最終話
エレーナと私を二人連れの男性がダンスに誘ってきた。私達は、それぞれの相手の手を取り、フロアの中央へ向かう。
ダンスを終え、相手の男性にお辞儀をしていると、懐かしい気配を後ろに感じた。
「ハイドヴァン嬢、ダンスのお相手をしていただけますか?」
ダンスの相手に腕をあずけた状態で、振り向く。久しぶりの王子様の姿だった。相変わらず内心とは裏腹の、穏やかな微笑みで。隣の男性を見上げると、承知したというように私の手をとり王子様へ差し出す。
「後はお任せしましょう。また、ダンスにお誘いしてもかまいませんか?」
「はい。また」
男性はマナーよく王子様に私を渡し、去って行った。ハンサムではないが、スマートだ。スタイルも行動も。裏のない人物だった。そんなことを考えながら、王子様にエスコートされてフロアを移動する。曲の間には少し時間があく。フロア内を踊り終えた人々が端に移動するのと、これから踊る人々がフロアで踊りやすい場所に移動するのでごったがえしている。
「傷はもうよくなったのか?」
傷のことは、やはり知っていたのか。誰にも知らせたくなかったけど、きっと、みんな知っているのだろう。隠したがっているから、口には出さないでいてくれてるだけで。
「もうすっかりよくなりました。王妃様はお元気ですか?」
舞踏会で初めて王子様と踊る。練習では、何度も足を踏みつけたけれど、それでも私の相手をしてくれた。先生でも嫌がっていたのに。懐かしいことを思い出しながら、会話は、誰に聞かれても大丈夫なごく無難な内容にとどめる。王子様はなんだか話したいことがあるようだけど、ここでは話せないことらしい。踊りながらフロアを端の方へ移動していく。
「話したいことがある。少しつきあってくれないか?」
踊りながら小さな声で問われ頷くと、曲の終了を待たずに廊下へ歩き出す。連れて行かれたのは、廊下の奥にある小さな部屋。休憩のための部屋の一つで、まだ、誰もいない。ソファーに座るのかと思えば、窓際まで歩く。大きなガラス窓を開けると、冷んやりした風が入ってきて、カーテンがゆるく揺れた。
「ミーア。僕は答えが欲しい」
開いた窓際で前を向いたまま、私の横に立って話し始める。
答え。何の答えが欲しいというのだろう。それは、私に関することなのだろうか。横を見上げても、明かりを背に立っているため、かろうじて下から横顔が少し見えるだけだ。見上げるのは止めて、私も前のテラスを眺める。
「答えがないと、希望をもってしまうんだ。もしかして、と。他の男を目で追うミーアを見るのは、辛い。だから、ミーア、ちゃんと言葉で答えてくれないか」
答えるのは、私?
何を言っているのだろう。答えが欲しいということは、私に問いかけたことがあるということ?
「言っている意味がわからないわ。何の答えが欲しいの?」
「僕はミーアが好きだ。ミーアは?」
茫然とその言葉を聞く。
言われたことはない。そんなこと、言われたら覚えている。絶対に。耳にしてて忘れるなんてあり得ない。
「はじめて聞く、内容だわ」
考えるよりも先に口が動いた。
王子様が、私を好き?そんなこと、いつの間にか聞いてた?聞き逃してた?寝てるときに言ってたとかいう?
「僕はいつもそう伝えてたつもりだ」
伝えていた、つもり。つもり?
つまり、態度とか感情とか?
王子様は、私が他人の感情を感じ取るとこができることを知っているけれど、まさか。
「小さい頃は、言葉にしなくても呼びかけたら、いつもミーアから答えが返ってきてた。だから、僕は、いつも心の中で問いかけてた。ミーアは?って。わからなかった?」
わからなかった。
初めて会った頃は、もっと単純な感情ばかりだったから、訴えてくる内容もわかってたんだと思う。
私の感覚は、以前より鈍くなっているのかもしれない。
けれど、王子様の感情は暗く苦い思いの方が強く、いろんなものが混ざり合って、とにかく複雑だった。
”好き”なんて感情は、もっと明るいものだと、思っていた。
王子様は、私の存在に困っていたんだと、思っていた。
向けられていたあの複雑な感情。
知らなかった。
いつも伝えていてくれた? わからなかったけれど。
時々、急に強く引かれるようだったのは、そう問いかけていたとき?
口にするのは、恥ずかしい。
けれど、自分の気持ちは、言葉にしなければ伝わらない。
私の思いを音に。
手を握り目を閉じる。
唾を飲み込んで言葉を頭で反芻して。
息を吸い込み、口を開く。
震えそうになる喉から、上ずった小さな声。
「私も、好きです」
聞き取れた?と心配になるほど小さかったけれど。
あっという間に腕の中に抱き込まれた。
頬に掌を添えられる。
覗き込んでくる深い青い瞳に、ゆっくりと瞼を閉じた。
~The End~