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私的哲学

逃げるということ

作者: 羅知火 夜鷹

これはあくまでもわたし一人の考えです。

逃げるということは、決して悪いことではない。

が、逃げ続けることは良いことではない。


誰しも生きる上で困難という壁にぶち当たる。

それをどう乗り越えるかはその人次第だ。

その方法は、一人一人違う。

もちろん、乗り越えずに壁から逃げる、ということも手段の一つではある。


しかし、その時逃げたとして。

また新しい困難の壁にぶつかることは、言うまでもない。

壁から逃げ続ければ、今まで逃げてきた壁と壁の間に挟まれて身動きが取れなくなり、いずれは閉じ込められてしまうだろう。



人は進歩する生き物だ。

決して、停滞し続ける生き物ではない。

困難という壁には、否応なしにぶつからざる得ないのだ。


その壁から逃げたとして、また別の壁とぶつかるのが運命ならば。

人はいずれば壁を打ち壊す為に、立ち向かわなければいけない。



どんな人物だとしても、準備というものは必要だ。

その為に逃避するのは良いことだろう。


だが、壁に立ち向かうことを拒み、逃避することはあまり良いこととはいえない。

一度や二度ならまだしも。

何度も何度も、それこそ何十回も逃げ続けるならば、それは「逃避」ではなく「逃走」だ。



「逃避」と「逃走」。それは似ているようで違う。

これはわたしの考えだが。

「逃避」とは、事実を受け入れながらも、先を考える為に物事を避けることで。

「逃走」とは、事実を受け入れることにすら逃げ、拒むことだ。



拒んだとしても、立ち向かわざる得ないのが必然の運命ならば。

拒むことは無駄な労力、というものではないだろうか?


勿論、そう分かっていてもそうはいかないのが、人間の性というものなのだが。

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― 新着の感想 ―
[一言] 逃避と逃走論興味深く拝読させていただきました。 現実のところ、『なるほど』というのが、私の見解です。 私も一年程前、現実逃避し人間不信から引き込もっておりました。しかし、存在しているが故…
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