終章
朝、雨はやんでいた。僕は翔のベットを覗いたが、翔はいなかった。ずいぶん嫌われたものだと思いながら、僕は着替えをして朝食を食べに行った。朝食を食べながら僕は考えてみた。翔とずっと話していないが、名無しとも話していない。話し相手に困っていた訳でもなかったので、ずっと声をかけていなかったのだ。
「君は最近自分から話しかけたりしないんだね。」
僕は名無しに言った。
「必要がないからさ。君だって必要がなければ僕に話しかけたりしないだろ?」 名無しはそう言った。僕にはやけに不機嫌に聞こえた。
「君は僕がしばらく話しかけなかったことに怒っているのか?」
「別に怒ってないよ。」
名無しはそう言うと黙り込んでしまった。名無しとは長いつきあいだが、名無しの考えていることは僕にもよくわからなかった。
僕は朝食を食べ終えると部屋に戻った。翔は帰ってはいなかった。僕はジャケットを着て外に出た。久しぶりに太陽を見た。だけど山の方から雲が来ていた。また雨が降るだろう。僕はそう思いながら買い物に出かけた。
店を出たとき、遠くで雷の音が聞こえた。やはりもうすぐ雨が降るんだ。
「どうして雨が降ることがわかっていたのに傘を持ってこなかったんだい?」 名無しが聞いてきた。
言われてみれば、なぜ傘を持ってこなかったんだろ? なぜか必要がない気がしたんだ。
「わからない。降る前に帰るつもりだったのかもしれない。」
僕は名無しにそう言った。僕は買い物をあきらめて帰ることにした。名無しは僕の後ろにいた。考えてみれば、名無しと2人だけというのは久しぶりだった。
僕は歩きながらなぜ名無しが不機嫌なのかを考えてみた。僕がしばらく話しかけなかっただからだろうか。いや、名無しは基本的には嘘をつかない。別に怒ってはいないようだ。しかし、不機嫌なことには変わりない。ではなぜだろうか。直接聞いても名無しは答えてはくれないだろう。僕はあきらめて違うことを考えることにした。
僕は翔のことを考えてみることにした。翔は完全に怒っているのだろう。何で怒っているのだろう。僕がみんなを信頼してないからだろうか。だけど僕は本当のことを言ったまでだ。別に好かれようとしていたわけでもないので、どうでもいいや。
「ねえ、君はどう思う?」
僕は後ろを振り返って名無しに訊いた。だけど名無しはそこにはいなかった。名無しはいつも僕のそばにいた。今まで離れたことはなかった。その時、雨が降ってきた。僕は名無しが母さんの葬式の時に言ったことを思い出した。
「そうか、君は・・・。」
――君は最後まで一緒にいてはくれないんだね。
その瞬間、僕は何もわからなくなった。ただ、自分の体が浮いていることだけはわかった。僕は地面にたたきつけられた。近くにはトラック、そして血塗れの自分。
どこから来たのか、翔が僕のそばまで走ってきた。だけど、僕は何もしゃべれなかった。翔が何を言っているのかもわからなかった。目がだんだんかすんできた。これが死なのか。僕はそう思った。僕は心の底では自分が今日死ぬことがわかっていたのかもしれない。だから傘を持たずに出かけたのかもしれない。名無しが不機嫌だったのはこのことがわかっていたからかもしれない。
だけど、もうそんなことどうでも良くなってきた。翔は泣いていた。だけどそれが涙なのか、雨なのかわからなかった。不思議に死ぬのは怖くなかった。何も見えない、何も感じない世界で、僕が聞いたのは雨の音だけだった。まるで音楽のようだった。雨が旋律を奏でている。
「本当に君は最後にならないと何もわからないんだね。」
僕は少し驚いた。眼は見えないけど確かに名無しがいることがわかる、名無しが見える。
「もう会えないのかと思ったよ。」
僕はしゃべれないはずなのにしゃべった。
「会わないつもりだったけどね。だけど最後に会いたくなったんだ。これでお別れだ。君は死ぬ。そしてもう二度と会うことはないだろう。」
「やっぱり、僕はもう終わるんだね。」
僕は言った。
「そうだよ。死ぬのは怖くなさそうだね。君は自分の命さえ関心がないんだね。別にそれはそれでいいさ。もし次にどこかで逢えたら死んだら何処へ行くかを教えてくれ。」
「うん、だけど逢えるかな?」
「さあね、だけど僕はもう一度君に会いたいと思ってるよ。」
「僕もだよ。」
名無しは立ち上がり、少し進んでから振り返った。
「これで最後かもしれないな。一応言っておくよ、さよなら」
「ああ、さよなら。」
名無しはそのまま闇の中に消えていった。僕はもう一度彼に会えるだろうか。逢えるならば、僕は別の形で会うことを望むだろうか。それともまた同じように、常に寄り添う存在でいてほしいと願うのだろうか。
雨が僕の血を洗い流す。雨音は僕を眠りへ誘う子守歌の旋律となる。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。数年前に書いたものですが、文学として初めてまともに書いたものです。おかしなところや、誰かの作品に似ていると思われるかもしれませんが、その辺りは多少眼をおつぶりになられるとありがたいです。




