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雨の旋律  作者: 玄雪
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第3章

 翌日、まだ雨が降っていた。僕は母さんの葬式を思い出した。あの日も、雨は降っていた。雨は何のために降るのだろう。そう思いながら、僕は傘も持たずに外に出た。雨はまるでシャワーの様だった。

「君は昔から雨に打たれるのが好きだったね。今まで強く心に残っている記憶の背景には、いつも雨があった。両親と最後に行った旅行の帰り、両親が正式に離婚した日、母親が死んだとき、母親の葬儀。すべて雨が降っていた。君の人生は雨と共にあるんだ。」

 そう名無しは言った。名無しはもう元気そうだった。

「僕にとって雨とは何なのだろう。」

 僕は名無しに訊いた。

「君にとって雨はすべてでもあるかもしれないし、何でもないのかもしれない。そう深く考えることではないのさ。君はもう何も執着するものがないんだろ?君は他人にも、自分自身にも興味がないんだ。そんなこと考えるだけ無駄さ。」 確かに名無しの言うとおりだ。僕には何も関係ないんだ。誓ったんだ。1人で生きていくことを。僕がそんなことを考えていると、誰かが僕の肩に手を掛けた。

「何やってるんだ?風邪ひくぞ。」

 後ろを見ると、傘を持った翔が立っていた。翔は僕の手を引っ張り、玄関の方へ入っていった。僕は黙って彼について行った。彼は部屋に入ると、棚からタオルを取り出し、僕に渡した。

「あんなところで何をしていたんだ? J 翔が訊いてきた。「別に … 。ただ雨に打たれるのが好きなんだよ。」

「ふ〜ん・・・。変わってるな。別にいいけど明日は学校なんだから風邪をひかないようにな。」

 翔はそう言うと、部屋の外へ出た。

 翔は僕の行為を「変わっている」と言った。だけど、「変わっている」とはどういうことなのだろうか?この世界でその行為を行っている人が少ないからだろうか。昔は「変わっている」といわれたものが、何年かしてそれが当たり前のことになっていたりする。この世界に「変わっている」というものはあるのだろうか?

「【変わっている】というのはその人が普通ではやらないことだからだ。だけどその人にとってはそれが普通なんだ。たとえ今は【変わっている】といわれるかもしれないけど、そのうちそれが普通になったりするんだ。【変わっている】なんてたいしたことじやないんだよ。」

 名無しはそう言った。

 翔が部屋に戻ってきた。翔は新品の教科書やノートを僕に渡した。

「それが新しい教科書だ。僕と同じ学校に行くことになったから一緒に行こう。」

 僕は黙ってうなずいた。僕は翔に言われて時間割をし、教科書やノート1つずっに名前を書いた。名前が書かれた物から僕の物になっていく。

 そこでふと考えた。僕はあまり自分の名前を大事にしているわけではない。だけど、僕の名前を考えて僕につけたのは僕の両親だ。なら僕は両親の物だ。しかし母さんは死んで、父さんはもう僕の父親ではない。じゃあ、僕は一体誰の物なんだろうか?

「君に名前を付けた人はもうここにはいない。だから君はもう自由なんだ。誰も君を名前で縛ったりしない。僕には名前がない。僕を縛る名前は最初から無い。君も今同じ事になっているんだよ。」

 名無しはそう言った。

 僕は名前を書き終えると、明日学校に持っていく分を鞄に人れ、残りの教科書やノートを本棚に並べた。僕はこの部屋をいつまで使うだろうか。大人になるまで? それとも死ぬまで? 僕は自分は長生きしない気がしていた。


 翌日、僕は翔に起こされ朝食を食べた後、学校へ向かった。初めて通る道、初めて見る風景。ほとんどが僕の住んでいた街とは違っていた。同じなのはそこら辺にあるや電柱や、何処にでもありそうな公園などの公共施設くらいだった。

「何をしてるんだ? 学校に遅れるぞ。」

 翔が言った。僕は翔の後について行った。

 新しい学校は、昭和の前半に造られたかなり古い学校だった。木造力てで、廊トを歩くたびにみしみしと音をたてた。翔の話だと、もう来年には閉校するらしい。いかにも幽霊が出そうな学校だった。僕は翔と同じクラスになった。僕のクラスの人数はたったの3人。僕が前に通っていた学校とは全く違っていた。ただ少人数だからなのか、同級生や先生達は優しくしてくれた。だけどそれでも僕は自分からみんなに声をかけたり、遊んだりすることはなかった。僕に友達は必要ないのだ。

 母さんが死んでから1ケ月ほど経ったある日、学校帰りに翔が僕に訊いてきた。

「どうして君はいつもみんなと積極的に接したりしないの?」

「する必要がないからさ。僕は誰も必要としない、そして誰も僕を必要としない。ただそれだけのことだよ。」

 僕はそう言った。

「いつかみんな何らかの形で別れるんだ。別れたとき悲しいのはごめんだろ?だから最初から悲しまないように、深く関わらなければいいんだ。簡単なことだろ?」

 僕がそう言うと翔は一瞬表情を変え、黙って走り去ってしまった。

 僕が部屋に戻っても翔は何も言わなかった。食事の時も、洗濯の時も、寝るときも、翔は何も言わなかった。翔がなぜ怒っているのかわからなかった。ただわかるのは、僕と彼では世界の価値が違うということだ。いや、正確には「生」の価値だ。僕に翔の気持ちがわからないように、彼には僕の生き方が理解できないのだろう。僕だってこんな生き方が幸せだとは思えない。しかしたとえ幸せになる方法があり、それを知っていたとしても、僕はその道を選びはしない。僕は幸せを望んでいるのではない。おそらく、何も望んでいないのだろう。僕は間違っているのだろうか? 名無しに訊こうかとも思った。しかし訊かなかった。僕は正解が欲しいのでも、正しい解答が欲しいわけでもない。そして自分で気づいている。その問いに答えられる完全な解答は存在しないのだということを・・・。


 その夜、雨が降ってきた。雨は等しく降り注ぐ。窓に、屋根に、そして人にも雨は降り注ぐ。僕は雨の立日を聞きながら眠った。雨の音以外は何も聞こえなかった。夢の中で回る。僕の狭くて暗い世界が。僕はその意味を知らない。


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