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見上げれば空言 / one handed prayers



 ビルダンから北東に約四百キロメートル離れたところにある『アルファーラッツ』という都市に太郎と親交があった医師がいるということだったので、エルノウは全身の骨が砕けたドラゴンを背負ってそこに向かった。彼の全速力で五時間の距離にその都市はあった。

 ドラゴンは終始セフメットの死を悔やみ感傷的な言葉を吐いていた。冷静を勤めたエルノウも死者に対する想いはドラゴンには劣ったがあった。死を負けとするならばセフメットは運命に負けただけなのだと自分に言い聞かせながらエルノウは走り続けた。



 アルファーラッツはスチートに並ぶ大都市で、文明に順応した人々の充足を叶えるための設備で溢れていた。到着した彼は巨大な鉄の要塞のようにごつごつとした人工物を見て妙な安心感と吐き気を同時に覚えた。

 『シンクライダー』という名前の医者はぼろ布のように朽ちかけたドラゴンを見るや自己紹介も後回しに医務室へ運ぶようエルノウに指示した。エルノウはシンクライダーの眼差しや所作に胡散臭さを感じたが黙って様子を見ることにした。

 なぜそう感じたのか。それは彼がドラゴンを治療しようとしていたからである。

 高濃度のヴォイド流が骨に蓄積している身体にアイテル治療を施す行為はほとんど意味を成さないことをエルノウは知っていた。そしてこのシンクライダーという男はまさにそれを行おうという姿勢をとっていた。エルノウには理解しがたい行動だった。

 ところがその一時間後、ドラゴンは彼の施術で回復の傾向を見せた。


「まじかよ。あんたすげーよ」


 エルノウは半信半疑のまま、しかし素直に感心した。


「これが仕事ですから」


 言葉を自由に発せられるようになったドラゴンはシンクライダーを太郎のかつての同志として紹介した。エルノウはビルダンでの一件でどうにも解せなかった事実を今のドラゴンの発言で解消させることが出来た。


「それであの子、強かったのね」

「シンクさん、この人もすごく強いんです」

「そうですか、では少し調べてみてもいいですか?」


 シンクライダーがエルノウの上着を脱がそうと手を出してきたのでエルノウはそれを優しく断ろうとして二人の指が触れた時、エルノウの胸元が開いた。


「これは、なんでしょう? 不思議な形をしていますね」

「いやんだめよん」


 エルノウは内心苛立っていた。この男の行動はエルノウのいつもの調子を狂わせるなにかがあった。そしてなにかを見透かしているような攻撃的で穏和な視線があった。そんな彼の断続的な不意打ちをエルノウはそれとなく回避しようとする。するとそれすらも楽しんでいるかのような微笑がエルノウに降り注いだ。


「少し私のことを話しましょうか」


 シンクライダーはアルファーラッツの医師の一人として個人病院を営んでいた。青年時代から生命体の構造の神秘に興味を示していた彼は学業の大半を人体研究に費やし、その最中、偶然アイテル存在に気づくことになる。同じくその存在を見つけた太郎達との情報共有の末、自らもアイテル使いとなった。

 新しい能力に目覚めた彼はそこからアイテルを通しての特殊な治療法の開発に取り組んだ。そして研究は今も続行している。

 太郎とはかねてから知り合いだったザ・クラウンという探偵を通じて出会う。シンクライダーのアイテル力量や戦闘能力は他の二人に劣るもその理解については太郎を遥かに凌ぐ知識を所有していると自負する。

 ナヴィガトリア結成時、彼も在籍していたが太郎との意見の食い違いからすぐに脱退した。人の争いを嫌い平和主義を貫くシンクライダーだが、思想そのものは太郎やザ・クラウンと通ずるところもあるゆえ不定期に交信はしているのだという。

 現在、太郎とは連絡が取れないのだそうだ。

 アイテル流による直接治療を考案したのはこのシンクライダーで、太郎やもう一人の仲間のペイスは彼の方法を参考に独自の治癒術を会得している。そしてペイスは彼の方法論を自分なりに解釈し、シンクライダーとは間逆ともとれる現実離れした治療法を編み出した。

 それが原因となりペイスとはあまり連絡を取っていないのだという。ちなみにシンクライダーの治療法は現代医学を応用したもので、そのほとんどは外部刺激を与えることによって行われる。



 次の日の朝、ドラゴンは立てるまでに回復した。そしてエルノウはシンクライダーという男への深入りは危険だと判断した。丁重に礼でもすれば手ぶらで帰らせてくれるかもしれない。あの面倒な網にかかる前にさっさと済ませてしまおう、そう思っていたのである。


「ドラゴン君、よかったですね。奇跡的に脳にも損傷箇所は見られません。しかし鮮やかな攻撃を食らったものです。相当な相手だったとみる。いや止めておこう。詮索は不要だ。厄介ごとに巻き込まれたくはないですから」

「この恩はいつか返します。あと後日になりますが送金しますので金額を」

「いいよいいよ。太郎のお友達にお金は取れませんよ。そうですね、これからも彼のことを守ってやってください。それで結構ですよ」


 ドラゴンは目に涙を浮かべながら深く頭を下げた。

 エルノウは軽く左手を上げてお辞儀をする。


「ところでエルノウさん、その腕はどうします?」

「へ?」


 エルノウの右腕は肩からなくなっていた。先の戦闘で黒焦げになり機能しなかったため自分で裁断したのであった。

 正直なところ、新しい腕を欲していた。だがこの男の手に触れられる展開を彼と彼の本能は嫌がっていた。

 エルノウは考えるまでもなくシンクライダーの再生治療の提案を丁重に断った。


「いらない」

「そんな駄々っ子みたいなこと言わずに、まずは腰掛けてください。ほら」

「はあ、まじですか」


 今後イルカと再び闘うことがあるならば、同様の腕では同じく砕け散るだろうとエルノウは考えていた。

 次で相手を倒せるとは限らないのであるに越したことはない。でもシンクライダーは胡散臭い。彼は悩んでいた。


「エルノウ、治そう」


 それはドラゴンの一声だった。

 エルノウは結局、男達の厚意に従うことにした。



 時間を浪費したくなかったので仕方なく腕がなくなった経緯を話した。するとシンクライダーはエルノウに新たな案を提示してきた。腕を再生する際に高濃度のアイテル流を晒すことで以前よりもアイテル抵抗を強固にした腕を作り出すことが可能だというものだった。彼は半信半疑に聞きながら論理的には正しいことを頭の片隅で認めていた。


「やってみる価値はあるかもね」

「価値もなにも、きっと満足してもらえますよ」


 ドラゴンの笑顔を見て、エルノウはシンクライダーの提案に身を委ねる覚悟を決めた。


「じゃ、お願い」



 一週間後、エルノウの腕は見事に再生した。しかもその性能は本人の想像を超える耐久力を持っていた。若かりし頃に使っていた身体には遠く及ばないながらも、イルカに対応できるそれにはなった。さすがのエルノウもこれには素直に感謝した。


「胡散臭いと思ってたけどあんたまじですごい、ありがとう」

「ははは、仕事ですから。当然のことをしたまでですよ。さあ、明日は旅立ちの日です。準備をするなら手伝いますよ」




 その翌日、まさに彼らが復帰して旅立とうという日にクリーツ軍を名乗る数十名の白尽くめがアルファーラッツを襲撃してきた。エルノウとドラゴンを炙り出す目的の強襲だった。

 シンクライダーを含めた三人は街を守るためにそれらを掃討した。中には手ごわい相手もいたがエルノウとシンクライダーは比較的容易にそれらを処理した。

 その中でドラゴンは一人苦戦していた。もちろんビルダンでの負傷が彼を弱くしたわけではない。単純に相対的な力の差があったのである。


「俺は、こんなに弱いのか……」


 己の未熟さに怒りすら覚えていた。もっと強くならなければこの先誰も救えない。彼の心はナヴィガトリアの表向きのリーダーとしての肩書きに酔いしれ胡坐をかいていた過去の自分を排除しようともがいていた。



 憂いに沈むドラゴンの後姿をじっと見ていたエルノウは、その光景にどこか懐かしいものを感じていた。

 彼の意識に隠された記憶の断片が少しずつ頭上から降りてくる。嘘偽りのない失われた記憶が、意味を持たずとも少しずつ、本当に少しずつであるが戻りつつあった。


「……なんか、ここに来ている理由を忘れちゃいそうだぜ。畜生」


 彼はリンボルを襲った神殺しの正体を探るためこの地に降りてきていた。それなのに未だ糸口を見つけ出せていなかった。

 なにが彼の追跡を阻んでいるのか。思い当たることはあった。内宇宙均衡法則に従い神殺しの肉体を降ろしたことである。エルノウはそれこそが原因追求の重荷に繋がっていると感じはじめていた。

 神殺しの顔を知っている者が素直にそれを認めて声をかけるとは限らない。やはりこの身体の持ち主が特別な存在であるということを前提に考え直さないといけないとエルノウは思った。


「一度リンボルに戻るか……」


 だが直感がそれを許さなかった。彼の未知なる思考はこの奇怪な臭気が充満する星を手放さないように訴えてきたのである。



 それは微かに修正される『過去の思い出』が、彼とこの星を繋ぎ止めているようでもあった。




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