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「わぁ……」
町へと顔を出した。
このナザント領の中心に存在する町では、もうすぐ祭りが行われる。
そのための準備に勤しむ領民たちを見て、私は思わず感嘆の声をあげてしまった。
だって私は今まで、祭りの準備を見た事がなかった。祭りは何度か本当に短い時間だけお母様とお父様に連れられて馬車の中から見た事はあるけれど、こうしてじぶんの足で歩いて、至近距離まで近づいてこういうものを見るのははじめてだったのだ。
遠目に見ても綺麗だと思っていた、人の手で作られたとは思えないような完成度を誇っていたものを一つ一つ丁寧に手で飾り付けている。貴族の令嬢の嗜みとして裁縫などは出来るけれども、祭りの飾り付けとかはしたことがないし、出来ない。
素直に、凄いと驚く。
ナザント領は、細工やワインが特産物なの。美しい装飾具を作る職人とかも沢山いて、そういう人たちがナザント領を盛り上げるためにこうして祭りの準備に精を出してくれるらしいわ。
「エリザベス様、こうした祭りを行うための費用はナザント公爵様が出してくださっているのですよ」
飾りを見て私が感嘆の声を上げていたら、クラウンド先生が耳元でそう告げる。
「お父様が?」
「はい。祭りを行えば人が沢山訪れ、そして収入を得る事が出来るのです。ナザント公爵様は祭りの準備費用を出す変わりに、売上の一部を受け取るという契約を街の人々となさっているのですよ。それに祭りで領民たちが収入を得られれば領民達の生活も安定できますから」
”祭り”というものは、誰にとっても稼ぎ時の場所らしい。
祭りはナザント家も、領民たちの蓄えが潤う場なのだろうと理解する。
それを感じながらも私はふと視線を横にずらした先で、職人たちが作り上げている美しい女性の彫像を見る。
「あれはなんですの?」
「豊穣の女神・ヘルスライの彫像です。今回行われる祭りは豊穣の女神・ヘルスライに捧げるものなのです。祭りを行い、ヘルスライを喜ばせ、来年の豊穣を約束してもらう――それがこの祭りの、『ヘルラータ』の始まりなのです。」
この世界には幾人もの神々がいると信じられている。豊穣の女神・ヘルスライはナザント領含む周辺領で多く信仰されている女神様である。
女神様の正確な容姿などわからないからか、女神様というものは様々な姿で描かれる。目の前で作られている彫像は、腰まで伸ばした髪を持つ美しい女性として表現されている。
余りにもじーっと準備する様子を見てしまっていたからか、職人さんの一人に声をかけられた。
「お嬢ちゃん、祭りの準備が気になるのかい?」
それは、お忍びでこの場に来ている私が『領主の娘』だと知らないからこその言葉だった。ルサーナはそんな態度に反応しそうになっていたけれど、クラウンド先生に止められていた。
私はそんな領民の態度に、新鮮な気分を感じながらも答えた。
「はい。今まで準備を見た事がなかったので」
貴族の令嬢らしい口調を敢えて喋らないように心がけて答える。お忍びでこうして町へと降りるのは、『領主の娘』として認識されていないからこそ意味があるものだと思う。
領民達の飾らない姿を目に焼き付け、飾らない言葉を耳にする事――きっとそれが重要だから。
「へぇ、じゃあ準備を手伝ったこともないのか?」
「はい」
「なら、準備に参加してみるか?」
「え、いいのですか?」
突然のお誘いに私は驚いて答える。
「もちろんだ。『ヘルラータ』は、町の皆で作り上げ、盛り上げる祭りだからな」
「それなら……、是非、参加したいです」
それは心からの本音だった。
何事も経験してみなければ、わからない事ばかりなのだ。クラウンド先生も机上の論理では、ただ情報を知っているだけでは駄目だってそう言ってたもの。
それに民の事を知るには、民と同じ事を同じように経験するのが一番だと思うわ。一緒に何かをするってそれだけで心を少しは通わす事が出来ると思うもの。
「なら、嬢ちゃんと同じような子供達で作っているアート作りに参加するのが良いだろう。堅苦しい事考えずに自由に豊穣の女神・ヘルスライ様に対する感謝の気持ちを描けばいいんだ」
「それは楽しそうです。是非、その場に案内して欲しいです。あの、この子も一緒でいいですか」
私は先ほどから会話に一切加わってこないルサーナの手を引いて、職人さんに問いかけた。そうすれば職人さんは頷いてくれた。
そして私はルサーナとクラウンド先生を引き連れて、その子供たちによるアート作りの広場へと訪れた。
「お前、見たことない顔だな」
「余り私もルサーナも町に出ることなかったの。でもこれからは町に出てこようと思っているのよ」
職人さんに連れられた私たちを見て、子供の内のリーダー格の少年が話しかけてきた。それに対し、私は貴族としての口調にならないように気をつけながら答えた。
「私はエリー、で、こちらはルサーナ。祭りの準備に参加するのははじめてなの。よかったら色々教えてもらっていい?」
にこやかに笑いかけたのは、愛想よくしていれば相手に悪い印象は持たれないだろうと思ったからだ。何れ私が継ぐ領地なのだ、此処は。なら、領民と仲良くしていることに越した事はない。
「いいぞ! 俺はシュマっていうんだ」
シュマは面倒見が良い男の子だった。私たちに色々教えてくれた。
「あんまり気にせずに自由に書いていいんだぞ! あとこいつらは――」
何を書いていいかわからなくて戸惑っている私たちに笑いかけ、そしてその場にいる子供たちと私たちが仲良くなれるようにと他の子供たちに私たちを紹介してくれた。
それにルサーナは獣人だって事を知られたくないからって帽子を深くかぶって耳を隠していたんだけど、その場にいた子供の一人がその帽子をとってしまった。
獣人だって事が晒された時、一度シーンとその場は静まったけれど、シュマが「すげぇー、俺獣人はじめてみた! 触っていいか?」とキラキラした目で声をあげて、その場が悪い空気にならなかった。
ルサーナも私の奴隷となってから同年代の友達がいなかったからか嬉しそうにしていた。……まだ他の獣人とルサーナをあわせていないのよね。もう少ししてからあわせる予定なの。
それから私とルサーナは町の子供たちと一緒に思いっきり楽しんで、祭りのためのアート制作の絵を書いた。私は絵なんて今までほとんど書いた事がなくて、上手く書けなかったけれど、それでも楽しかった。
よく考えれば私は今まで町にほとんど出た事がなくて、同年代の知り合いなんてギルとか、王子殿下たちとかそういう王族貴族しかいなかった。だから領民の子供と接するというのは私にとって新鮮なことで、『公爵家令嬢』としての自分を気にもせずに、ただの『エリー』として頭を空っぽにして楽しめるのは何とも言えない解放感があった。
夕方になるまで思いっきり彼らと祭りの準備をして、別れる時には大分彼らと仲良くなっていた。
「ねぇ、また町に出てきた時色々教えてくれる?」
そう問いかけたら、彼らは笑ってくれて、何だか嬉しかった。
祭りの準備は結構体力仕事とかも多くて、その日は屋敷に戻るとぐっすり眠ってしまった。でも、とても充実していた。
祭りが始まるのが楽しみだ。暇があるときにまた祭りの準備を手伝えればいいなってそう思った。