第2話 Turning oN――それは力が流れるということ
睦月のぞみが語る前回の『それは』。
ボクが高入生として夢路川学園に入学したとき、中学生のときに離れた友達、黒羽咲夜に会いました。けど、何だかボクのこと避け気味で……。
その友人の光一さんはそんな状態を見ていろいろ考えてみているようだった。
帰りにもっかい咲夜を追いかけると、代わりに変な怪人に遭遇しちゃって……。
バキッ!
『グギャァッ!?』
「……?」
かがんだのぞみの耳に入ったのは、誰かが誰かを殴る音、そして、猫人間の悲鳴だった。思わず彼女は疑問顔になる。ここまでの展開がよく理解できない。
立ち上がり、猫人間の方を見ると、今度は逆に相手がかがんでいた。頬を抑えている。殴られたのはそこなのだろう。
日が暮れて弱くなってきた光をさらに遮っている人間が、猫人間の隣に見える。恐らくは彼こそが、今殴った者か。
「危なかった」
彼は、そう、一言だけ呟いた。誰に向けてなのかはわからないが、その言葉から読み取れるのは、今かがんでいる人間は、のぞみに飛び掛って、その後襲おうとしていたこと。先程の相手の行動から推測するに、だ。
『グゲゲ……』
猫人間はまたも意味のわからない声を出す。今現れた彼は、平然と、低く、しかし良く聞こえる声でのぞみに教えた。
「奴はキャット・メテレイス。奴の言葉に大した意味はない。気にするな……」
自分を守るようにして立つ彼の後ろ姿を見て、のぞみはハッとした。その背中もまた、人間のものではないように感じさせられた。無論、形は人間だ。要は、猫人間……もとい”キャット・メテレイス”と同種だと思わせるのだ。
(ええーっと、”メテレイス”っていうのは、コスプレの種類かな? だったら、あの人のも同じじゃ)
メテレイスと、コスプレの一種だと理解する。今言った同種というのは『普通ではない』という意味でのものだから、細かく分類すると、別種であるとも言える。キャット・メテレイスのものは、獣人的な毛皮タイプ。だが、彼の場合は、黒い背景の中心に金縁で紫色の核があった。そして、そこから二本の暗いパープルラインが正面に向かって横に伸びている。
それは胸の装甲だった。腹から先には、単純な布製の黒コスチュームがあるばかり。獣人と対照的な、ハイテクなメカニックタイプだ。TVで放映されている特撮ヒーローに、似たものがあるかもしれない。
肩にしっかりフィットした別の装甲も黒かった。その上下にも、パープルラインが腕に伸びている。縁はやはり金。真ん中には、色の似合わない、白の、氷の結晶マークが描かれている。
足はブーツ的な形状の装甲となっている。ここは、全身が怪人的なキャット・メテレイスと違う点の一つだ。その色は紫に染まっている。
後ろ姿だけでも、キャット・メテレイスと相当違う。原始的と近代的、というレベルの差だ。のぞみにとっては、どちらも単なるコスプレにしか見えなかったが。
特に彼の装甲のメカニックさを示していると言えるのが、左腕にある白いベルトに巻かれたブレス。恐らくは正面から見ても白いだろう。外から、ペンライトらしき紫色の棒が差し込まれている。紫の背景に白い文字で何か書かれているのが見受けられた。
無論、のぞみがそこまで見ていたわけではないが、厳密に言うと彼とメテレイスは別々の存在だということは間違いなかったのだ。
「同じ……!?」
のぞみは思わず呟く。人目見た程度では、どちらも『怪しいコスプレの不審者』としか認識されない。紫の彼は、先程のぞみを助けたようだから、悪い人間ではないだろう。単純に外見の問題である。
ん……、と声を発した後に、彼はぼそりと彼女に伝えた。
「そうだな……。俺はメテレイスとある程度同じだ」
その言葉は、外見は厳密に言うと違う、という意味で言ったのか、あるいは、外見も中身も根本的にまったく違う、という意味で言ったのか。
判断される前に、彼は敵に飛び掛った。
『ギッ!?』
突然のことに反応できなかったキャット・メテレイスと彼の間の距離は、一瞬にして縮まった。敵の驚愕が終わる前に、回し蹴りを顔に打ち込む。
『ゲェッ!』
首の衝撃と共に身体も動き、吹っ飛ばされた。立ち上がったのを見た後に、再び蹴り飛ばす彼。一方的な攻撃がそのまま続く。後ろからしか彼を見ることはできていないが、ここまで攻撃しまくるという鬼畜にも思える人間の顔は、どんなものなのだろうか。
「あの、そこまでしなくてもいいんじゃ」
「ダメだな」
みかねたのぞみが彼に呼びかけるも、答えはノーだった。何の為に、ここまで蹴りまくるのだろうか。単なる不審者で、彼の言う通り、のぞみを襲おうとしたのなら、一度蹴り飛ばした時点で警察に突き出してしまえば解決する。それなのに、どこまで続けても容赦せず打ち込むわけは……?
「…………」
左腕を掌が後ろに向くように腕をひねると、ライトの位置は右手でひねれるところになる。装着されたブレスのライトを、彼はひねり、また逆側に戻した。そのひねり方は、右腕側から見れば、最初が左回転で、次が右回転だった。
『オーバードライブ……ブリザード』
ブレスから、低い無機質の音声が飛びだす。途端に、右足が凍りつく。それを見て、のぞみは驚くが、当の彼はまったく気にせずに、そのまま敵を蹴った。
「――ハッ……!」
『ギ……』
蹴りは敵の肩に直撃した。キャット・メテレイスは、苦しむかのような呻き声を上げる。紫の外見の彼は、そのままの態勢をキープし続ける。
のぞみは、あっ、と声を上げた。なんと、敵の首が凍り始めている。そういえば、先程彼の足は凍っていた。もしかすると、その冷気で敵側も凍らそうと考えているのかもしれない。
「ハッ」
力を込める彼。すると、敵が吹っ飛ぶ。一度目の蹴りで凍らせ、そのままの流れで敵を蹴り飛ばす、という技なのだろう。
『ギニャァァァッ……』
最期のみ、猫らしい声を発しながら倒れ込むキャット。『声に大した意味はない』と言われたが、確かにこの声はどういう意味で発せられているのかわからない。鳴き声と同様のものだろうか。人間にしては実におかしかった。
シュゥゥ……
「あっ!」
のぞみは次の瞬間、目を疑った。何故なら――キャットが、突然光を発したからだ。強く、自分の存在を見えなくするような光。
何より驚いたのは、その光が収まり、夕日のオレンジ色のみになったとき、そこには誰もいなかったこと。よって、怪人も紫色の少年もいなかった。
(夢とか幻……じゃないよね、これ?)
のぞみがどう反応すべきか迷っているところの上を、昨夜を追いかけた際に抜かしていった生徒たちが歩いていた。
『おおーい、河川敷は先公にチクられるとやべーぞー』
その中の、親切な男子がのぞみに伝えてくれる。確かに、この道も、実際には通学路として認められていない。加えて、そのさらに外となれば、流石に、通行人から教師(先公)に伝わったときにまずいだろう。信じられない、という真顔からいつもの明るい表情に戻るのぞみ。男子の方を向き、礼を言う。
「ありがとーございます!」
坂を上る。そして、前を見た。ここまで来たら、引き返さずに、この道を通って駅に進む方が早いだろう。咲夜はもう行ってしまっただろうから、のぞみも家路に着くべきだ。
だが、自分の前に、小太りの男がいることに気付く。通路は通行人が二人いるだけでふさがる程度。なので、横幅の大きい人間がいると邪魔になりやすい。
男の隣をすっと抜けるのぞみ。体格はまだ小さい方だから、男と合わせて丁度二人分、といった感じになった。
ちらっと顔を見ると、ネズミ面だった。何故か、悔しそうな顔をして、ブツブツと何か呟いている。聞き取りづらかったが、なんとなく気がかりに思える。その理由は、彼が持つ黄色いペンライトが、紫の少年がブレスに着けていたものに形状が酷似していたからだ。さらに着目すべきは、男の台詞。ボソリとしていたが、何度も繰り返している愚痴らしく、のぞみはなんとか聞き取ることができた。
「くそっ、でもいつか潰してやるからな……」
(この人もしかして、“キャット・メテレイス”? いや、違うかなぁ)
一瞬のぞみは疑ったが、今日のところはさほど気にせずに帰ることにした。
○○○○○○
ガタンゴトン……ガタンゴトン……
翌朝。のぞみは昨日と同じく電車に乗って通学していた。列車が線路のつなぎ目に差し掛かるときに発せられる音は、定期的に彼女の鼓膜を震わせる。加えて、橋を通るときには音が強くなる。
「あっ、ここだったんだ」
シートに座り、窓の外を見て、誰に言うともなくのぞみは呟いた。視線の先には、河川敷と、電線の塔。昨日は、別段気をつけて外を見ていたわけではない。その為、目の前を通りすぎても、気付くことはなかった。また、昨日は、塔が背後になるように座ってしまっていたから、視点的にもわかり辛い。今日は乗客が多い(主にサラリーマン)ので、わかり辛くない代わりに見え辛いこととなったが。
《まもなく、西海、西海です。お降りの方は、足元にご注意下さい》
アナウンスが車内に流れる。夢路川という地名は、本来はこの河川敷の川の名前だが、学園の名前にもなっている。西海とは、関東で、西側に海がある場所。海が近い為に、夢路川の幅も広くなっているというわけだ。
そして、西海とは、夢路川学園の生徒が降車すべき駅。周りが忙しくなり、多くの人が立ち上がる。のぞみも鞄を担いで立ち上がり、一番近くにあるドアの近くに立った。――電車の、
『反対側のドアが開きます』
――反対側に。
「あっ、間違えたっ」
のぞみは逆側のドアに立ち直した。まだ二回目で慣れていない為、間違えてしまうのだった。
少しずつ電車は速度を緩め、駅の深くに入ったところでついに停まる。
リンゴーン、リンゴーン、リンゴーン
軽快な音声と共に、ドアが開いた。途端に、人がなだれのように出てくる。上野まで三十分、という距離となれば、降りる人も多くなる。都心に近づけば近づく程、乗り降りする人数は増える。のぞみが出て一秒と経たない内に、降りる流れから乗る流れに変わっていた。
これが、俗に言う、『朝の通勤ラッシュ』である。のぞみが経験するのは今回で二度目。昨日の帰りは、朝ほどの数はいなかった。
リンゴーン、リンゴーン、リンゴーン
再び訪れる、軽快な音声。今度はドアが閉まる。閉まってから数秒、上野行きの列車は走り出した。
「すっご~……」
去ってゆく列車を見て、思わず感嘆する。夢路川学園に通うまでは、こういった経験は一度も無かった。都心に住む人間ではなく、むしろ田舎に近い人間であったからだ。
のぞみはエスカレーターに乗り、駅のホームに行く。そして、鞄の中の財布からICカードを出して、改札機のパネルにかざす。すると、前に構えていたガードが開き、人が通れるようになった。
そこを通り、駅の外に出る。本屋やコーヒー屋などが立ち並んでいる建物を抜けて、初めて完全に外に出たと言える。
駅から出て、エスカレーターを使わずにすぐ出発する為に、二階と接続された白い歩道橋がある。そのまま歩いて、階段を降りれば、楽に駅・建物内から抜けられるのだ。
歩道橋には、全体から見える高さに円い時計がついている。見れば、時刻は七時三十分過ぎ。八時前登校が奨励されている夢路川学園だが、三十分歩いて着く距離ではない。三十分で到着したければ、走る必要がある。無論、走らなくとも早歩きにすればタイムも変わるが、急ぐこともなければのんびりと歩けるもので、のぞみの場合は四十分かかり、八時十分程度に着く。まだ二日しか経っていないが、大体こんなところだ。
鞄を担ぎなおし、階段を降る。昨日、咲夜を追いかけていたときとは違い、のんびりとした歩調で進んでいた。
○○○○○○
咲夜には最後まで会わなかった。途中で咲夜に会わなかったのは、別の電車に乗っていたか、あるいは速く歩いて距離を離したからだろう。
一時間目の授業、国語が始まっていた。座席は変わっていない。担任の岩永が、『まずはこの組み合わせ、番号順にしておく』と言ったからだ。その為、女子と男子が完全に分かれている。ノートを取りながら、隣の隣、咲夜を見た。時折教卓を見ながら、他と同じく黒板の内容を書いている。どちらにしろ、のぞみのことは気にしていない。いや、むしろ気にしないようにしているのかもしれない。あそこまで必死に逃げたからには、眼中から消しておこうとするだろうから。
黒板には、昨日と同じで、使用する教科書や宿題の出し方の説明が書かれている。国語の授業は今日から始まるから、まだこの内容にしか届いていなかった。
「使う教科書は、現代文が通常教科書、古文が『やさしい古文』で……」
遠くで女性の先生が話していることのほとんどは、黒板の復唱に過ぎない。今の書き込みは、メモ程度になっていた。それでも、大抵の生徒は、ノート取りを行っている。
「では、今日は現代文をやりましょう」
そう言われて、現代文の教科書を出す。大きさは他のものの三分の二くらいだが、代わりに二倍の厚さだ。文章が多い為だろう。
「今日やるところは、十二ページです」
十二ページを開く。その部分には、短編の物語が印刷されている。最初にやるのは、日本文学だ。
説明を消し、代わりに白チョークで題名、作者のプロフィールを書いてゆく。のぞみもそれを写し、先生のやる通りに題名を赤ペンで囲った。
キーンコーン、カーンコーン……
そのとき、高い音でベルが鳴った。授業終了の合図だ。号令係が「起立」「礼」「着席」の三つを言い、生徒はそれに従った。
先生が前のドアから出ていくと、のぞみはすぐに咲夜を見た。視線が合った途端に目を逸らす咲夜。これでは、彼女が近づいていっても、なんの収穫も得られないだろう。そう判断したので、遠くから会話を聴くだけに留めた。ざわざわとした教室内で二人の声だけをきっちり聞き分けるのは難しいかもしれないが、席は近い。意外とできるものだ。
ちらと右を見ると、光一と話しているのが見えた。彼とは仲が良さそうだから、何か話してくれるかもしれない。
『いよーっす!』
『授業が終わるごとにそれを言うのは止めてくれないか……?』
『いやあ、これぞ個性ってものでしょ。なに、今回の休みは雑談ということで』
「お、なんか話してんならオレも混ぜてくれ」
ガタリ
右の席の生徒が立ち上がり、二人に合流した。確か、彼は男子だったと思うが、のぞみは顔と身体から、女子と見まがった。目はピンとしているが澄んでいるし、体格の小ささからも格好良い、よりも可愛い、の方が印象として焼きつく。
(あれ? ここは男子席だったと思うけど……?)
制服を見れば、ズボンを履いている。なるほど性同一性障害か、とのぞみは判断した。それは、完全に間違っているのだが。
その後も会話を聴く。
『んで? なーに話すんだ?』
『……光一に聞け』
『うん、まあ社会事象に関する』
『あ、オレ急用が』
『何故逃げる……?』
『オレは得意じゃないんだよこういう話!』
『いや、これは結構面白いよ。まさに誠を尽くす、男の話さ』
『何ィ?』
『……理央は本当に男の物語が好き』
『黙れよ』
『まあまあ。で、ある電気会社で、新たな社長が就任しました』
『ほお』
『そのときに、賄賂使ってた人を全員クビにしました』
『おお、おお』
『そのときに、なんと起訴まで持ってかなかったんだな。実際ニュースになった話じゃなくて、その会社に友達がいる、僕の父さんから聴いた話なのさ。社長は、『私がやりたいのは賄賂を撲滅すること。こらしめることではない』だそうだ。これって、『罪を恨んでも人は恨まず』に繋がるところがあると思わないかい?』
『おおー!』
『なるほど……』
『しかしそれでも、クビにされた側は腹を立てるだろうなって、父さんが言ってた』
『確かに』
『だけどよぉ、こうやって男を貫くのは良いよなっ!』
理央という生徒は、とても元気がある。と、彼を性同一性障害と勘違いしたまま、うんうんと腕を組んでうなずくのぞみ。しかし、あることに気がついた。
(あれ?)
光一の会話、なんとなく、自分に繋がっている。そう感じたのぞみは、ガタッと席を立ち上がった。腕時計は、授業七分前を差している。これなら、多少話しても問題はないだろう。
「ちょっと、渡辺君!」
「んー?」
手を大振りに挙げ、光一の苗字を呼ぶ。そして、そのままの流れで腕を掴んで教室外に出た。
『光一……?』
『颯爽と去ったな。そういや、あいつ、見たことない面だけど、高入生か?』
『まあ、そうだ』
背後から、咲夜と理央の、少し驚き気味の声が聞こえたが、気に留めないようにした。
「渡辺君にちょっと聞きたいんですが」
掴んでいた腕を放し、切りだす。光一はさして驚くこともなく、いつもの笑顔をまったく崩さずに応えた。
「なんだい?」
「さっきの会話に出てきた会社の、クビにされた人に、ボク、会ったんです」
「へえー、聴いてたんだ」
「あ、すみません」
気を悪くされたかと思い、謝るのぞみ。しかし、光一はやはり明るい表情で受け流した。
『今、一人称がボクだったよな。ま、あいつのことだし、気にしないか』
『……そうだろう』
教室内から二人の話が聞こえてくる。あたかもこちらの会話を聴いているように思えるが、のぞみは気にしないことにした。
「ま、いいさ。それより、どういう経緯でそこの会社ってわかったの?」
「いえ、最初はわかんなかったんですけど、『いつか潰す』って、言ってたのを思い出したんです」
のぞみは、キャット・メテレイスと、紫の人間のことは省略して光一に伝えた。信じてもらえないだろうし、そんなことで、休み時間を消費しても意味がない。そもそも、光一の人間性ゆえに、途中で友達との会話を遮られても何も言わないのだ。これ以上彼の好意にすがるのはまずいように感じる。
「それで、河川敷にある鉄塔の前に立って、何かしてたんです。もしかすると、停電を狙ってるんじゃないかって……」
「え!?」
そこまで言ったとき、不意に大声が聞こえた。発信源は光一である。この男、実に騒がしい。成績トップは個性的だ。
「とすると、電気をストップさせて、会社に痛い目みせようってハラの奴らがいるのかい?」
「もしかすると、そうかもです」
相手の上ずった声に答えるのぞみ。光一は腕を組んで悩ましそうに言った。
「そうなると、まずいね。電気がストップすれば、予備電源があっても、一時的ながらどこか――例えば、病院なんかが、停止する。人の命に関わる問題になる。それに、鉄塔となれば、電柱を倒した場合よりも被害が拡大するだろう」
「えっ」
今度はのぞみが驚いた。そこまでの深刻さでは、この問題を考えていなかったからだ。なるほど、確かに電気が止まれば、病院の電気も止まる。無論、予備電源があれば問題ないだろうが、それがつくまでの時間、患者の命が危険にさらされる。
(この話の流れだと……咲夜の話に持っていくのは無理かなぁ……)
内容の深刻さを教えられた彼女は、咲夜について質問するのは諦めることにした。そんなことを聞くのは、あまりにも空気が読めない行為だ。
「まぁ、いいか。それは警察に伝えれば、解決するだろう。鉄塔を見張れば楽に阻止できる。今は……」
突然光一に顔を近づけられ、のぞみは少し驚いた。彼は細かいことを思案するように真剣な顔になり、うーんとうなる。
「君と咲夜の問題を考える方針で」
「え?」
つい間の抜けた声を出してしまった。こちらから話題にすることを諦めたのに、まさか相手側が展開してくれるとは考えていなかったからだ。
「君、そっちの話がしたかったんでしょ? 咲夜は友達だからね。その友達が、上手くやってけるようにしてあげるのは当然じゃないか」
にこにこと笑いながら、自身の行動の理由を解説する光一。会話の流れを、相手がしたい方向に持って行ってくれるとは、なんとも優しい。おまけに、『友達の友達を幸せにする』精神まで持ち合わせているとは、咲夜は良い友人を手に入れた。
「まぁ、僕と理央に任せておいてくれ。きっちり事情を聞いとくから」
ドン、と自らの胸を叩く光一。その姿は自信ありげだったので、のぞみは礼を言って教室に戻り、後は彼からの報告を待つことにした。
○○○○○○
放課後――。
『どうして逃げる、咲夜! 一回のぞみさんと話してみようよ!』
『光一、駄目だ、駄目なんだ……!』
『仕方ない、理央、咲夜を捕まえるんだ!』
『おうよッ!』
のぞみは、教室で三人が展開する追いかけっこを机から見ながら、本当に光一に頼むべきだったのか悩んでいた。というのも、彼がやっていたことは、昨日ののぞみとまったく変わらないことだったからだ。単に追いかけて、捕まえて、理由を聞くという、単純な作戦。
追う二人が少し優勢だ。咲夜が鞄を担いでいるのが見えた。恐らく、すぐに帰るつもりだったのを、逃げ出したのだろう。
ふう、と息をつく。友達ならば、普通に質問すれば良いだろうが、あの二人が聞いてもダメで、逃げ出してしまった。昨日見た通り、咲夜の逃げ足は非常に速い。放課後になってから十分間は、ずっと鬼ごっこが続いている。
「……睦月さん、休み時間に渡辺君と話していましたが、どうしたのですか?」
不意に机の前に立つ女子が現れた。名札には、『水川』と書かれている。彼女は、光一に観察されていた、水川歌和であった。
「えっと、咲夜と話したいって言ったら、こんな鬼ごっこになって……」
「……そうですか」
歌和は、実に静かな雰囲気をまとっていた。話すときでさえ、一度考えてから言う、というような、ディープなイメージになる。例えるならば、青い海のような。腰までかかったストレートの髪が、それをさらに深めている。
「……彼は、本当に行動的ですね」
「咲夜があんなにすばしっこいなんて、驚いたなぁ」
「……いえ、渡辺君の方です」
「あ、そっち。確かに」
『彼』という代名詞を使っていたので、咲夜ではなく光一を指していると気がつかなかった。その後も、二人で会話を続ける。
『そっちに行ったぞ、捕まえるんだ!』
『了解!』
『くっ……』
しばらくして、ふと三人の動向を確認すると、鬼ごっこの場は、教室から廊下に移動していた。
ここで、歌和が一つの提案をした。
「……睦月さん」
「あ、はい」
突然だったので、簡単な応答になってしまったが、歌和は気にせず続ける。ただし、考えてから話す、深い雰囲気を崩すことなく。
「……そろそろ、彼らの鬼ごっこに終止符を打ってはいかがですか?」
「終止符?」
既に考えがまとまっているのか、手早くてきぱきと話していく。その解説は、とてもわかりやすく、説得力のあるものだった。
「……黒羽さんは、ただ小山君と渡辺君の二人からのみ逃げており、睦月さんが見えていません。ならば、ここで入れば、奇襲攻撃となり、成功率は高いと思います」
「なるほど」
そこで考える。なるほど歌和の言う通り、今、睦月は咲夜にとってノーマークだ。ここで参戦すれば、二対一から三対一に、なんの前触れもなく変わる。予想外の状況にあたふたしてくれれば、こちらはかなり有利になる。追いかけっこによる理由の質問は難しいと諦めていたが、仲間が増えているこの状況ならば勝機は充分にある。
「じゃあ、行ってこようかな」
「……健闘を祈ります」
睦月のぞみ、出陣――。咲夜だけでなく、三人全員が、それに気付いていなかった。つまり、先程言われた通り、この攻撃は奇襲となる。如何に足が速くとも、奇襲には弱い。奇襲された場合に求められるのは、足の速さではなく、場への対応力だからだ。
今、彼らは一年一組前の廊下にいる。ドアから出る前に、状況を一度確認する。
『くそっ、階段昇ってこられた!』
『一度降りてから上がるのはキツイぜ……』
『よし……!』
大体状況は飲み込めた。つまり、ここで出ていけば、挟みうち状態を完成させられる。作戦は、歌和の言っていた以上の出来だ。もしかすると歌和が学年トップかもしれないとのぞみは思ったが、実際にトップなのは光一である。『追いかけっこ』というバカな作戦を強行した彼が。人間の知性はテストの成績だけでは決まらないが、トップならば少しは、戦略的な行動を心がけてもらいたい。
視界に、必死で走る昨夜の姿が映る。今こそベストタイミング。
「とおーっ!」
のぞみは半分ジャンプするように、廊下に躍り出た。そしてすぐさま、腕を伸ばし、とおせんぼして逃げ道をふさぐ。
「……!」
キキッ
上靴のゴムと廊下がこすりあう音が聞こえた。咲夜のものである。のぞみを見て、ブレーキをかけたのだ。そのままの流れでUターンし、階段に戻ろうとするも、そこには既に二人の敵がいる。
『おおっ、のぞみさん、挟みうちか! よくやってくれた!』
『さぁ~て咲夜、観念しろ!』
長身とちびが放つ、威勢のいい声が廊下に響く。教師がもしいたならば怒鳴られていたくらいに。無論、廊下を走った時点で怒鳴られる要素としては充分なのだが。
前後を敵で囲まれた咲夜。片方のドアはのぞみが閉鎖したし、もう片方は二人が閉鎖した。つまり、左右にも逃げ場はない。
「咲夜……どうして、そんなにまでして逃げるの? どうかした?」
のぞみは、とおせんぼした腕を元に戻し、問いかけた。それに対して、帰ってきたのは、こんな言葉。要領を得ない、謎ばかり含んだもの。
「駄目なんだ……! 俺は、お前と一緒にいられる気がしない……!」
「えっ」
ぎりりと歯軋りしながら、拳を握り締めている。駄目だ、としか言ってくれない咲夜に、さらに問いかけようとするが。
ぱっ
そのとき、電気が消える。光一が危惧していた、停電であった。
半年ぶりの更新ですが、もしかすると、これが最後の更新になるかもしれません。ご了承下さい。