逃げるということ
これはあくまでもわたし一人の考えです。
逃げるということは、決して悪いことではない。
が、逃げ続けることは良いことではない。
誰しも生きる上で困難という壁にぶち当たる。
それをどう乗り越えるかはその人次第だ。
その方法は、一人一人違う。
もちろん、乗り越えずに壁から逃げる、ということも手段の一つではある。
しかし、その時逃げたとして。
また新しい困難の壁にぶつかることは、言うまでもない。
壁から逃げ続ければ、今まで逃げてきた壁と壁の間に挟まれて身動きが取れなくなり、いずれは閉じ込められてしまうだろう。
人は進歩する生き物だ。
決して、停滞し続ける生き物ではない。
困難という壁には、否応なしにぶつからざる得ないのだ。
その壁から逃げたとして、また別の壁とぶつかるのが運命ならば。
人はいずれば壁を打ち壊す為に、立ち向かわなければいけない。
どんな人物だとしても、準備というものは必要だ。
その為に逃避するのは良いことだろう。
だが、壁に立ち向かうことを拒み、逃避することはあまり良いこととはいえない。
一度や二度ならまだしも。
何度も何度も、それこそ何十回も逃げ続けるならば、それは「逃避」ではなく「逃走」だ。
「逃避」と「逃走」。それは似ているようで違う。
これはわたしの考えだが。
「逃避」とは、事実を受け入れながらも、先を考える為に物事を避けることで。
「逃走」とは、事実を受け入れることにすら逃げ、拒むことだ。
拒んだとしても、立ち向かわざる得ないのが必然の運命ならば。
拒むことは無駄な労力、というものではないだろうか?
勿論、そう分かっていてもそうはいかないのが、人間の性というものなのだが。