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「貴方がクラウンド先生の教え子のエリザベス様ですね。私はアサギ・キモリアです」
クラウンド先生の弟子に会ったのは、話を聞いてからしばらくが経った日の事だった。
彼は綺麗な男の人だった。年はまだ二十代半ばぐらいだろうか。その年で、王宮に勤めているだけで彼がどれだけ優秀なのかよくわかることだろう。
キモリアとはクラウンド先生の家名と一緒である。目の前のこの人はクラウンド先生の養子でもあるらしいという話だった。
アサギ・キモリアさんは、私がナザント公爵家の娘だからだろう十以上年下の私に敬語を使っていた。
「私はエリザベス・ナザントですわ。はじめましてアサギさん。同じクラウンド先生を師とする者同士なのです。貴方は私の兄弟子ですわ。ですからそのような堅苦しい態度は結構ですわ」
クラウンド先生があって損はないといったはじめて会う兄弟子に、遠慮した態度をしてほしくなかった。言葉を口にした私に、アサギさんは笑った。
「では、お言葉に甘えて。まぁ、人前では流石に無理だけどな」
「ええ、そうですわね」
人前では身分というものがあるのだから、そういう態度を互いのためにもするべきではない。
だけど、今この場にいるのは私とアサギさんとクラウンド先生とルサーナぐらいである。こんな場でぐらい良いと思うのだ。兄妹弟子としてこの人と接することも。
「では、エリザベス様」
「エリーで結構ですわ。貴方はクラウンド先生が私にわざわざ紹介してくれた方ですから」
クラウンド先生が紹介してくれた方なのだから、よっぽど優秀なのだろうという意味を込めてそういって笑う。それに対してアサギさんは身分さを気にしてそのままの態度をすることもできたのに、私が望む態度を示してくれた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。俺の事も好きなように呼んでいいぞ」
「ふふ、ではアサギ兄様とでも呼ばせていただきますわ」
私に兄はいない。姉もいない。私にいるのは可愛い妹だけだ。お母様が殺されたりと色々とごたごたしていることもあってそういう兄や姉と慕う存在もいなかった。そういう存在に私は正直憧れていた。
だから告げた言葉だったけれど、それにアサギ兄様は笑ってくれた。
それからアサギ兄様と二人でクラウンド先生から講義を受けた。
あとから知ったけど、それはアサギ兄様にとってもクラウンド先生がわざわざ紹介してくれた妹弟子である私がどういう存在か興味を持っていたらしい。
そして私とアサギ兄様を互いに知ってもらうために、クラウンド先生は講義をしていたということだ。
その結果、アサギ兄様は、私の頭をなでて優秀だなって褒めてくれた。なんだか嬉しかった。頑張っているってことを誰かに認めてもらえるのは嬉しい事だった。幸せなことだった。
ただ私は限られた世界しか知らない、とも言われた。それはごもっともだと思う。
私はお父様の保護下にいる、小さな子供だ。何か自分でしようとしてもそこまで動けない。それに公爵家の令嬢として大切に守られている。
将来的な事を考えれば私はもっと外の世界を知るべきだと自分自身でも思う。少なからず奴隷についてとかこの世界の暗い部分を知っているけれどもそれがすべてではない。
このナザント領を継ぐ次期領主なのだから、広い視野を持って、もっと勉強に一心に励む必要があるだろう。私はナザント領を皆が笑って過ごせる場所にしたい、とそう告げた私に、アサギ兄様はいう。
「全員が笑って過ごせる場所というのは無理だな。ナザント領だけでも人口は多い。それらすべてが善人であるわけでもない。すべての人が笑って過ごせるというのはどんな場所においてもありえない」
「それは、わかっていますわ。クラウンド先生とも勉強しましたもの。だけど、私はなるべく多くの人がそうであれる領地を作りたいって思っていますの」
どういう領地にしたいか、と問われれば口にすることはそれである。
私はこのナザント領が大好きで、大切だからこそそういうものを作りたい。
「そのために少数の人間を切り捨てる必要もあるかもしれないぞ?」
そうやってはっきりと口にするところは、流石クラウンド先生の紹介した弟子だと思えた。理想を語る私にちゃんと真実を語ってくれる。
”貴方ならできるしょう”などという同意はしない。権力を持つ者の周りにはどういう事でも同意して機嫌を損ねないようにしようとする者たちも多くいると聞く。
その話を思い出すと私は、こうやって私が成し遂げたいことに対して反感を持たれる事覚悟でも発言してくれる人こそ傍にいてほしいと感じるのだ。
甘言だけを聞き届ける権力者なんて考えてみれば最低なものでしかないだろう。私はそうはありたくない。
「それでも、そうありたい。綺麗事で世の中が回らないことは知っていますわ」
そんなの身をもって知っている。この世界が綺麗事で回るような優しい世界なら、あんなにやさしいお母様が殺されるなら間違っていると私は断言できる。
たとえ私が私の理想のためにそういう事をやらなければならなかったとしても、それが嫌だという理由だけで逃げるのなら領主になんてならない方がマシだとさえ感じるほどだ。
理想は所詮理想であって、現実とは違う。そうであってほしいと願う未来でしかない。理想は現実ではない。だから理想と現実とのギャップに全てを投げ出してしまう者もいるともクラウンド先生に教わったことがある。
でも、それで逃げるわけにはいかない。その理想をかなえるために行動してこそだとクラウンド先生はいっていた。私もそう思う。
そうありたいと思うから、そう願う自分を目指す。
そうあれるかなんてわからないけれど、将来的に私の理想はそうだから。
そう答えた私にアサギ兄様は笑ってくれた。
それから私たちは様々な事を話すのであった。




