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雨の旋律  作者: 玄雪
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第2章

 翌朝、僕は迎えにきた車に荷物と一緒に乗り込み、車の窓から家を見上げた。

「少し待って下さい。」

 僕は運転手にそう言い、一度車から降りた。そしてもう一度家に入っていった。

 僕は壁に手を振れ、この家での思い出を振り返ろうとしたが、全てを思い出すには時間がかかりすぎる。僕は初めてこの家に来たときのことを思い出した。僕の記憶はとてもまばらだった。なんせ僕がここに来たのは5才の時だ、完壁に覚えているわけがない。僕が覚えているのは、5才のときの僕が母さんに手を引かれ、この家の門を潜ったときだけだ。そのときの母さんの顔はよく覚えていない。だけど、悲しそうな顔をしていた気がする。

 父さんと別れたことで母さんの心には、ぽっかりと穴が空いてしまっていた。僕は母さんの心の穴をふさぐことはできなかった。そして母さんが死んだ今、僕の心の中にも大きな空洞ができてしまった。今まで当たり前のように過ごしてきた日々が、もう二度と来ないと思うと、胸が痛くなった。

 僕は家の扉をゆっくり閉めた。鍵は掛けない。もう帰ってこないんだから、鍵を掛ける必要なんてない。僕が家の門を潜ったとき、もうこの家は僕の家ではなくなった。取り外された表札や、誰もいない無人の家が、それを物語っている。僕は車に乗り込み、車の扉を閉めた。僕は振り返らなかった。この家にも、この町にも未練はない。

 車が動き出した。僕は心の中で誓った。

【もう誰にも心を開かない。執着しなければ、独りになったとき、何も悲しくない。】

「執着しなければ悲しむことは何もない。君は自分のルールをつくった。だけどそのルールは確かに悲しみを消せるけど、同時に楽しさも消してしまう。それでも君はその道を選ぶんだね?」

 僕は黙ってうなずいた。名無しはまた言った。

「まるで小説やマンガに出てくる悲劇の主人公みたいだけど、現実にもたまにこんなことがある。それがたまたま自分自身になっただけだ。作者はストーリーを考えるとき、いつも主人公や登場人物に心の傷を付ける。その方がおもしろいからね。お話では、最後には心の傷は癒え、明るい未来を目指すという話が多いけど現実ではそうはいかない。本の中では作者が神となり、キャラクターたちの人生を創り上げる。生も死もすべて神次第だ。だけど現実では誰が決めるわけでもない。自分自身が決めなければならない。神様がいるかどうかは誰にもわからない。信じるも信じないも君の自山だ。どっちにしろ君はこれからは誰にも頼ることはできない。本当に信じられるのは自分自身だ。自分1人で生きていかなければならない。それが君のつくったルールの最低条件だ。」 話し終わると名無しは黙り込み、僕の隣で眠った。僕も背もたれにもたれ、小刻みに揺れる車の中で静かに眠った。誰も僕を起こそうとする者はいなかった。


 工場が鳴らすお昼のサイレンの音で僕は起きた。僕は窓を開け、窓から顔を出した。僕の眼に映る景色は僕がいた街とは全く違う、僕が見たことのない景色だった。車はある建物の前で止まった。

「着きましたよ。」

 運転手はそう言ってハンドルから手を下ろした。僕は手荷物を持って車から降りた。建物自体は結構新しく、築10年ほどしかたっていないように見えた。車には運転手が残り、助手席に乗っていたもう1人が荷物を持ち、先に建物の中に人っていった。無愛想だなと思いながら、僕はその後についていった。僕たちは院長室に案内されていった。院長室にいた院長は中年の女性だった。50歳前後の優しそうな女性だった。一緒に来た人は荷物を置いて、さっさと部屋から出ていってしまった。僕は二度と会うことは無いだろうと思いながら窓から車が出るのを見ていた。しかし、そんなことはもうどうでもいいことだった。院長は優しそうに微笑みながら僕に話しかけてきた。

「いらっしやい、私がこの施設の院長です。」

 僕は軽くお辞儀をした。

「お母さんが亡くなられてここに来たと聞いています。この施設にはあなたのように身よりのない子供達が20人ほど住んでいます。学校も、近くの学校に転人手続きをしておきました。学校は明後日から行くことになります。困ったことやわからないことがあれば気軽に聞いてください。」

 院長は話し終わると部屋にあった内線で誰かを呼んだ。しばらくすると、僕と同じぐらいの男の子が入ってきた。

「あなたと同室になる桂木翔君です。詳しいことは彼に聞いてください。」

 その子は僕の前に手を差し出した。

 「桂木翔です。よろしく。」

 僕は少しとまどいながら彼の手を握った。僕らは院長室を出て、僕らの部屋へ行った。部屋は前の僕の部屋より一回り大きめの部屋だった。二段べッドが置いてあり、机が2つ並んでいた。他には洋服棚と小さい本棚が1つずつ置いてある以外、何もなかった。ただ、上のベッドの方の壁にはポスターや写真が貼られていた。

「服は棚の方に掛けておいてね。あとベッドは下の、机は右のを使ってね。」 彼はにこにこしながら言った。はっきり言って、僕はこういうのは苦手だ。彼は自分のベッドに上がり、写真を取って僕の所へ戻ってきた。

「あらためて、桂木翔です。翔って呼んでね。あと、これが僕の両親。」

 そう言いながら取ってきた写真を僕に見せた。写真には3人で仲良く写っている親子が写っていた。僕は手帳に入れていた写真を取り出して翔に見せた。翔はその写真を手にとって、まじまじと見ていた。自分の赤ん坊の頃の写真を他人に見せるのは少し恥ずかしい気もしたが、実際に家に残っていた家族3人が写っていた写真はこれしかなかった。僕が赤ん坊の頃の写真は、両親が離婚したときほとんど処分してしまったからだ。母さんは、昔の思い出を残しておきたくなかったのだ。それでもこの写真だけが残っていたのは、おそらく初めて家族3人で旅行に行ったときの写真だからだろう。

 でも、旅行に行ったのは僕が4歳の時までで、その頃から両親は毎日喧嘩をしていた。新しい家に着いたとき、母さんはアルバムのほとんどを燃やしてしまった。僕はそのとき、陰から母さんが写真を燃やすのをずっと見ていた。母さんは泣いていた。僕には母さんがなぜ泣いていたのかがわからなかった。そして、今もわからないままだ。

 翔はしばらく見ると、写真を僕に返した。僕はその写真を、持ってきた写真立てに入れて、自分の机の隅に置いた。そのとき、雨が降る音がした。翔は窓の方に行き、窓を開けた。かなりきつく降っていた。元々朝から曇っていたのだから、別に降ったっておかしくない。この雨はいつまで降るだろうか。明日か、明後日か。だけど、もう僕にはそんなことは関係ない。

 僕は名無しに話しかけた。だけど名無しは何も答えない。疲れているのかもしれない。僕は沈黙の中、そこに意味もなく、何も考えずに立っていた。雨は沈黙の中、降り続けていた。

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