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月下美人

「私はこれから予定がありますので、奏のことはアジル様に。お二人の身の回りの世話は、引き続きサギリが担当いたします」

 シャイナはそう言い残すと、流れるような動作で応接室を後にした。残されたのは、俺とアジル、そして御座船『鳳凰』での警護責任者であり、女神直属の近衛隊長でもあるサギリだった。彼女をわざわざ案内役につけているあたり、この国が俺たちをどう扱っているかが窺える。


 夕食は、蓬莱府の広大なバルコニーに面した広間で行われた。

 サギリが手際よく配膳を進める中、食卓には脂の乗った寒鰤かんぶりの刺身や、香ばしく焼かれた鴨肉の治部煮といった、繊細な和の献立が並べられていく。


「それにしても、シャイナ様は随分とご多忙でいらっしゃるのね。ゆっくりとお話しするお時間もないなんて」

 アジルが優雅に箸を運びながら呟くと、給仕をしていたサギリが、どこか誇らしげな笑みを浮かべて口を開いた。


「シャイナ様はご覧の通りの類稀なる美女でいらっしゃいますから。その噂を聞きつけた大陸の貴公子たちが、美しさに目がくらんで絶えず求婚に訪れるのです。ですがそのたびに、シャイナ様は彼らに不可能な難題を出し、煙に巻いておしまいになるのですよ」

「不可能な難題……例えば?」


 アジルが興味深そうに尋ねると、サギリは自慢の主を語るように声を弾ませた。


「例えば昨年見えられた西部の御曹司には『深海一万メートルに沈む旧時代の増殖炉を、素潜りで取ってきなさい』と。その前の通商連合の会長には『あなたの全財産をマターに変換して、富士山の山頂から空へ撒いてみせて』と。……きっと今頃も、応接室で今日の求婚者に無理難題を押し付けて、青ざめる顔を楽しんでおられる頃でしょうね」


 サギリはくすくすと笑いながら、シャイナの冷徹な「門前払い」の武勇伝を語った。

「竹取の姫君も真っ青の難題ね。光剣で喉を焼かれた殿方たちには同情するわ」


 アジルは静かに微笑んだ。

(ひょっとして、先ほどシャイナから結婚の話を持ち出されたアジルも、求婚者たちと同じように無理難題を俺に吹っ掛けて断るつもりではなかろうか……?)

 サギリの武勇伝を聞きながら、俺は密かにそんな不安を覚えていた。


 夕食後、念のため車椅子に乗せられた俺をアジルが押し、サギリの案内で宿泊用の居住区へと到着した。

 大きな観音開きの扉を前に、サギリが事も無げに問いかけてくる。


「アジル様、お部屋はどうなさいますか? 同室にいたしますか?」


 アジルは一瞬、息を呑んで硬直した。彼女の陶磁器のような白い頬に、微かに朱が差す。

(まてまて。ついさっき結婚するかどうかを問われたばかりで、返事もためらっている状態なのに、いくらなんでも展開が早すぎるだろう)


「……い、いえ。別々の部屋で構わないわ。彼もまだ新しい体に慣れていないでしょうし、私も少し一人で考えを整理したいから」

「左様でございますか。では、お隣同士にご用意させていただきますね」


 サギリは意味ありげに微笑んで一礼すると、俺たちをそれぞれの部屋へと案内した。


 部屋には立派な檜の風呂が備え付けられていた。

 車椅子に乗せられてはいたが、足元にさえ気をつければ、この肉体で自力で普通に歩くことくらいはできる。立ち上る湯気の中で、俺は頭の中の情報を整理しようと試みたが、加里奈先輩の思惑や大陸の情勢など、ピースが足りなすぎて一人で考えていても埒が明かない。


(アジルと情報を同期する必要があるな)


 俺は薄手のガウンを羽織ると、隣の部屋の扉を軽くノックした。

 中から現れたアジルは、すでに薄絹のナイトガウンに着替え、窓辺で不夜城のような大阪の街を眺めていた。彼女は俺の姿を見るなり、悪戯っぽく目を細めた。


「あら。夜這いに来るつもりなら、最初からサギリに『同じ部屋で』と頼んでおけばよかったかしら。……可愛い魔術師様?」

「よしてくれ。ただでさえ自分の顔が鏡に映るたびに調子が狂うんだ。……少し話せるか? 状況を整理したい」

「ええ、どうぞ。私も丁度、あなたと答え合わせがしたかったところよ」


 俺たちは部屋の中央にあるテーブルを挟んで、向かい合わせのソファーに腰を下ろした。


「まず、大陸の情勢からだ。……アマツが死んだ後、皇帝が新興地域の東部ヘシス家と結びついたというのは別に今に始まった話じゃないよな?」

「ええ、私が皇太子妃候補だったころからリリアナとは常に比較されていたわね」


 アジルは優雅に足を組み替え、淡々と事実を並べた。


「元々中央政治には興味のないジーマ家は、私以外の妃候補を一切出していなかったの。だから、私が手足を失って皇帝との婚姻政策が頓挫した時点で、ジーマ家と皇室の関係は完全に絶たれたわ。皇帝は自分の政治基盤を固めるために、強大な軍事力を抱える文明開放派の筆頭、ヘシス家を頼るしかなかったのよ」

「なるほどな。中央の権力争いはマター技術の開放に傾いているわけだ。……だが、教会はそれを黙って見ているのか? あそこは文明規制派の牙城だろう?」

「それが、そう単純でもないのよ。教会内部でも医療や金融を抱えているからエネルギー不足に対する不満の声は大きくてね。文明開放派と規制派が入り乱れて、全くまとまっていないのが現状よ」


 アジルの言葉に、俺は深く息を吐き出した。


「アマツが頑固なまでに旧マター施設の封鎖を解かなかったのは、彼が『マターバースト』の経験者だからだ。セキュリティレベルの低い旧マター増殖炉を不用意に稼働させれば、大陸の形が変わるほどの大災害が再び引き起こされる可能性がゼロじゃない。だからアマツは封鎖した。……だが同時に、エネルギー問題が引き金で内乱が起こることも憂慮していたはずだ」

「だから、私に管理権限を持たせようとしたのね」

「そうだね。皇帝が文明開放派の突き上げで窮地に陥らないよう、君に権限を持たせて時に必要な旧マター増殖炉を一時的に開放してバランスの取れる手札を作ろうとした。だが、その試みは失敗し、彼は死んで、君も手足を失った」


 俺が結論を口にすると、アジルは少しだけ痛みを堪えるように目を伏せた。


「結果として、政治基盤を固めたい皇帝は東部ヘシスと結びついた。でも、彼らには実際に旧マター増殖炉を動かす権限も技術もないし。……国民の期待だけが膨れ上がるがエネルギー問題は解決せずに、いずれ不満は大爆発する。大きな内乱になるのは目に見えているわ」

「まさに危険な状態だな。……だから、カリナは――いや、教会は技術的な無理を押し切ってまで俺を叩き起こして管理権限を復活させたかったんだな」

「ええ。教会は、いざという時に旧マター増殖炉の管理権限を行使できる『切り札』を、無理矢理にでも手元に置いておく必要があった。そうしないと、エネルギー問題を巡って本当に大陸全土を巻き込む内乱になってしまうから。……あなたの再構築は、教会にとっての大陸秩序崩壊を防ぐための最終防衛線なのよ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺はたまらず両手で顔を覆い、深々とソファーに沈み込んだ。


「俺は1000年ぶりに目覚めたばっかりの、ただのしがない研究者だぞ。アマツやカリナみたいな1000年の統治経験すらないただの中年男性だ。大陸全土の命運だの、内乱の歯止めだの……いきなりそんなバカでかい世界を背負わされて、どうしろって言うんだ」


 思わず声が震えた。

 俺が管理権限を行使し間違えれば、再びマターバーストが起きるかもしれない。あるいは、俺の存在が火種となって大陸が内乱の炎に包まれるかもしれない。自分の手のひらに乗せられた九億人という命の重さに、若返ったばかりの肉体がひどく軋むような錯覚を覚えた。


 しばらくの沈黙の後、不意に、アジルの小さく柔らかな笑い声が聞こえた。


「……ふふっ」

「なんだよ、人が真剣に頭を抱えてるのに」


 顔を上げると、アジルはかつての加里奈先輩のような、どこか愛おしむような眼差しで俺を見つめていた。


「ごめんなさい。でもね、奏。今のあなたの姿を見ていたら、曾祖母が、どうしてあなたに世界の鍵を託したのか、少しだけ分かった気がしたのよ」

「俺の、この情けない姿を見てか?」

「ええ。権力者志向の人なら、大陸の生殺与奪の権利を手にして笑うところよ。それこそシャイナに求婚してくるような人たちのことね。でもあなたは、自分の手の中にある命の重さに、心底怯えて、本気で頭を抱えている。……あなたは統治者ではなく、根っからの研究者なのね。だから曾祖母は、あなたを世界で一番信頼したのよ」


 アジルの静かな声が、波立っていた俺の心を少しずつ鎮めていく。彼女は立ち上がり、そして俺の横に座り直して体を寄せてきた。


「曾祖母は本当に奏を信頼しているのね。どうにもならない事態が多発しているときに、何が何でも絶対に解決してくれるってくらいには」

「……ただ丸投げできる相手が欲しかっただけだろう」


 アジルは奏の腰に手を回して、ぎゅっと抱きしめた。

 密着した体温が、薄いガウン越しに伝わってくる。俺はたまらず視線を落とし、腕の中の彼女を見た。


 窓から差し込む月光が、アジルの流れるような黒髪と、陶磁器のように滑らかな白い肌を青白く照らし出していた。至近距離で見つめるその瞳は、夜の闇よりも深く、そして濡れたように潤んでいる。かつて皇太子妃候補として大陸の誰もが憧れたという、完璧な美貌。それが今、1000年の時を超えて、俺のためだけに向けられているのだ。

 吐息がかかるほどの距離で、その圧倒的な美しさに射すくめられ、俺の思考は完全に停止した。理屈や打算が入り込む隙間など、今の彼女の前には1ミリも存在しなかった。


「ねえ、奏。シャイナ様の提案、受けてみない?」

「今決めなくてもいいだろう、他にも方法はあるんだし。……別にアジルには、アジルの幸せを追い求めて欲しいんだけれど」


 俺がしどろもどろになりながらそう答えると、彼女は悪戯っぽく、けれどこれまでにないほど真摯な響きを帯びた声で言った。


「しょうがないじゃない、今決めたんだもの。……あのね、私だって一時期は真剣に皇太子妃、後には皇妃として国を背負うつもりで生きてきたんだから。それを諦めて空っぽになってた私の幸せなんて、結局は権力欲なのよ。だから――私にも一緒に背負わせなさい」


 それは、打算でも妥協でもなく。

 互いの弱さを知る者同士が結ぶ、極めていびつで、けれど何よりも強固な同盟の申し出だった。


「ただ、竜宮城で子作りをしていた話は初耳なのよね。その件についてははっきりさせていただきますからね、魔術師様?」


 夜の大阪の灯りを背に微笑む彼女の姿は、俺が1000年前に知っていたどんな絶景よりも、力強く、そして残酷なほどに美しかった。

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