静かなる宣戦布告 / nomad full stun その1
リネンは施設内にある非常用の階段に一人座っていた。今自分の置かれている状況を静かなところでゆっくりと考えるためだった。
一度意識を失ったせいなのか、またはエルノウの施術のおかげなのか彼女の心に悲しみはなかった。第39世界政府代表の口から漏れた死罪という言葉が彼女を自然と未来に向けていったのである。
この世界の情報伝達技術は特権者と非特権者の最下段の間に隔たりがないほど迅速な発信と共有が可能だった。つまりリネンは先の報道で自由を奪われたのである。安易に外出をすれば不特定の者に拘束される。リネンはポチやエルノウのような理解者かもしれない人物は果てしなく少ないだろうと思った。
これからどうするのか。どこへ向かうべきなのか。彼女は今後の生死を左右するであろう選択を迫られていた。
「あれ、お客様、どうかいたしましたか?」
後方から女性の声がして慌てて振り向くと、施設の案内役の制服を着た若い女性が立っていた。
リネンは「いいえ、別に」と言って顔を伏せたがどこかで見た顔だと相手に言われて身の危険を感じ、退散しようと立ち上がった。
「待って、大丈夫だから」
笑顔で近づいてくる女性にリネンは警戒した。
「あなた、今日のテレビに出てた人よね。今は一人?」
そう言われて逆に面を食らい、連れが部屋にいることを伝えてしまった。案内役の女性の笑顔がリネンには無邪気に見えたのである。
今の時代にしては珍しく茶色い髪を肩まで伸ばしたその女性はリネンよりも長身で年齢も少し上に見えた。自分が二十二歳なので二十五から二十七歳くらいではないかとリネンは想像する。
そんな彼女には大人の女性らしい艶やかさが滲み出ていた。
「なにか考え事でもしてたのかな? もしかして私邪魔でした?」
「あ、いいえ、あ、そうですね。あ、そうじゃなくて」
慌てるリネンに女性は満面の笑みを見せた。
「もしよかったら隣、座ってもいい?」
「あ、はい」
「大丈夫だって、捕って食ったりなんかしないから」
彼女は『妙見コトリ』という名前で三年前からこの宿泊施設で働いているらしい。今は休憩中でたまたまリネンの後姿を見つけてついてきたのだという。なにか思い耽っているような様子だったので声をかけてみたとのことだった。
それを聞いたリネンは思い切って彼女に現在の状況を話した。コトリはリネンの説明を一切疑うことなく聞いていた。そして屈託のない笑顔を見せた。またリネンは現状説明の他に気にかかっていたことをコトリに打ち明けた。
それは在りし日の祖母ジェンのことだった。
ある日ファスークスに一度だけリネンの様子を窺いにジェンが来たことがあった。所内を行き来する者達にリネンのことを聞いて回ったらしく、どうやらリネンが嫌がらせをされている事実を知ってしまったようだった。そこにたまたま通りかかったリネンは笑いものにしている所員の調子に合わせて孫を馬鹿にするジェンの姿を見てしまったのである。
リネンはジェンのことを家族として、祖母として、そして育ての母として心から愛し、信用していた。彼女の高笑いが所内に響き渡る中、リネンは大粒の涙を両目に蓄えながらジェンとのあらゆる繋がりを絶とうと心に決めたのだった。
そんな祖母が最近この世からいなくなってしまった。リネンはこの事実を知った時、複雑な気持ちの中でほっとした自分がいることに気づいた。そして今は、悲しみとは少し違う言いようのない寂しさを覚えていた。リネンにとってこの告白はコトリがはじめての人だった。
コトリは話を聞き終わった後もしばらく黙り込み、リネンが落ち着いたことを確認してから優しい声で呟いた。
「……今はそれでいいんだよ。きっとリネンちゃんはなにも悪くないから。いつか全部良くなるから」
そう言うと彼女は横から肩を引き寄せるようにリネンを抱いた。
そこから少し距離を置いた後方で、ジェンの上着を片手に掴んだエルノウが立っていた。
彼は二人の会話を足を止めて聞いていた。リネンの告白の後、自分の出番はないと思ったエルノウは、上着を少し強めに握り締めて部屋へと戻った。
「じゃあ、こうしよう。事実が公表されるまで私の家に住んでいいよ。もちろん、ただでとはいかないけれどね」
急なコトリの提案にリネンはすぐに断ろうとしたが、そうするよりも先に彼女は立ち上がった。
「はい、決定ね。リネンちゃんに断る理由はなし。私それ知ってるから。とりあえず後でそっちに行くから連れの人を紹介してね」
リネンの両肩にやさしく手を置くと「じゃあ、またね」と言い残して上の階へと消えていった。
コトリを見送ったリネンはまた一人になって暗い非常階段で寂しく涙を流した。
部屋に戻ってエルノウとポチにコトリの提案について話すと、両者ともコトリの身の危険を心配した。これ以上多くの人を巻き込んでしまうといずれは自分達の首を絞めることになりかねない。リネンもその考えには同意見だった。やはり断るべきだろうという結論に達したところでエルノウがリネンに今後自分も同行することを伝えた。ポチがしぶしぶ了承したことを確認するとリネンは今後の予定について話しだした。
まずは彼女の父、アダルと会うために情報を仕入れなければならない。祖父の話から記憶情報一時保管システム『クリーツ』についての情報を辿ってジェイサン・クリートとの接触を図る。当面の目標はこのようになるがそれでもいいなら協力してほしいとリネンはエルノウに頭を下げた。エルノウは自分が記憶喪失者であることをリネンに話し、よく分からないけどこちらこそと言い感謝した。
彼らは出会いの理由を知らないにも拘らず、心の奥底でなにかしら通じ合うものがあったのを認めていた。語る言葉は少ないが目には見えない特別な時代の潮流が互いを後押ししていた。進むべき道にある希望へと差し伸べる手の方向の一致が、彼らに必要十分な言葉を選ばせていたのである。
ポチという謎の四つ足機械、エルノウという不思議な力を持った記憶を求める男、そして全人類の敵と勘違いされたリネン。それぞれの行き着く先に待っているものは希望か、それとも……。
「おっまたせー」
部屋の鍵が勝手に開いて妙見コトリが入ってきた。三者がはっとして入り口に視線を集めると、そこには無邪気な笑顔があった。
「あれ、もしかして今邪魔でした?」
頭を掻きながら様子を窺うコトリを見てリネンが慌てて紹介すると、彼女は早速自分の家の住所が書かれた紙と部屋の鍵を手渡してきた。
「あらら、なかなかの男前がいるじゃない。この人ネンちゃんの恋人?」
得意げに自己紹介をはじめようとしたエルノウをさえぎって、リネンは人助けをしてくれた親切な他人であることを説明した。
「じゃあ、そこのメカワンちゃんは? なんだろう? 見たことがない型ね」
「あ、これは私のお茶汲みロボのポチです」
「わん!」
「へえそうなんだ。この子部屋の掃除とかも出来るのかな」
「たぶん、出来ます」
ポチが小声で「今はそんなことをしてる場合ではないだろう」と言うと、エルノウがそれを遮るように前進してきた。
「あーあー掃除でしたらこのエルノウのほうが得意なんでやりますよ。もうね、なんだってやりますよ、はい」
「ほんとに? うれしい。じゃあエルノウさん早速明日からよろしくね」
「はい、喜んで」
リネンはもうこれで断ることが出来なくなったと諦めてコトリになにか飲みたいものがないかを尋ねた。コトリはハーブティーが飲みたいと言いながら部屋に常備されている映像機器の電源を点けた。すると、世界中が注目している例の襲撃事件の最新情報がまた流れていた。
「あれ、なんだか様子がおかしいわよ」
急に画面が乱れたと思いきや、過激派組織と呼ばれているナヴィガトリアのリーダーと名乗る男、ドラゴンが公共放送を乗っ取ったことを告げる映像が流れ、全世界に向けての声明を発信すると言い出した。内容はこうであった。
『先に起こった先進医学研究所ファスークスの襲撃に我々は誰一人として参加していない。また、ファスークスを襲撃する理由もない。我々はかねてからクリーツ技術に異を唱えてきたが、それは意識転送後の新世界に住まう権力者に対して向けられるものである。そして、物質文明に留まる残存危険因子を抹殺する可能性を示唆する財団側に向けられるものでもある。彼らの意向に対する平和的解決を望む我々にとって、先の襲撃は明らかに逆効果しか生まないものであり、ゆえに発信された報道、政府代表表明は直ちに訂正するべきである。我々の要求が通らず、また全人類の解釈が変わらないと判断した場合、我々ナヴィガトリアは和平交渉が決裂したとみなし、単独によりクリーツ財団及びそれに関わる全組織と同盟を結んだ集団、国家権力者に宣戦を布告することになるだろう。……我々の同志に告ぐ。この私の呼び声になにかを感じ取ることが出来た者は今すぐに立ち上がり、我々と共に真の平和と永劫の共存を取り戻そう!』
最後の言葉を発した際に、リーダーのドラゴンが左人差し指を顔の前に向けた。
その所作にエルノウとポチがかすかに動揺した。
「ふう、やれやれだな」
エルノウが呟いた。リネンもコトリも食い入るように画面を注視している。
「これはもしかしたら派手な戦争になるぞ」
リネンとコトリはエルノウの次の句があるのを待った。
「念のために聞くけれど、最後のあれ、見えた人いる?」
「わん!」
「そうかそうか、よーしよし」
根拠のない愛撫をされてポチが唸るとそのままリネンのいるほうに駆け寄っていき助けを求めた。
「まあ、なんていうか、超能力みたいなもんよ。これであの組織がなにを使って戦いを挑もうとしているのかが分かったようなもんだよね」
「あ、それ知ってる。オカルトの専門用語で確か『影結い人』っていうやつじゃない? つまり、どういうこと?」
「コトリちゃん。君、結構いける口だねえ」
「は?」
「まだ詳細な情報を手に入れていないから断言は出来ないけれど、クリーツってやつがどうもきな臭いということが分かったってこと。その、影結い人だっけ? あれは特殊なものでね、ある条件を満たしていないとなることが出来ないんだよ」
「条件?」
ポチはエルノウの言葉を真剣に聞いていた。実に用心深く。
「人とはなにか、この星とはなにかを知り、星の外の世界を許容する潔さを持った者だけが習得することが出来る能力、て言っても分からないよね」
コトリはさっぱりといった様子で天を仰いだ。リネンは落ち着いた声で問う。
「それとクリーツになんの関係があるのですか?」
「いずれ分かると思う。リネンちゃんにも」
そう答えるとエルノウはそれ以上のことを語らなかった。しかし最後にナヴィガトリアに会いに行かないかと提案してきた。
「奴等はクリーツに攻撃を仕掛けるかもしれない。つまり奴等はクリーツの偉い人物がどこにいるのかを知っているんだと思うんだよね。なんとかして聞き出せないかな」
すると映像機器からさらに最新情報が入ってきた。
それは第39世界政府からの正式声明だった。
『過激派組織ナヴィガトリアの宣戦布告に対し、クリーツ財団及び政府としてはいかなる武力においてもそれを掃討する準備をしなければらない。平和的解決を望むのであれば即座に投降するべきである。クリーツ技術の侵害は世界人類の未来に対する否定であり、未来を打ち滅ぼそうとする者は組織員でなかろうとも政府の敵であり人類の敵である。彼らはその先駆たる輩であり、今も今後も彼らが敵であり続けるだろう。しかし、今ならまだ彼らへの救済の余地がある。心を入れ替え戦争に参加しない、加担しないと誓い武器を下ろしてくれるならば、その全ての者に無償でクリーツ世界へ行くことを保障する。また、本日を境にクリーツ世界は全ての民に平等に迎え入れる準備が出来ていることを宣誓する。現在既に移行している者に関しては特別な階級を設けることで理解をもらっている。我々が欲している未来は争いの進化などではなく永遠の平和である。ナヴィガトリアの意志を持つ者にもこの思いが届くことを切に願う』
「……これはいよいよはじまったみたいだね」
「これは私にも分かるわ、戦争よね。でもどうなんだろう」
エルノウがコトリの疑問に対して説明を促した。
「だって、どう考えたってお国の勢力のほうが強いじゃない。おそらくクリーツ単体で見たってそうよ。なのにあなたはなんでナヴィガトリアに会いに行こうだなんて言ったのかなって」
「私もそう思います」
リネンもコトリに続いた。
「……それは、アイテルを制した者が世界を制するからだ」
「あら、あんたおしゃべりロボだったのね」
ポチが皆が座る椅子の一つに乗っかった。
「アイテル?」
そう呟いたのはエルノウだった。
「細かいことは言えないが、あの過激派がこの世界にとって正しいことをしようとしていることは確かなのだ。エルノウの提案にもいささか強引なところがあるが概ね正しい選択となり得よう。あとはリネンが決断をすれば事は次に運ばれるはずだ」
「行きましょう」
リネンはあっさりと答えた。だが、ナヴィガトリアに会おうにも居場所が分からなかったのでこの話は頓挫するのではないかと付け加える。
「さっきの映像に出てたな」
「そうそう、出てた出てた」
エルノウとポチが口を揃えて問題の解決を伝えた。急に動き出したリネン達にコトリは遠慮しながら退出しようとする。だがリネンは咄嗟の判断でそれを止めた。
単独行動は危険とみたリネンはコトリに同行を提案する。コトリは仕事があるからと辞退したいと言い出し、ポチは「いずれ仕事もしていられなくなるので逃げるだけの生活が待っているだろう」とリネンの意向に乗じた。エルノウも後に続く。
「確かに、戦争がはじまれば政府も情報収集に本気を出すと思うよ。そうなればここの宿泊記録と目撃情報でリネンちゃんと俺達のことがばれてしまう。コトリちゃんは見たところ普通の人みたいだからきっと簡単に捕まって、それからきつい尋問が待ってるはずだよ。下手に黙秘しようものならあんなことやこんなことが……」
リネンがエルノウの口を塞いだ。
「とりあえず我らに任せてくれないか。悪いようにはしない」
ポチの頼みにコトリは少しやけになったような様子でしぶしぶ了承した。
「この俺様ことエルノウ様が姫をお守りいたします」
「そ、そう、じゃあ、よろしく頼もうかな」
「コトリ殿、かたじけない」
「コトリさん、あらためてよろしくお願いします」
そして、コトリが仲間に加わった。
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