黄泉の国
かつてのマターバーストの被害を最小限に留めた島国、日本。
そこは、大陸が失った「正統な文化の進化」を維持し続ける孤高のエネルギー大国だった。三体のドラゴンと旧マター増殖炉二基を所有し、高度なマター製品を生産し続ける大メーカーがいくつも存在するその国は、鎖国体制下にありながらも、大陸の富裕層や貴族が安寧な隠居生活と高度医療を求めてやってくる聖域となっていた。人生の最後をこの地で迎えるという意味を込めて、大陸の民はここを『黄泉の国』と呼ぶ。
人口は六千万人。かつての日本人の血に、大陸進出や流入の歴史を経て混じり合った人々が、この静かな熱を帯びた国を形作っている。
御座船『鳳凰』は、首都・大阪の港へと滑り込むように入港した。下船し、用意された出迎えの車に乗り込む。窓から見える風景は、かつての日本とは違う樹脂製の建物が並んではいたが、どことなく日本っぽくも感じる。建物はコンクリートではなく、気泡を混ぜた樹脂の3D建造が主流であり、四角くないちょっと丸みを帯びた建物が立ち並ぶ街並みが続いていた。
「今でも大阪は粉ものとお笑いの街なのだろうか?」
だが、それを確かめる間もなく車は、女神の居城である『蓬莱府』へと到着した。
重厚な扉が開くと、そこにはおかっぱほどの長さの黒髪の美少女が出迎えていた。人形のように整った顔立ちをした彼女こそが、この国の女神シャイナである。
「――おかえりなさい、博士」
鈴の鳴るような声と同時に、彼女はおもむろに光剣をこちらへ投げてよこした。
「これを受けられたら、許してあげましょう」
「おい、いきなりかよ……!」
奏は慌てて光剣をキャッチし、スタンモードで起動させて構える。すると少女はいきなり二人に分身して攻撃を仕掛けてきた。超高速移動による残像か、システム干渉か。
(右か――?)
視覚が右を捉えたが、今の体は奏の思考を追い越し、左側の少女の攻撃を完璧なタイミングで防いだ。
「よく短期間でその体になじみましたね、合格です」
少女は攻撃を止めない。奏は衝撃で体が硬直する。
「なじみすぎですよ。どこかの娘と楽しみすぎです」
ドォン、と重い衝撃が走る。さらに、
「――そしてこれは、あの娘を連れてきた分です」
さらなる衝撃と共に、奏の意識は真っ白に塗り潰された。
*
暗闇の中で意識が浮上した。視界はまだ閉ざされているが、全身が柔らかな浮遊感に包まれている。奏がかつて、乗り心地の悪いドラゴンの居住性を改善するために設計した「フローティングコックピット」の中だ。
『……もう少し眠っていてくださってもよかったのですが。意識の定着は問題ないようですね』
どこからともなくシャイナの声が聞こえる。
(こんな声してたんだっけ? というか、あの顔どこかで見たことあるけれど……誰だっけ?)
「……シャイナ、か。ここは、ドラゴンの中か?」
『遺伝子情報だけで人体を新規に生成するという無茶なことをしましたので、ドラゴン一機を十ヶ月以上フル稼働させていたんです』
「1000年も経過すると、そんなことができるようになったのか」
『できるわけがないじゃないですか。そもそも人間を人工的に生成する必要なんてないですよね。人間の男女が普通にいくらでも「生成」できるわけですから。博士が若い体を手に入れて、好き放題していたみたいにすれば』
「…………」
皮肉の効いた反論に、奏は沈黙するしかなかった。
『視覚……調整します。焦点、合わせますよ』
くらくらとした眩暈のあと、壁面にいくつものモニターが一気に開いた。映し出されたのは蓬莱府の巨大な格納庫。そこには、先ほどまで俺が使っていた「体」が横たわっていた。
「これでイケメン生活も終わりか。少し名残惜しいな」
『アレ、もう人間は誰も覚えていませんが、三百年前まで私が使っていた体ですよ。剣聖スノウと言えばそれなりに今でも有名ですけど。その立派な体を使って行ったのは子作りだけだったとは……見事な偉業ですよ、博士』
「……悪かったよ」
奏は降参するように溜息をついた。
コックピットのハッチが開いて、俺はドラゴンの外へ出た。初めての目覚めの時は体が硬直して動けなかったが、この体はできたてだからなのか、動くことに支障はない。ただ、まだ感覚が慣れずふらついてしまったが、シャイナがすぐに駆け寄って支えてくれた。
後ろを見上げれば、見事なドラゴンが鎮座している。炎のドラゴン『緋炎』の機体は、朱色に黄金の刺繍模様が施され、高田さんらしさが色濃く残っていた。
「しばらくはまたリハビリ生活かな」
「今までのスノウの体は小型ドラゴンですから、騎士の体とは動かし方が少し違いますし。でも心配ですね、また若い体をもてあましてしまうにしても、私ではお相手しかねますよ」
なんの話だろうと、研究員が差し出した鏡を見る。そこに映っていたのは、見慣れぬ、若い――「かっこいい」というよりは「可愛らしい」と言った方がいい男性だった。
「これ……俺?」
若い頃の記憶など曖昧だが、さすがにこれほど愛嬌のある顔はしていなかったと思う。
「遺伝子情報から再構築する際に、足りない情報はカリナの記憶で補完しておりますが……思い出補正というやつもあるでしょう。さぞ美味しくいただいたのでしょうね、博士の「初めて」を」
「騎士にしたのは、管理権限を持っていなければいけないから、不老長寿にしたということか?」
「それもありますが……先ほども言いましたけれど、普通の人間を生成するためにドラゴンを一機、丸ごと十ヶ月も独占させるわけにはいきません。そんな研究に予算がつくわけもありませんよね?」
なるほど。普通の人間なら自然に増える。わざわざドラゴンのマター増殖炉を十ヶ月も使って生成や研究をするには、特殊な能力を持った「騎士」という名目が必要だったわけだ。
俺は車椅子に乗せられた。蓬莱府にはドローンの類はあまりおらず、その代わり人が多い。設備は無機質だが、どこか温かみを感じさせる。
「そういえば、アジルはどこに?」
シャイナが、じろりと見下ろすような目で俺を見る。
「博士がどこで誰と子作りしようが知ったことではありませんが、規約違反者に手を出すのはあまり関心しませんよ」
「おいおい、アジルはアマツの孫だぞ?」
「カリナはアマツの母親でしたよ?」
「まだアマツを産む前の話だろう?」
「ほんの数年の誤差のお話をされていらっしゃいますか?」
なるほど、見た目は美少女だが、確かにこいつはシャイナである。確信した。
「アジルに発生している『神殺しの毒』だが、ID依存ということでいいんだよな?」
シャイナはふいに視線を逸らし、車椅子を押し始めた。
「おいこらシャイナ、まさかお前、ID依存の改善報告を無視したまま、一千年使い続けてるんじゃあるまいな?」
この認証システムを作ったのは、一千年と少し前の俺だ。ナルハイム建造直後、片手間に作ったものだった。網膜、指紋、声紋、IDカードと名前。だが、名前の部分が問題になったのは運用開始から数年後のことだった。結婚した職員の「姓」が変わることを想定していなかったのだ。当時はその都度カードを再発行して対処していたが、数億人単位に膨れ上がり、生体認証技術も上がった今、まさか同じエラー処理を自動で回し続けているのか。
「ということは……アジルが他家に養子に行くか、結婚して姓が変われば治るのか?」
「防衛システムの追撃が止まるだけです。すでに腐食している部分に関してはどうにもなりません。アレはお分かりの通り、宇宙病を元に作られた毒ですから。マター置換治療も効きません」
これを確認できただけでも、日本に来た甲斐があったというものだ。
廊下を曲がり、エレベーターで上の階へ移動すると、そこは華美な居住スペースになっていた。下層の実験棟とは打って変わり、静謐で贅沢な空気に満ちている。磨き上げられた大理石の床には柔らかな絨毯が敷かれ、壁には精緻な絹織物のタペストリーが飾られていた。
案内された応接室は、三方が強化ガラスに囲まれ、夕暮れに染まる大阪の街を一望できた。その部屋の中央、深い紺色のシルクが張られたソファーに、アジルが一人で座っていた。彼女は俺たちの入室に気づき、立ち上がりゆっくりと顔を上げたが、その瞳には明らかな困惑が浮かんでいた。
「アジル、お待たせ。……驚かせて悪いが、どうやら自分自身が思い描いたような結果にはならなかったみたいだ」
俺が声をかけると、アジルは一瞬だけ目を見開いた。声のトーン、そして言葉の端々に滲む、あの煮え切らない中年男の気配。それを察した瞬間、彼女は緊張を解き、いつものように優雅に、しかしどこか楽しげに口元を綻ばせた。
「……信じられないわ。確かに若返るとは聞いていたけれど、そんな可愛らしい魔術師様になって戻ってこられるなんて。バセンの女性たちが今のあなたを見たら、誘拐でもされかねないわよ?」
「せっかく見立ててもらった服なのに、この体じゃ似合わなくなってしまったな」
「ふふ、また買えばいいじゃない。その幼い顔で、相変わらず可愛げのない理屈を並べる姿を想像するだけで、退屈しなさそうだわ」
アジルはそう言って、少しだけ身を乗り出した。彼女の顔色はまだ優れないが、奏の姿が変わっても、その本質を見抜いて笑ってくれる強さは変わっていなかった。
「それで、シャイナ様。この姿はあなたの趣味かしら?」
アジルの問いに、車椅子の後ろでシャイナが冷然と、しかし勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「趣味ではありません。データの不足分を補完した結果、最も『愛すべき形状』に収束しただけです。……もっとも、この姿であれば、竜宮城で規約違反をする覚悟で甘い夜を共にした彼女にも、今の彼が『あの時の奏』だとは気づかないでしょうから、好都合でしょうし」
シャイナの言葉に、アジルは一瞬、俺とシャイナを交互に見比べた。そして何かを悟ったように、さらに深く微笑む。
「なるほど。この国には、婚姻前の男女が交わってはいけないという規約が存在するのね?」
「俺は1000年ぶりにこの国に帰ってきたが、そんな規約が存在した歴史はおそらくないな」
「ではシャイナ様のやきもちを一身に受けるお立場でしたか?」
「シャイナとの再会も1000年ぶりだけれど、1000年前に彼女とそういう関係だったという事実はないな」
「そうですね、私とはないですね、私とは」
シャイナは奏を車椅子からソファーへと移動する手伝いをしながら、ぼそっと呟いた。ここでアジルの曾祖母であるカリナの名前が出るのはあまりに気まずい。俺は咄嗟に話題を変えることにした。
「それより、アジル。君の『毒』について、少し分かったことがあるんだ」
俺が真剣な面持ちで切り出すと、アジルは少しだけ表情を引き締めた。
「完全な解決策にはならないかもしれないが、少なくとも毒の進行は止められそうだよ」
「さすが大魔術師の師匠ね、仕事が早いわ」
「……いや、そう簡単な話でもないんだ」
アジルに「生体認証システムの仕様漏れ」という情けない事実をバラすわけにはいかない。万が一にも、世界の認証システムが「名前を変えるだけで欺ける」などと大陸に知れれば、それこそ国家存亡の危機だ。俺は頭の中で適当な「理論」を捏造しながら、慎重に言葉を選んだ。
「規約違反を犯したのはジーマ家だよね。システムは今、君を『ジーマ家の構成員』という記号で追跡している。つまり、君がジーマの家名を捨てて他家の籍に移るか、あるいはどこかの誰かと結婚して姓を変えれば、少なくとも生体認証システムの『追跡フラグ』からは外れるはずなんだ。……概念的な偽装工作だと思ってくれ」
「……身分を捨てて、他家へ嫁げと? 解決策としては、あまりに情緒に欠けていて素晴らしいわね」
アジルは皮肉っぽく笑ったが、その瞳には深い苦悩が滲んでいた。
「だけど、それでは規約違反を犯した私個人の罪は問われないということにはならなくない?」
「そうだね。だから進行は止まるけれど、今侵食されている部分に関してはそのまま治らないんだ。その毒の元になっているのは、おそらく俺が治しきれなかった病の変異体だ。通常のマター置換治療は受け付けない」
アジルはもう軽口を叩く余裕すらもない表情になっていた。
「では、ずっとこのまま……?」
「今進行が止れば二の腕で止まる。つまり、左腕全体を諦めれば、毒の影響からは抜け出せるんだ」
アジルの陶磁器のような白い顔から、益々血の気がなくなっていく。
「今更、肘から上が残っていようがいまいが関係ないですけれど……。その状態でジーマの家と縁を切ってしまえば、義手の手配もままならないわね。大陸の貴族が教会を敵に回す危険性を負ってまで、腕を失い家を追われた私を拾ってくれるとも思えないわ」
重苦しい沈黙が流れる中、使用人がお茶を持ってきた。
「アジル、落ち着いて。まずはこのお茶を飲みなさい。少し元気になるわ」
シャイナが割って入る。その瞳は、奏の「配慮」などお構いなしに、最も効率的で無機質な正解を弾き出していた。
「この日本にはドラゴンが三機あります。私の『緋炎』と、今はパイロットが空いている『月読』、そして『白桜』。……契約して『騎士』になれば、ドラゴンの増殖炉による超常的な再生能力で、失った部位すら元通りになりますよ」
「騎士に……? 確かにジーマ家を出ていけばジーマ家の風は使えない。でも、ここのドラゴンも誰にでも使えるわけではないのでしょう?」
規約にうるさいシャイナのことだ。当然、そこには高い壁がある。
「ええ。この三機のドラゴンの所有権、および管理権限はすべて博士――月城奏にあるわ。つまり……アジル・ジーマ。あなたがジーマの姓を捨てて『月城』の家名に入る……つまり博士と婚姻関係を結べば、毒の進行は止まり、ドラゴンの使用権も付与される。これが最も現実的な解決策よ」
「……なっ!?」
俺は思わず絶句した。アジルを救うための選択肢として「どこかの誰かと」と言葉を濁したのに、シャイナはあろうことか、奏自身をその「生贄」として差し出したのだ。
シャイナの提案は、残酷なまでに理路整然としていた。
珍しく、アジルは即答できなかった。実家を捨て、姿がコロコロ変わる1000年前の「若返ったおじさん」と形だけの結婚をし、この異国の騎士として生きる。
俺自身も、自分のあずかり知らぬところで勝手に「結婚相手」を決められ、猛烈な不愉快感と困惑に襲われていたが、シャイナは「何か問題でも?」と言いたげな無表情で俺を見下ろしている。
「……少し、考えてもいいかしら?」
それもそうだ。あまりに人生がゴロっと変わりすぎる。
今日の話し合いは、そこで終えるしかなかった。




