舞踏会一日目 ~沈黙の魔術師~
いつまでも一緒にいると噂に尾ひれがつきそうなので、ラーラはコルヌから離れることにした。
渋るコルヌに、少し庭園を散策してくると告げ、一人で外へと向かう。
月夜の庭園は程よく明るく、気分が上がってくる。
舞踏会の出席で楽しいことがあるとすれば、この夜の庭園を散策することだ、とラーラは思う。
昼間もとても落ち着いていて綺麗な場所だが、夜、月明かりの下では殊更美しい。
まだ舞踏会が始まってからそれほど時間が経っていない為、人の姿はない。
今のうちに噴水の方に行ってみようかと歩を進めた時、背後に人の気配を感じた。
「ラーラ姫、お変わりないご様子で。」
誰もいなかったはずの所に、黒髪の男が貴族然として立っていた。
「ええ、全く変わらないわ。だからいい加減に諦めてもらえないかしら?」
ラーラは姫として似つかわしくない、眉を顰めた表情を隠すことなく言った。
目の前の男が貴族でないことは知っている。
この国の民でないことも知っている。
自分にとっても、兄たちにとっても、この国にとっても、この男は敵でしかないと身を持って知っていた。
「ほぅ。変わっていないように見せる精神力は大したものです。隠しても無駄ですよ。貴女の魔力、二年前の半分に落ちているじゃないですか。」
にやりと笑う男に、背筋に冷たいものが走る。
「くくっ、体力も半分、いえ、それ以下ですか。」
屈してしまいそうになりながら、ラーラは気力を奮い立たせる。
負けてはならない。
「何のことかしら? 私はこの通り元気よ。魔力だって高いと思うけど。」
「元々の魔力はそんなものじゃなかったはずだ。あの時の力は、もっと強かったろう。」
男は口調をがらりと変え、ラーラを問い詰める。
そして、右手を差し出すと、冷たい目で要求を述べた。
「さあ、その額の宝石を渡してもらおうか。お姫様。」
男がその右手に魔力を集め、振りかざす。
その動きが思ったよりも速かったせいで、ラーラの反応がほんの少しだけ遅れた。
しまった!
襲いくる衝撃に備え、思わず目を瞑り体に力を入れる。
・・・・・が、何も起こらない。
そこにはただ、静寂が訪れるのみだった。
「きさま、何者だ?!」
その声で目を開けると、今までいなかった人物が二人の間に立っているのが見えた。
詰まった襟のシャツに深い青のローブ、茶色い髪の若者が、何事もなかったかのように涼しい顔をしている。
「セル=ラ=ユールと申します。物騒な真似はやめて頂きたいですね。」
それだけ言うと、くるりとラーラの方に振り向いた。
「ラーラ様、お一人での行動は慎まれた方がよろしいですよ。」
人懐っこい顔がにこっと笑う。
まるでその場にラーラしかいないかのような空気が流れる。
おかしい。
確かに攻撃されたはずなのに、周りには何の痕跡もない。
一体、何が起こったのだろう。
「きさま、魔術師か?」
黒髪の男は、怪訝な様子で言葉を投げる。
どうやらあちらも、何が起こったのかわからないらしい。
「魔術師ですよ。見ればわかるでしょう?」
「嘘をつくな! 魔力の欠片もないくせに!」
やれやれ、といった具合にセルは青年を見やる。
「魔力はありますよ。まあ、普通とはちょっと違いますけどね。」
「何だと?」
「うーん、聞いたことはありませんか? 『沈黙の魔術師』のこと。」
「知らん!」
言うなり男は攻撃を放った。
「危ない!」
ラーラが防御魔法をかけようとした時、セルはそれを制した。
「大丈夫です。」
男の攻撃はセルに達する前に、霧散した。
それは何事もなかったかのように、風すら起きなかった。
「な・・・・に・・・・?」
ラーラは目の前で起こったことが理解できなかった。
確かに攻撃されたはずなのに、何の被害もないばかりかその痕跡も残っていない。
けれども、セルが魔力を使ったようには見えなかった。
それは攻撃した側にも信じられないことだったらしい。
動揺を隠せないまま、男は叫んだ。
「何をした! 俺の攻撃を消すなど、ありえん!」
「残念ながら、私に魔術は効きませんよ。」
セルは軽く答えた。
余裕たっぷりのその様は、相手の感情を逆撫でるのには充分だった。
「そんな馬鹿なことがあるものか! 姫、これは宝石の力か?!」
「違うわ! そんな力があったなら、私はここにいない!」
だって、私のいる必要がなくなるもの。
この額の宝石があるから私は存在しているのだから。
これがなかったら、私は・・・・。
「だから、私には効かないって言ってるじゃないですか。」
セルが呆れたように二人の会話に入る。
「私の魔力は普通と違うんですってば。」
わかるような、わからないような主張に、男は少し怯んだ。
仕方がないことではある。
人間は得体の知れない力を恐れるものだ。
「というわけで、引いていただけませんか? あなたは私には勝てません。」
セルの言葉に、男はギリっと歯を鳴らした。
その目はまだ負けを認めてはいないが、分が悪いと感じたのだろう。
「今日のところは引こう。だが、近い内に宝石は頂く!」
そう言うと、その姿はゆらりと揺らぎ・・・姿を消した。