。

 今後交わることがあるのだろうか。

 もしあるとするなら、それは今ではないような気がした。

 俺は彼らのこれからの飛躍を祈りつつ、その場を後にした。


「……あれ? いなくなってる。なんだよ、せっかちな男だな。まあいいさ、礼を言うのは今度の機会にしよう……。ん?」




 次に見つけたのはリネンちゃんこと、コーネリアだった。彼女の名前でいろいろ調べてみるとすぐに所在が分かった。医学界の権威として世界中に名を轟かせている男の名が彼女の父、アダル・リネンだったのだ。

 彼が在籍しているリギーケントゥーロの総合医療施設に行くと、その屋上に家族三人で並んで座っているところを発見した。

 遠くから見る三人の楽しそうにくつろぐ後姿は、愛に満ちた家庭そのものだった。笑顔を作るコーネリアの横顔、頭を掻く父、その肩に身を寄せて娘同様に笑う母。

 そして彼女の母が横顔を見せた時にそれは起こった。俺と目が合ったのだ。

 『彼女』は俺に向かって小さく頷き、人差し指を一瞬だけ口元に添える。


「……君が、母親だったのか。……それでか」


 テメロムと共にリンボルを出たエアだった。彼女が生きてこの世界にいたのだ。

 それは時代を超えて辿り着いた先に、知っていた者との再会が訪れた瞬間だった。

 その直後、自分という存在がこの地球に意味のあるものとして実体化したような気がした。



 俺は彼女達のもとに行こうとした。

 『エア』の記憶の中に眠る生きた軌跡を求めて……。



 手を伸ばした先にある、暖かい日々への証明。

 こっちに来るなと訴えるエア。それでも手に入れたいなにか……。

 目に映るのは、守りたかった家族の正常な世界……だった。



 結局声をかけることが出来なかった。それが自分の覚悟した未来の代償であることをエアは分かっていて、俺にそれを気づかせたのだった。

 語りかける言葉はきっとない。それが現実だった。しかも到達点だった。

 再会を必要としない未来を望んで選んだ彼女を、俺がさらに掻き回すことがあってはならないのだ。

 今の自分は地球にとって余計な色でしかない。自然が作った美しい色彩が濁らないうちにすることは一つしかなかった。背中を向けることだった。


「いつまでも、お幸せに……」


 三人の家族は、どこまで遠く離れてもきらきらと輝いていた。



 次に見つけたのは太郎だった。彼は政治家になっていた。世界をより安定した争いのないものにするために精力的に活動しているようだった。彼の思想を支持する人も少なくなく、次代の大統領候補として期待されるほどの注目を浴びていた。

 公共映像から映し出されるその顔は、かつての迷いを感じさせない真っ直ぐで純粋な眼差しだった……。



 イルカを探そうと調べてみたが簡単には見つからなかった。もしかしたらこの世界にはいないのかもしれないと諦めようとも思った。とりあえず別の人物を探そうと旅を続けた。そしてあっさりと再会できた。

 偶然見つけたセフメットに寄り添うイルカの姿を発見した時、俺の知らない彼女の過去と秘密が露になったような気がして少し気恥ずかしくなった。

 彼女の表情はとても穏やかだった。かつてのように強く、優しい姿が今も変わらずそこに立っていた。

 遠くからであったが彼女はセフメットのことを『デュア』と呼んでいた。それがきっと彼の本当の名前なのだろう。

 しばらく様子を窺うことにした。

 二人はとても幸せそうな笑顔を交わしている。見たことのない表情だった。あれが本当の彼女なのだと思うと幸福感を得られる反面、過去の彼女への喪失感みたいなものを感じた。



 俺が会いたかったのはどちらのイルカだったのか。今となっては本心ですら分からないほど複雑な思いを巡らしていた……。



 セフメットはなにかの用事を思い出したのかその場を離れていった。無事でいてくれたことに満足した俺はこのまま去ろうとした。するとイルカは俺のほうを向いた。笑顔を見せてきたのだ。

 まるであの時のように、なにもかもを見通している彼女がそこにいるような感じがした。思わず声をかけてしまったが、距離が縮まるにつれそれは妙な安らぎへと変わっていった。よく見ると、彼女の下腹部に少し膨らみがあった。


「……あの、すいません」

「なんですか?」

「あの、憶えてます?」


 そもそも質問の仕方がおかしかった。

 首を傾げて知らないと答える彼女。当然である。


「今、何ヶ月、ですか?」

「……あ、はい。五ヶ月目です。……ところですみません、どなたでしたっけ? もしかして主人のお友達ですか?」

「まあ、そうです。旧友ってやつです」

「彼ならすぐ戻ってきますけど、少し待ちます?」

「いいえ、大丈夫です。急用があってすぐに行かないといけないので。彼、デュア君にはいつか日をあらためてこちらから連絡をするとお伝えください」

「分かりました。ではそう伝えておきます。失礼ですがお名前は?」

「エルノウ、です」


 そう言って歩き出そうと背中を向けると、イルカがなにかを伝え忘れたとばかりに声をかけてきた。

 振り向いて彼女を見ると、涙を流していた。



 ……真っ直ぐに見つめる瞳には、あの頃の彼女の夢が映っていた。



「……本当に、ありがとうございました」



 俺は言葉を返すことなく、軽く頭を下げてその場を去った。



 仲間達は皆それぞれの道を進み、考え、それぞれの幸せを掴み取っていた。未来は確実に改善されていた。それは彼らだけでなく世界中のどこを見て回ってもそうだった。これだけでも十分な幸せを噛み締めることが出来た。心の底からそう思った。

 しかし不足している現実に目を背けることも出来なかった。

 アシュリの生きた痕跡が、どこにも見当たらなかったのだ。



 はじめは諦めようとした。でも無理だった。

 彼女との約束が俺という存在の生きる希望だった。

 そしてこの世界は、彼女を除いて全てが美しかった。



 ……もう一度戻ることが、正しい選択となるのだろうか。



 チェヌリの力がある限り俺の欲望は歪んだ成就を遂げることが出来る。

 この素晴らしい世界を否定してまで彼女を取り戻すことが果たして正義なのだろうかと自問はつきない。



 辛い結果になってしまうが、やはり間違っていると思う。



 ……これがみんなの幸せなんだよな。アシュリ……。



 事実上チェヌリは機能を停止した。

 今の俺に必要なものは、希望を忘れない明日だけだった。



 世界の歴史を調べてみるとすぐにポチらしき人物が見つかった。彼は異星文明侵略後に宇宙を飛び回り平和を導く戦士として星々に降りかかる災いを収めていた。いつの日か人々はそんな彼のことを英雄と呼ぶようになり、異星は彼に助力を求めていった。

 その後については謎に包まれている部分があり、ある時自身の生涯を締めくくることを宣言したらしい。彼の信奉者達はただちに彼の長期低温保存を提案する。そうして発足されたのが『英雄保存委員会』だった。

 当人は委員会の願いを快諾しなかったが、とある文書に書かれている内容以外に目覚めさせないことを条件に承諾したのだという。

 その文書は噂の域を出ることはなく現在も英雄の秘密文書として内容が一部の情報収集家の間で議論されているらしい。



 俺はポチが眠っている場所を突き止めてそこを訪ねた。すぐに門前払いを食らった。理由は単純だった。立ち入りを禁じられていたのだ。

 『英雄保存委員会館』、そこが彼の眠る場所だった。

 ……そして俺は、今日もここの入り口で頭を抱えていた。



 力ずくで入ることは容易かった。彼がそう願っていたのなら俺は喜んで突入するつもりだった。だが過去に残したポチの言葉にはそのような願いは一つもなかった。

 警備の者にも完全に顔を覚えられてしまった。このままではいつか不審者として捕らえられる日も近いだろう。


「……そこに入るための最低条件は特権者であること。なおかつ組織幹部の紹介が必要になる。つまり、あなたでは無理」


 後ろから声がしたので振り向くと、そこには見たことがあるような、ないような面影の成人女性が立っていた。不思議な髪の色……どこかで見たような気がしたのに、どうしてもすぐに思い出せない。


「ヒムカよ。久しぶりね、エルノウ」


 思い出した。あの時はちょうど俺の腰くらいの身長の少女だった。確かに面影はあった。今は俺の肩くらいまで成長していた。

 ……。

 それはおかしかった。いや、おかしいところがまだあった。ついでに彼女はあの世界でもおかしかった。人の未来を見ることが出来たと記憶していたが、なぜこの世界の俺を知っているのか。むしろそっちのほうだった。知っているからと言われればそれまでの話なのだが、とりあえず質問をぶつけてみることにする。


「お腹が空いているの。これから一緒に昼食でも摂らない?」


 強引に連れていかれたお洒落な店に着席すると、まるでいつもそうしているかのように顔を向け合い今日の天候の話をはじめた。俺は流れに身を任せて適当に返事をする。頭の中は疑問で爆発しそうだった。


「かなり昔に私はあなたに不思議な言葉を残したと思うけれど、憶えてる?」

「さあ、どうだろうね。君と会ったのはずいぶん昔のことだから。そうだな、まだ記憶が戻っていなかった時のことだよね」

「そうよ。そこを憶えていただけでも大したものよ。で、どうだった?」

「なんのこと?」

「地球は、救えたの?」

「なんでもお見通しなんですね。見てのとおり、平和そのものさ」

「良かったじゃない。おめでとう。これで願いが叶ったのね」

「ちょっと、いいかな」

「なに?」

「なんで君がそんなことまで知っているんだ。俺は君が知らない世界を辿って来ているのに、なんで君とあの世界の過去を共有しているのか。それが分からない」

「知ってどうするのよ。世界は平和なのよ。それでいいじゃない。しかもこんなに若くて綺麗な女性が目の前にいる。贅沢ってものよ」

「俺には不都合な事実を隠しているようにしか見えないが?」

「そう思うんだったらそれでいいわ。まったく、今日はとってもいい天気だというのに、楽しい一日が台無しよ……」


 注文したものが届くとヒムカはそれを無言で食べはじめた。どうやら本当に空腹だったらしい。気が立っていたのはそのせいかもしれないと考え、俺も彼女に倣い黙々と摂取に取り組んだ。


「……うまいな」

「そういうところは素直なのね。今の私の一押しなんだから、まあ、当然なんだけれどね」

「ところで俺、支払えるものを持っていないんだけど」

「奢るわよ」

「そうか。それは助かる。礼はあとでするよ」

「今、言ったわよね?」

「ああ、礼はするよ」

「じゃあ、こういうのはどう?」




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