弦間流入鹿の肉薄 / the endless de(ath)signs revolve
記憶情報一時保管システム、通称クリーツについて調べてみるとこの世界がいかに愚かしいかがよく分かった。
まずシステムの理解に際して重要な見解がある。政府機関が魂の存在を認めたのだ。技術革新の末に得たこの解釈は、生死にまつわる灰色の定説を論理的に塗り替えたのだった。人は死後、肉体を持たぬ存在となり一定の期間を経てまた肉体に還るというのだ。
これはオカルト世界の言葉に翻訳すると転生と同一の解釈だった。そしてこの新解釈はオカルト世界から解脱し一般的な常識として浸透することになったのである。つまりなにが言いたいのかというと、それは既得権益者の自己保身がもたらす影響を考えるに邪魔な解釈でしかないということである。
人は金と人脈さえあれば百年も二百年も生きることが出来た。私は心も身体も二十代だった頃、人の命は永遠だと錯覚するほどの長い人生を想像しながら生活していた。なにもしなければ百年もしないうちに終わる。それを知っていても、私の幼い心は終わりを認めなかった。そこからさらに二百年続くのだ。
人はなにを思うのだろうか。簡単である。永遠を実感するのだ。その心はもう生きながらにして死なない。さらに死ななくなった人の中には絶大な富を持つ者、特権者がいる。
彼らは死なない未来を約束された環境の中にいた。現実には三百年程で死んでしまうかもしれないが、そんなことは見向きもしなかった。なぜなら、生きているうちにまたさらに生き長らえる技術が完成すると信じていたからだ。
魂は輪廻する。それでも彼らは執着した。
特権を維持し続けるために、その人生を無駄に消耗していたのだ。
クリーツシステムはそんな愚か者達のためにあるといっても過言ではない。老いる身体を排除し、記憶を維持したまま魂となり、なおかつ特権まで失わずに済む。まさに願ったり叶ったりだった。開発者はきっと彼らにとって神のような存在なのだろう。全てを手に出来るのだ。全てだ。
ところで、納得のいかない点が一つだけある。開発者であるジェイサン・クリートがまだ『この世界』にいるのだ。
クリーツ世界、通称『器界』は夢のような世界ではなかったのか。ジェイサンはここに留まってなんの得があるというのだろうか。私はその答えこそがこの世界の将来を暗示しているような気がしてならなかった。
ジェイサン・クリートという男について詳しく調べることにしたのだが、簡単にはやらせてくれなかった。なにかが私の邪魔に入ってくるのである。私はこれを『支配者の法則』と呼んでいた。彼のような特別な人の周りには常になんらかの障壁みたいなものがあって、身近な情報を入手するには危険を伴うか、または絶対に手に入らないのである。情報の遮断は事実確認の妨げにしかならないだろうが、私はむしろそこに意味を見出した。
この世にはパズルという遊戯がある。細かい部品を正しく並べると一つの整った形が出来上がるというものだ。部品には個々にそれと分かる情報が埋め込まれており、またその部品に隣接するものも決まっていて、その部品以外のものは連結しない。支配者の法則はこのパズルの原理で瓦解するのである。
私にとって情報の遮断はパズルであることを公表しているようなものだった。組み立てる気持ちの方向性を明確にする一つの指標とも言えた。
クリーツ財団はこの星の民が知らない未知の存在と接触しているようだった。異星人、なのかもしれない。少なくとも私を一歩たりとも寄せつけない知能を持っているようだった。
強引に潜入して争うよりも今は敵側の情報入手を優先した。よって確定情報に行き着くにはしばらく時間がかかりそうだった。相手が未知となると慎重にならざるを得なかった。
私には時間がある。
彼らが提唱する仮初めの永遠とは異なる、制約された自由があった。
このことは調べはじめてすぐに感じていたが、勝利が安定するまでの試行に手間取り結論に至るのが遅くなった。彼ら財団理事の中に私の身体能力に対応できる者がいたのである。対応という表現はいささか大げさであるとしても、こちらの行動に対し瞬時に危機を抱けたのはやはり星を理解しているからだろうと思われた。よって行動にはさらなる制限が加えられた。
02まで彼らに押さえられたら負けるかもしれないと思った。しかしこの事実はおそらくジェイサンが今こだわっている関心事の一つであろうことは容易に想像できた。
ジェイサンが見ているのは器界などではなく、星の中心か星の外側なのかもしれないと気づいた時、私はこの男を絶対に葬らなければならないと思った。その気持ちはもしかしたら星の意思そのものかもしれなかった。
異星の知識が星にとって脅威となるならば衝突は避けられない。私は星の外側のことを知らなかったのでこれも調査対象として付け加えることにした。
宇宙はとても広いということが分かった。その反面で、広いということ以外の事実は古くから曖昧な事実で捻じ曲げられており、真実はもはや知る必要も無いという教育がなされていた。
なぜこの星は浮いているのか。動いているのか。回っているのか。球形をしているのか。その全てが不明だった。引力の原理すら解明できていないという有様だった。
なるほどと思った。これでは興味が湧かない。どうしてこんな簡単なことが証明できないのだろうか。今の世界はその程度の知能の集合だと再度思い知らされることになった。
星の意思に触れるということは、つまりそういうことだった。この世界の知識で言い換えるならそれは次元を取っ払うという言葉が適切かもしれない。次元を無くして切り替える。とても難しいことだが私は成功した。
ジェイサンが知りたいことはそれなのか。もしかしたらそれ以上のことなのかもしれなかった。私に対応する能力開発をしているとするならば、その可能性は十分にあった。
そして異星人。まさか神を見つけ出そうとでもいうのだろうか。仮にそうだとしたら実に愚かしいことだ。私達は人であって神でもなければ星でもない。人は人としてあり続けるだけの存在なのだから。
クリーツ財団が事実上経営していた先進医学研究所ファスークスが襲撃された当時、私はあの施設の中にいた。つまらない芝居を見させられた。
ジェイサン・クリートと政府の癒着を知っていたのは私だけではないはず。おそらく公表すれば命はないことを承知している賢人達が口を閉ざしているのだろう。それほどに彼らの逢瀬は堂々としたものだった。事前に入手した情報を頼りに潜入したのがことの成り行きだった。
ナヴィガトリアという連中が関与したという公式発表があったが、私の調べでそのような事実はなかった。連中は表向きには慈善団体のようなものだった。
ではなぜこの自称組織が政府に狙われたのか。それは彼らが反クリーツを掲げる組織であったためである。単純に言い換えると利用されたのだった。
面白い事実も掴んだ。彼らもまた私の能力に対応できそうな集団だったのだ。この傍観には興奮するものがあった。
そして謎の男の登場である。
空から降ってくるとためらいもなくファスークスに向かい、そこにいた生き残りを従え、ナヴィガトリアと合流する。この『エルノウ』と名乗る男の行動は私の魂を震わせるほどに神懸かった挙動を見せた。
政府の発表でファスークス爆破による生存者はいないとされていたが、私は当時二人目の生存者と接触していた。その小柄で細身の『男』は砕け散った施設の赤く染まった残骸に向かって激しく涙を流していたのだ。よく見ると残骸の手には珍しい形の指輪がついていた。私はその力を持たない男に声をかけてみた。
事情を聞くと、ここに彼の恋人が埋まっているらしくて離れなれられないのだそうだ。止まらない涙と取り戻せない現実を間近で見た私は、彼のこれからの人生と自分の人生の乖離に同情して真実を教えてやろうかと思った。
だがそう思ったのはほんの一瞬で、あとはただ無言で立ち尽くすことしか出来なかった。あまり長くいるのは危険と判断したので、彼にはなにも言わずその場を立ち去った。
ナヴィガトリアのリーダー『妙見太郎』は自身の才能に振り回されながらも強固な信念を持ち、古来から受け継いできた時代を愛する熱い男だった。この男は無償の情愛を主な原動力としているようで、その心に引き寄せられるように同志は群がっていった。
助け合いを大きな力に変える男、それが太郎だった。私とは正反対の性質を持った星の理解者でもある。
やつは今の腐った世界を浄化できると信じていた。クリーツ信仰から人の心を取り戻せると本気で信じていたのである。私はこの馬鹿な男に妙な愛着を感じてしまった。02を託した先祖はこのような哀れな男の夢想を回避するべく女にのみ継承権を与えた……そうはっきり分かるくらいの典型を太郎は見せた。
こういう男は度が過ぎると女のために無駄に命を落とす傾向がある。やつもきっとそうなるだろうと思った。さりとて絶望的なほどの怒りを与えても逆方向に溺れてしまう要素を含んでもいた。
この男は適当に扱ったほうがいい仕事をした。
私はこれに取りつく女が同じ馬鹿者であることを祈った。
クリーツ世界への移行を願う者が激増した。ナヴィガトリアが反政府組織と認定されてから身の危険を恐れた特権者が殺到したのである。またこれにより多くの環境順応機関が閉鎖を余儀なくされ、物質世界はより一層住み辛い環境に変化していった。世界の平穏は、腐ってもなお権力者の手によって守られていたことが皮肉にも証明されたのだ。
私は、この補助を持たない世界こそがありのままの世界であると思った。
人の欲望は底知れなく邪悪だった。私が力を持たない人生を選択していたとしたら、今よりも遥かに単一な選定に納まっていただろう。特権者に羨望の眼差しを向ける群れの一員になっていたはずなのだ。
欲望は邪悪でありながら人の生きる源にもなった。結局は力の使い方なのだ。星の理解についてもそうだ。考え方次第で物事は全部変わる。『到達者』が側で伝授してくれたら、私のように『何千年』と苦心せずとも究極に到達できたはずだ。
この世界にはありがたいことにごく少数の覚醒者がいた。それらは星の意思によって選ばれた者達だった。
私は彼らを追いかけた。ナヴィガトリアもそのうちの一つだった。
空から降ってきた謎の男、エルノウはこの地に降りてからこの世界を急激に変化させていった。
ちなみに、この男の出現は昔からあったことではない。ごく最近起こった変異である。引き金が私にあった可能性を肯定する証拠はないが、その変化を知っているのが私だけであるがゆえに、なにがしかの作用を与えたことを覚悟しなければならなかった。とりわけ異星からの襲来に関する未来変化は私の02では細かな制御を加えることが出来なかったのである。
それには理由も存在した。この能力の限界と近い者の介入には適用される要求が制限されるためだった。つまり彼らもなんらかの方法を用いて私の『いたずら』を結果的に押さえつけていたのだ。
意識時間を制御しているようではなかった。この時点では相互作用からくる星の修正のようなものが行われていると結論付けるしかなかった。
それゆえにエルノウという人物は無視できない存在だった。
その一方でやつに同行している犬の形をした機械人形には不思議と興味が湧かなかった。よく喋るという部分において確かに普通とは違うがそれ以上の可能性や危機感を抱けなかったのだ。
だがこの機械は『アイテル』という言葉を多用した。そして02の時と同じ胸の振動があったその内容は、最終的に私の星の意思による力と完全に一致した。
創作は誰にでも出来た。しかしながらアイテルという言葉の響きは悪くないと思った。私はその言葉を拝借し、あれの調査を打ち切った。
ビルダンという街でクリーツ関係者とナヴィガトリアが一戦交えるというので参加することにした。表向きには平和的解決に向けての協議ということらしいが、あのクリーツがそんなことをするはずがない。アイテル使い同士がぶつかる。ただそれだけに設けられた席に過ぎなかった。
双方が顔を合わせると軽い自己紹介がはじまり、それから先はクリーツ側の交渉役に選ばれた財団所属の評議員『マイヤーズ・マスター』の一方的な権力の行使が述べられた。その光景を部屋の天井から覗いていた私はある違和感に気づいた。クリーツ側に座るもう一人の青年の顔に見覚えがあったのである。両目を大きな保護具のようなもので覆っていたが、ファスークス跡地に立っていたあの青年だとすぐに分かった。そして混乱した。あの力なき青年がどうしてここにいるのだろうかと。
よく見ると彼の顔は死者のそれとよく似ていた。絶望の先を越えてきたある種の世捨て人の顔をしていたのだ。
先に仕掛けたのはその青年だった。無駄のない詰め寄り方と初弾の力加減は私に生唾を飲ませた。
攻撃を受けたのは太郎だった。必死に防御していたみたいだが足元にまで神経を移せなかったのか、壁が壊れるほどの風圧に押されて飛んだ。
マイヤーズ・マスターはナヴィガトリアの一番弱そうなやつを手早く捌いた。その惨状を見て興奮したのが一人、実力の差を測らずに突撃した。エルノウが修正に入るもマイヤーズの鮮やかなオープンアイテル流に巻き込まれて馬鹿が一人落ちた。
太郎は棒立ちの意味不明な女を守るために青年と対峙していた。太郎は攻撃を受けながらも冷静に学習しているようで、勝機が訪れる予感がするほどの才気を爆発させていた。
しかし太郎は負けた。あの存在意義皆無の女の無防備に青年が咄嗟に反応したのだ。女の腹部に青年の腕が貫通した時、保護具の奥に潜む目は薄気味悪い成就の輝きを見せていた。
青年が太郎のほうを見る。太郎は戦意喪失して女の身を案ずる思考に切り替わっていた。青年はそんな太郎を殺すのはもったいないと言わんばかりの表情でエルノウを目指した。
このままでは全滅するかもしれない。
私はゆっくりと重たい瞼を閉じた。
気がつくと私は会場の中心に立っていた。頭の中はこれで良かったのかという後悔の思いでいっぱいになっていたが、今さら後戻りもできないのでとりあえずクリーツを標的にした。
命懸けの現場を見て感化されたのか私の手刀は本気だった。奴等はすぐに退散した。
次は謎の男、エルノウだった。
初めて目が合った。複雑な気持ちになった。
相手は相当やる気だった。実を言うと二人きりで少し話がしたいだけだった。
太郎は死にかけの女を抱いて脱出した。エルノウが右腕を白く光らせて私を殺そうとしてきたので私は自分のアイテル流を解く。すると男は一瞬の動揺を見せたのち、高速で向かってきた。戦うつもりはなかったが仕方なく処理をした。
「あなた達にクリーツを倒すことは出来ない」
「なぜだ」
「馬鹿だからよ」
「だよな。まったくだ。否定できない自分が恥ずかしいね。おじさんの言うとおりだったぜ」
「おじさん?」
「ああ、なんでもない。それよりいいのかい、奴等逃げちゃったぜ?」
「そうね。でもそんな忠告をしている暇なんてあるの? あなた、その傷で長く生きられるとでも? そこのクズもそう、死にかけよ」
「気にかけてくれるんだ。君は見かけによらず優しいんだね」
「少し違うわ。優しいから、強いの」
「また、会えるかい?」
「お互い生きていたらね。でもごめんだわ。あなた達は邪魔よ。絶対に勝てないから」
「どんな可能性を用いても、かい?」
「そうよ。今は敵を知ることに労力を使いなさい。もちろん私のこともね」
「君のことを? そいつは得意分野だ。連絡先でも交換する?」
「だから負けたのよ」
私は男達を残してその場を去った。おそらく謎の男のあの煤けた右腕は二度と使えないだろうと想像すると、実にもったいないことをしたと思った。
最終的に彼ら双方の話し合いはクリーツ側の要望のみが満たされる形で終了した。政府ならびにクリーツ財団はナヴィガトリアを悪役として仕立て上げることに見事成功したのである。
その真実を知る由もない平和な民衆どもは、一縷の望みであった者達を廃絶せんと躍起になった。そして自分達の今と未来に危機が迫っていると大いに錯覚した。身の安全を確保するためにクリーツ移行志願者となる選択はもはや彼らにとって避けられない現実となったのである。人口の減少は、もう誰にも止められなかった。
しばらくして私の心は新しい心配事に支配されることになった。
それとは別にはじめての敗北も知った。
あれは屈辱だった。恐怖だった。そして慢心だった。
相手の名前は生涯記憶に残るだろうと思った。
コーネリア、それが相手の名前だった。
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