19
――――ウッカに嫌われ、ウッカと離れなくても大丈夫。
それは本当に?
――――この一年何もなかったんだから、大丈夫。
それは本当に?
お父様の言葉について考える。本当に大丈夫なのだろうか。本当にウッカは私と仲良くしていて危険ではないのだろうか。一年何もなかったからって、お母様のように目の前でいなくなってしまう事がないって、断言できるのだろうか。いや、出来ないでしょう。そんなの。この世に絶対なんてなくて。
バカな私はお母様が何処かにいってしまうなんて想像さえもしてなくて。お母様はずっと私の側にいてくれるって信じ切っていて。だけれども、それは覆されて。お母様は呆気なく私の目の前で動かなくなって。
―――そういっていたら、誰とも付き合えない。
もちろん、そういう思いも持っている。でも、それでも、ウッカが、可愛い妹が、幸せに、安全に過ごせるように私はしたい。
私はクラウンド先生に今、様々な事を学んでいる。ナザント公爵家を継ぐならば、優しい考えだけを持っていてもやってられない。危険なことだってしなければならないかもしれない、恨みを買うようなことだってするかもしれない。その時にウッカが危険な目に合うなんて想像するだけでもぞっとする。
過去の歴史を見て居ても、大事な存在を人質に取られるなんてこと結構この世界では悲しい事によくある話で。私は、そんな目にウッカを合わせたくはない。
―――でも、ウッカと仲良くしていてもウッカを守れるなら。
そういう気持ちも、お父様の問いかけにわいてきてしまった。他でもないお父様の言葉だったから。ウッカを守りたいって。ウッカを危険にさらしたくないって。そういう思いから私はウッカに冷たくして、ウッカの側から離れるって誓ったけれど、それが正しいのかと問われれば答えられなくて。
ウッカが大好きだからウッカに冷たくしたくないって気持ちももちろんあって。
そうやって考え込んでいたら、勉強に集中できなかった。
「エリザベス様、何かお悩みごとですか?」
そうクラウンド先生にも言われてしまった。
私はクラウンド先生に相談をした。お父様に言われた言葉を、私はどうするべきなのかと。
それに対して、クラウンド先生は笑って答えた。
「そんなの、エリザベス様が好きなようにすればいいんですよ」
「……でも、私は」
「ウッカ様をお守りしたいのでしょう? それは知っておりますよ。でも遠くからでも近くからでも守ろうと思えば守る事は出来ます。どういうときに危険か危険ではないかも、時と場合によります。どちらが正しいかなんて、どうするべきか何て他人が決められるものではありません。そういう大事な事は自身で決めるべきなのですよ、エリザベス様」
クラウンド先生は、私を子供だからと甘やかしはしない。スパルタで、本当に必要な事を沢山教えてくれる先生。私にとって多くの事を教えてくれる、尊敬できる人。
そんな人からの言葉だからこそ、すんなりと受け入れる事が出来る。
結局の所、ウッカとこのまま離れたままでいるか、ウッカの側に居るか。それは私が決めること。私自身が決めなければならないこと。
それは分かっている。わかっているけれども、私にはどうするべきか分からない。
どうしても脳内を掠めてしまう、お母様の最期。目の前で死んでしまった、お母様。
ウッカも、もしかしたら―――。それを思うだけで私はウッカを側に置いておくのがどうしても恐ろしかった。
決意は決まらない。
決まらないままに、一つの事件が起こった。私は自分がどうするか、明確に決められたわけではないのに、気づけば足はウッカの部屋へと向いていた。
「……私は、何をやっているのかしらね」
ウッカの部屋の前でそんなことをつぶやいてしまい、それをルサーナに聞かれてしまった。ルサーナは何も言わなかった。ただ、私の意思に従うとばかりにルサーナはただ私の後ろに居た。
こん、こんと扉をノックする。
部屋から現れたウッカは、私の顔を見て驚いた顔をした。
「お、姉様?」
ウッカの部屋を理由もなしに訪れるのは、お母様が亡くなってから初めての事だった。何もない時に私が部屋を訪れた事にウッカは驚いたのだろう。
その丸々とした瞳を、大きく見開いていた。
「少し、失礼するわ」
「え、あ、はい」
何も考えずにウッカの部屋に来てしまうなんて私は何をやっているのだろうか。冷たく言い放つと私はずかずかとウッカの部屋へと足を踏み入れた。
久しぶりに入ったウッカの部屋。
まだ私がウッカと仲良くした頃に私が上げたぬいぐるみが部屋に飾られていて、そんなに時間は経っていないのに昔が懐かしくて、どうしようもない気持ちになった。
ウッカ付きの侍女たちは、私を警戒したように見て居た。まぁ、最近の私がウッカにキツイ言葉ばかり言っているからだろうけれども。ウッカを可愛がってくれているのならば、何も問題はない。
「…………」
私とウッカの間に沈黙が続く。
ああ、私はどうしてウッカの部屋にきてしまったのだろう。どうするかなんて決めてもいないのに。どうして。
「お姉様―――」
ウッカが何かを言い出そうとしたその時、部屋の中に一人の侍女がやってきた。やってきた侍女は皿に積まれたクッキーを手に持っていた。
「ウッカ様、お菓子ですよ。エリザベス様もどうぞ」
その侍女はにこやかな笑みを浮かべてそういった。その言葉に、ウッカとの間の沈黙がつらかった私は手をクッキーへと伸ばす。
口に含もうと、それを顔に近づけた。
―――漂ってきたその香りをかいだ瞬間、私はウッカが今にも口にしようとしていたクッキーを奪い取った。
ウッカが目を剥く。クッキーを持ってきた侍女が別の意味で驚いているのがわかる。
ああ、これは。
私は意を決して、一つだけクッキーを口に居れる。そして、「ウッカ、このお菓子私気に入ったわ。全部もらうわね」と口にした。私はルサーナに目配せをする。小さな声で後ろに居るルサーナにだけ聞こえるように、告げる。
「クッキーを持ってきて。そしてあの侍女、捕まえなさい」
「どう、して」
ウッカが泣き出しそうな顔でこちらを見て居る。私はそれを無視して、ウッカがクッキーを口にしてしまわないうちにその部屋を後にした。
苦しくなってきた。
部屋から出て、すぐさま厨房に駆け込んだ私は、驚く料理人たちに注目される中で、指を口の中に突っ込んで、先ほど食べた一つのクッキーを吐き出した。
「……エリザベス様! 何を」
「料理長、お父様に連絡を。そして医者をお願い。それとこのクッキーの成分を調べなさい。恐らく、毒よ」
私に駆け寄ってきた料理長は、私の言葉に驚いた顔をする。
そう、何だかおかしな匂いだと思ったから私はウッカからこのクッキーを奪い取ったのだ。一つ食べてみて分かったけれど、匂いといい、食べた後の症状といい、クラウンド先生に習った一つの毒の一種に似ている。貴族には毒殺も多いから覚えておくと損はないって言われて教わっていたけれど、まさかこういう形で役に立つとは思わなかった。
ウッカが食べる前で良かった。その前に気づいてよかった。くらくらと揺れる頭で、そんなことを思う。一つのクッキーに含まれたそれだけでも気分が悪い。無理やり吐き出しはしたけれど、やっぱり少し毒が体に入ってしまったらしい。
でも侍女から与えられたクッキーに毒が入ってたなんてウッカは知ったら悲しみそうで、納得しないだろうから取り上げるための手段として「気に入ったから」といったんだ。それ以外咄嗟に思いつかなかった。
ルサーナはお皿に積まれたクッキーを置くとその場から消えた。私が下したあの侍女を捕まえてという言葉を実行に向かったのだろう。私が毒だと気づいた事に、あの侍女は気づいただろう。ならば、逃げだそうとするはずだ。
ああ、苦しい。もっとうまくウッカから毒を取り上げられたらよかったけれど、そこまで頭が回らなかった。そんな余裕はなかった。
でも、私がウッカの部屋にいってよかった。行かなかったらこれをウッカが気づかずに食べてしまっていたんだ。良かった。ウッカは、大丈夫だ。
安心して、気づけば私は意識を失った。
目が覚めた時、真っ先に視界に入ったのは泣き出しそうなギルと無事で良かったと私を抱きしめるお父様だった。