35
バタバタとした日常が過ぎていく。
やらなければならないことの多さに、疲弊していく。
だけど、一日でも無駄にしたくはなかった。学園に入学するまでの日々を。家で守られただけとは違う日々を、私は過ごさなければならない。
危険な状況下の中でも、ナザント家の長女として誇りを持って、行動する必要性があるのだから。
ナザント家の家名を汚すことのないように。
必要以上に色々詰め込もうとする私を見て、クラウンド先生は呆れたように、だけど仕方がないなとでもいうように様々な事を教えてくれる。
そんなクラウンド先生は、私が学園に入学すれば王都に戻ることになっていた。元々私が学園に入学するまでという契約であったのだ。
教える対象である私がいないのにナザント家にとどまる理由はない。別邸に連れて行く奴隷の事も、考える必要もあるし、やっぱり色々と考えることが多い。
「エリー」
そしてその日、私はギルによって休みを取らされていた。本当はもっとやりたいことが沢山あるけれども、無理しすぎだって言われた。
領地が隣とはいっても、ギルは何も毎日のように来ているわけではない。流石にそこまでギルも暇ではない。七日に一度程度、多い時はもう少し来てくれる。
よくこちらに遊びに来ているギルだけれども、伯爵家の子息としての教育をこなした上でこちらに来ている。流石に勉強を投げ出してここに来るなんてことはない。
剣技の腕もめきめき上がってきているようで、それは羨ましいと純粋に感じる。私は女で、剣を振るう腕力もない。女であってもそういう才能に恵まれた人も確かにいるけど、残念なことに私には自分で戦う力はない。
「ギル、怪我したの?」
包帯が巻かれた腕に目をやっていう。
「ああ、これは昨日ちょっとドジした」
剣術を習っている時に、失敗した怪我らしい。人の命を奪う事の出来る獲物――――それをギルは振るい、私は奴隷たちに振るわせている。
私たちは貴族である。時に、人の命を奪わなければならない時があるかもしれない。いや、あるかもしれないではなくきっとある。自分で手を下さないにしても、命を奪う決断をしなければならないこともある。
最善を考えて、それを選択しなければならない。
―――でも、私は例えば目の前で命が奪われようとしたら耐えられるのだろうか。それを考えただけでかすめるのは、お母様の死に際だ。
あれ以来、血液さえも見ていない。ばあやが亡くなったけれども、あんなに突然にお母様のように亡くなったわけではなかった。
こんなにも今、ギルが怪我をしたってだけで動揺している。ギルがもしいなくなってしまったらと考えただけでもどうしようもなく悲しくなっている。そんな私は、もし実際にそれが起こったとしたら私は何を思うだろうか。耐えられるのだろうか。平気でいられるのだろうか。
「エリー、どうしたの?」
ギルは心配そうに声を上げた。ポーカーフェイスにしているつもりなのに、ギルにはすぐにバレてしまう。
「ギル……」
ギルの顔を見る。大切な幼馴染の事を、じっと見つめる。
何かをしていないと考えてしまうことがある。お母様の事を思い出して、もっと頑張らなきゃと焦ってしまう。私には余裕がない。もう少し、余裕をもって、焦らずに行動するのが一番いいのだってわかっているのに。
「我儘を言ってもいい?」
「何?」
震える手でそっと包帯に触れて、問いかけた言葉。それにギルはいつも通り笑みを浮かべていた。
「私は……、ギルに怪我をしてほしくない」
これは私の我儘でしかない。本当にどうしようもない、我儘だ。
「ギルまでいなくなってしまったらと、考えるだけで怖い」
視線はずっと下を向いている。ギルが一生懸命に、強くなろうとしているのを知っているのに。どうしようもない怖さが、私の中にあって、それが私に我儘を言わせる。
「……私は、ギルが頑張っているの知っているから、それをやめてとは言えない。だから、強くあって」
やめてとはいえない。それは必要なことであるから。ギルが頑張っているのを知っているから。
「強くあって。誰にも負けないぐらい、殺されないぐらい強く」
そんな我儘を告げる。どうしようもなく、呆れられてしまうほどに自分勝手であろう思いを。
「貴方が強くあってくれたら、私は貴方を失わずにすむんだって安心できる。ギルだけは、ずっとそばにいてくれるんだって」
それは私が安心したいがための、要求。こんな自分勝手な気持ち、言いたくなかったのに口から洩れてしまった。
強くあってほしい。
誰にも負けないぐらい。
お母様のように殺されないぐらい強く。
そうあってくれたのならば、私はギルの事は失わずにいられる。ギルだけは大丈夫と安心できるから。
怯えていると実感する。
大切な人が消えていくかもしれない事実に、どうしようもなく怯えている。
ギルと一緒にいる時、かぶっていた仮面はいつもはがれる。安心してしまうからだ。気を抜いてしまうからだ。
弱音を吐いてしまうのも、ギルの前だからだ。
「うん、エリー、俺強くなるよ」
ギルは私の我儘に、嫌そうな顔一つせず、むしろ嬉しそうに笑っていった。
「だから、エリー。エリーも俺を安心させるためにあまり無理しないで」
「……うん」
ギルに心配をかけたいわけではない私は、ギルのその言葉にうなずくのであった。
ギルが自分の領地に帰る時間になった。二人で歩いていれば、後ろからウッカの声が聞こえてきた。




