第20話
「そんなに頼りにならないか、僕は?」
悔しそうな思いを滲ませながら、唇を噛んでいる。そうじゃない。そんなことを思ってはいない。でも、言葉は出てこない。『ごめんなさい』きっと聞きたくないだろうその言葉を、飲み込んだ。
黙っていると、そのまま王子様は部屋を出て行った。
それを見送ると、どっと疲れと痛みが押し寄せ、立っていることもできそうにない。なんとか汚れたドレスと防護下着の鎖コルセットを脱ぐ。
「ミーア様っ」
ハンナが私の傷を見て、息をのんだ。コルセットは衝撃をかなり防いでくれたが、全てではなかった。短剣の先が刺さり血を流していたのだ。皮のベストとコルセットの下の下着は胸のところが血で赤く染まっていた。
「静かにして、ハンナ。誰にも知られたくないの。お願い。こっそりお医者様を呼んでくれない?」
しばらく涙を浮かべて首を振り続けていたが、お願いと繰り返すと、お医者様だけを呼んできてくれた。
腕はかすり傷だったし、胸の刺し傷は浅くて大したことはなかったが、どうやら肋骨が折れていたらしい。命に別状はなさそうだった。怪我のことは誰にも知られたくなかった。だから、今回の精神的疲労の回復を理由に、すぐ温泉地へ旅立った。
一か月ほどで、胸の痛みはほとんどなくなり、普段通りの生活ができるようになった。こちらへ静養にくる前に、王妃様、王子様には手紙を送った。無茶をして心配をかけてしまったことを謝罪し、王太子棟を辞したいと。王子様はもう遊び相手が必要な年齢ではない。いつかは出るべきだったのだから。その先のことを、王妃様は考えてくださっていたのだろう。行先のない私のために、王弟殿下の養女の話を進めてくださったのだろうから。
王妃様からは、本当に心配したとの返事をいただいた。王子様からは、了承したとの短い内容の返事を。返事の数日後、ハイドヴァン家に王太子棟から私の荷物が届けられたらしい。
「そろそろ王都にもどりましょう」
ハンナにそう伝えた。身体は治った。だから、ハイドヴァン家に戻り、これからの新しい生活に慣れていかなければ。忙しかった王宮の生活とは違うことが、少し寂しいけれど。
ハイドヴァン家に戻ると、玄関先で、奥様に涙を流しながら抱きつかれてしまった。かなり心配をおかけしてしまったようだ。その横で、王弟殿下が困ったように、でも、帰りを喜んでくれた。
「おかえり、ミーア。疲れただろう。シーリア、そんなにしては、ミーアがいつまでも部屋に行けないよ」
奥様は涙を拭きながら照れたように「ごめんなさい」と言って腕を離した。王弟殿下の”おかえり”は、嬉しい言葉だった。帰ってくる場所だからこその言葉だから。
とはいえ、奥様はまだ20歳。このまま、のんびりとここに居座るわけにはいかない。普通の貴族女性は16~20歳の間にどこかに嫁ぐものだ。
「ハンナ、いい結婚ってどういうものだと思う?」
「結婚、でございますか?」
ひさびさに自分の部屋へ戻り、くつろぎながらお茶をしている。ひと月前と変わりない様子に、安心する。ハンナは、私のお茶を給仕しながら、メリアンに温泉地帰りの荷物の片付けを指示している。
「私って結婚適齢期でしょう? だから、また、社交界に出ようと思っているの。社交界って結婚相手を見つけるところだから。でも、結婚ってどうやって決めるもの?」
「私は一生そばにいたいと思う方と結婚するのが理想ですね。貴族の方々は違うかもしれませんが、王弟殿下ご夫妻は、きっとそうだと思います」
一生そばにいたいと思う人、か。それは、難しそう。
再び、ご夫妻と社交界へ参加する。そこは、すでに秋の装いに変わっていた。週1,2回の昼はお茶会に読書会や音楽会、夜はどこかの舞踏会へ出席するという貴族女性の生活を送る。優雅な生活にも、何度もこなせば、違和感なく過ごせるようになっていった。
「ね、今度、デラッセル家の美術展に行かない? 遠くの国からすばらしい彫刻品を取り寄せたらしいわよ」
そう誘ってくるのは社交友達のエレーナだ。私より一つ上の17歳で、今年デビューしたばかり。同じ年デビューだし明るい性格なので、声をかけやすかった一人である。
「デラッセル家っていえば、自称冒険家の?」
「自称でも偽称でもかまわないじゃない。どんな彫刻品なのかしら」
目を輝かせながら美術展のことを語る彼女は、美術品、特に、彫刻が大好きだった。夢見る少女なのに、どうやら恋愛事にはうといようで。彼女はおっとり美人だから、多数の男性から声がかかる。にもかかわらず、いい雰囲気にはならない。彼女の連れの私も、彼女のおこぼれで声をかけてもらうことはあるけれど。類友なのか、二人して色気のあるお付き合いに発展してはいない。今年、結婚に繋がる男性と出会うのは無理かもしれない。
「そういえば、ミーアは後宮へ上がらないの?」
はあっ?
さっきまで美術について熱く語っていたというのに、何という力技な話題転換なんだろう。
「後宮?」
「王子様が18歳だった?だから、王太子妃を狙って、どこかの貴族女性が後宮へ上がる準備中ですって。ザッカリー家のお嬢様はその一人らしいわよ。美人だし。両親は男性を近づけないようにしてるみたいだし。ミーアは家柄的に最適じゃない?」
美術に興味深いだけでなく、話題も早い。一体どこから噂を拾ってくるんだろう。集めるのが得意なのかも。
「家柄っていっても、私は養女だから」
王子様は後宮に何人もの女性を抱えるのか、これから。こうやって、全然知らない人になっていく。ほんの数か月前のことが、遠い昔のことのよう。あの生活がいつまでも続くわけないと思ってた。だけど。いつまでも続けばいいと思っていた。気を付けていたはずなのに、家族になんてなれないと。雇われているだけだと。なのに、どこかで、もしかしたら、と。




