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処刑台に立たされた無能台帳係、統計チートで国家の闇を暴くことにしました

 1話


 縄の感触は、思っていたよりも柔らかかった。麻縄が汗を吸い、首筋にまとわりつく。処刑台の板は冷たく、足の裏から震えが上ってくる。台の下では人の声が渦を巻き、怒りと飢えと好奇心が混ざった匂いが鼻を刺した。


「盗人を吊るせ!」

「穀倉を空にした罰だ!」


 叫びの合間に、子どもの泣き声が聞こえる。腹が減って泣いているのか、父親が怒鳴っているから泣いているのか分からない。たぶん両方だ。


 俺――レン・クラウス。

 辺境伯領の台帳係。


 今日、処刑される。

 罪状は「王都へ納める納税穀の横領」。

 理由は単純で、穀倉が空で、鍵と帳簿を預かっていたのが俺だったからだ。


 分かりやすい。分かりやすすぎる。

 世の中は「話が通る犯人」を欲しがる。俺はそれにぴったりだった。


「最後に弁明はあるか」


 壇上から落ちてきた声は冷たい。領主代行セレス卿。

 痩せた男で、笑っていても目が笑わない。だが、愚かではない。だからこそ、ここで言葉を間違えれば即死だ。


 俺は唾を飲み、群衆を見た。彼らが求めているのは真実じゃない。納得できる物語だ。なら、俺は物語の主役を奪い返すしかない。


「あります」


 怒号が跳ね上がる。


「盗人が喋るな」「舌を抜け」。


 処刑役の兵が槍の柄で俺の背を小突いた。早く言え、という合図。早く死ね、の間違いだろう。


「穀倉が空なのは事実です」


 まず事実を認める。ここを否定した瞬間、俺は現実逃避の盗人にされる。


「ですが、俺が盗んだという証拠はありますか?」


 一瞬、空気が止まり、次の瞬間に爆発した。


「台帳係が盗んだに決まってる!」

「証拠も何も、お前しかいない!」


 セレス卿が手を上げると、ざわめきは不思議と引いた。統治とは音量の調整だ。あいつはそれを理解している。


「台帳係が盗んだ以外、誰がやる?」セレス卿が言った。


 予想通りの返答だ。だが、ここからが勝負。


「それは因果ではなく近接です」


 口にした瞬間、少しだけ後悔する。難しい言葉は嫌われる。だがセレス卿は眉を上げた。


「分かりやすく言え」


「穀倉が空だと分かったのが俺だから、空にしたのも俺だ――そういう理屈でしょう。違います。俺は犯人じゃなく、空だと見つけた観測点です」


 観測点。群衆は理解しない。ただ、セレス卿の目がわずかに細くなる。興味が混じった目だ。なら押し切れる。

 俺は息を吸い、数字を置いた。感情ではなく量。量は現実の足場になる。


「消えた量を先に確定しましょう。納税穀は今年、合計で2,000俵の予定でした。運び出し記録は1,200俵。穀倉の残りは200俵。合計1,400俵。つまり、帳尻から600俵が消えた」


 群衆がざわつく。数字は怖い。だが同時に説得力がある。


 役人の1人が叫ぶ。「そんな計算、誰でもできる!」


「はい。誰でもできます。だから、誰もやらない」


 笑いが起きた。処刑台で笑いが起きた瞬間、空気の支配権が少しだけ俺に戻る。


「600俵は重い。1俵は約60斤。馬車1台に積めるのは多くて100俵。つまり馬車6台分です」


 俺は門の方に視線を向けた。


「夜に馬車6台が動けば、門番は気づきます。車輪の跡が残り、馬の糞が残り、門の開閉記録が残る。門番、答えられますか? その夜、門を6回も開けましたか?」


 門番の兵がびくりと肩を震わせ、視線を逸らした。沈黙は答えだ。


「つまり、門から外へ出ていない可能性が高い。領内で消費されたか、領内のどこかに移された」


 俺は言葉を区切って続ける。


「市場に流れたか。軍に回ったか。あるいは――神殿か」


 神殿、という単語で空気が凍った。怒号の温度が一段下がる。信仰は刃物のように鋭い。軽々しく触れれば自分が切れる。セレス卿の声が低くなる。


「神殿を疑うのか、レン」


「疑っていません。仮説です。仮説は検証できます」


「証拠は?」


 来た。

 ここで「神殿の倉を調べろ」と言えば終わる。神殿には自治権がある。領主代行でも踏み込めない聖域だ。なら、別の武器を出すしかない。


「証拠は――予測で作れます」


 どよめきが広場を走る。セレス卿の眉がわずかに動いた。


「3日後、神殿は配給を行います。パンを配る。薪も配る。慈善です。民は感謝し、疑いは消える」


 群衆の端に白衣が見えた。神官たちがこちらを見ている。視線は冷たく、しかし楽しげでもある。


「そのパンの材料はどこから来る? 短期間に大量の穀物が必要になる。もし神殿が600俵に関与しているなら、その一部がパンになる」


 役人が叫ぶ。「窯を調べるつもりか! 不敬だ!」


「窯は調べません」


 俺は即答した。ここで譲歩するのが交渉だ。


「結果だけ観測します」


「結果?」セレス卿が問う。


「配給後に、どの地区の飢えがどれだけ改善するか。最も飢えた地区が最も改善するなら慈善です。特定の地区だけ改善するなら、操作です」


 群衆がざわつく。「操作?」という言葉が人々の腹に落ちていく。


「どうやって測る」とセレス卿。


「湯の温度です」


 笑いが少し混じった。だが俺は止めない。


「飢えた家は燃料がない。湯を沸かせない。配給でパンが入っても、燃料が増えなければ湯は熱くならない。逆に、特定の地区だけ燃料が回れば湯の温度は上がる。燃料の流通は穀物と別ルートです。そこに偏りが出ます」


 セレス卿が黙った。沈黙は検討の時間だ。俺は余計なことを言わず、ただ待った。処刑台の上で「待つ」ほど怖いことはないが、ここで焦ったら負ける。


 やがてセレス卿が言う。

「……3日、猶予をやる」


 群衆がどっと沸く。縄が外され、首が軽くなる。膝が震えたが、倒れなかった。倒れた瞬間に、再び物語の主導権を奪われる。連行される途中、群衆の端から白衣がすっと近づき、耳元で囁いた。


「推計官殿。観測とは、美しい」


 女の声。若く、冷たい。笑っている声だ。


「ですが――観測されると知れば、人は結果を整えますよ」


 背筋が凍る。

 そうだ。俺は宣言してしまった。湯の温度を測る、と。なら神殿は湯を均等にする。薪を均等に配る。観測は潰される。

 牢へ向かう石畳の上で、俺は口の端を上げた。最悪のケースが見えたなら、次にやることは1つだけだ。

 相手の最適反応を、さらに上から読む。


 湯が無理なら薪の重さ。薪が無理なら灰の量。灰が無理なら煙の匂い。匂いが無理なら咳の頻度。人間は必ず何かを漏らす。制度も同じだ。整えるほど、別の場所が歪む。


 牢の扉が閉まる。暗闇の中、俺は指で床に図を描いた。地区割り。観測者配置。情報の漏れ方。神殿が均等化を選ぶ確率。均等化のコスト。物流の詰まり。


 そして最後に、俺自身の生存確率。3日。72時間。足りるか?


「母数が足りないなら、増やせばいい」


 呟くと、闇が少しだけ軽くなった気がした。


 前世の俺は、数字の仕事をしていた。会議室で「この政策は効いていない」と言えば、空気が死ぬ。現場に行って「この予算は漏れている」と言えば、笑顔が消える。真実はいつも歓迎されない。歓迎されないから、真実は測られなくなる。測られないものは腐る。腐ったところから、必ず死人が出る。


 今、俺の首に縄がかかっているのは、その“腐り”の結果だ。誰かが穀物を動かし、誰かが黙り、誰かが目を逸らした。俺はただ帳簿の端でそれを見つけただけなのに、見つけたこと自体が罪にされた。


 処刑役の兵が、俺の後ろで静かに足を踏み鳴らした。合図だ。弁明が長引けば、群衆は再び怒りに戻る。怒りは一度燃え上がると、鎮めるよりも新しい燃料を欲しがる。俺の言葉が燃料になれば、セレス卿が手を上げても止まらない。


 だから俺は、意識して短く切った。数字を置き、行動を示し、次の問いを投げる。群衆の頭の中に“続きを知りたい”という穴を開ける。怒りの炎を、好奇心の火にすり替える。


 セレス卿が興味を示したのも、それが理由だ。あの男は冷酷だが、退屈を嫌う。退屈を嫌う者は、時に合理に手を伸ばす。俺はその手を掴むしかない。


 役人たちの中に、唇を噛みしめている者がいた。俺の数字が、彼らの腹を刺したのだろう。600俵――その量は“うっかり”では消えない。誰かが意図して動かした。意図があるなら、必ず動線がある。動線があるなら、痕跡がある。痕跡があるなら、観測できる。


 ただし、観測できるのは「相手が観測を意識していない時」だけだ。相手が観測を意識した瞬間、世界は変わる。人は見られていると、嘘をつく。嘘をつくとき、人は一番簡単な嘘――“均等”を選ぶ。均等は正義に見える。だから厄介だ。


 セレス卿の「面白ければ首を繋いでやろう」という言葉が、頭の中で反響する。面白さとは、統治者にとっての娯楽であり、同時にリスクの匂いでもある。面白い賭けは、時に状況をひっくり返す。俺は賭けを差し出した。3日後という期限を、相手の手の届く距離に置いた。


 ――期限は武器だ。期限がない議論は永遠に続き、永遠に続く議論は何も変えない。期限があると、人は決めざるを得なくなる。決めた瞬間、責任が生まれる。責任が生まれれば、隠れていた腐りが表に出る。


 だから、3日後。神殿が慈善を示すその日に、俺は“観測される側”を観測する。


 そしてもし、神殿が完璧な均等を作ったなら――俺は別の均等ではないものを測る。均等を作るコスト、均等を作る動線、均等を作るための嘘。嘘は必ず連鎖する。連鎖した嘘は、どこかで破綻する。


 扉が閉まる音が、最後にもう1つだけ現実を突きつけた。

 3日後に結果を出せなければ、俺は消える。骨も残らない消え方で。


 それでも、やるしかない。


 俺は床の図を指でなぞり直し、暗闇に向かって小さく宣言した。


「この国は、観測できないから腐った。なら、観測できる国にする」


 その宣言が、祈りよりも確かな手触りを持っていた。三日後、この街は初めて“数字”で揺れる。


 そして、揺れた後に残るのは――剣でも祈りでもなく、仕組みだ。

初めまして!無能台帳係と申します。初めて作品を投稿します。一度書いてみたいと思っていた統計×国家運営を中世のファンタジーを元に書いています!構想で3ヶ月ほど、30話までは書き溜めをしましたので、随時公開をしていきます。なお、30話以降は仕事をしながら執筆しますので、一日1話を目標に公開していきます!

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