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地上の星

 また、夢を見た。  

 それは1000年の歴史の教科書的なダイジェストではなく、もっと生々しい、ここ数年の政治の腐敗と混乱の記憶だ。

 40年ほど前、皇帝アマツは高齢を理由に退位して、愛妻の故郷バセンへ居を移した。  

 彼が後継者に指名したのは、長年彼を支えた最後の宰相だった。血縁ではなく能力を重視した、アマツらしい合理的な判断のはずだった。

 だが、権力という魔物は人を変える。「皇帝」という万能の座を手に入れた元宰相は、瞬く間に堕落した。政務を放棄し、遊び呆け、国庫を浪費する日々。  

 見かねた議会と軍部はクーデターに近い形で彼を失脚させ、その息子である皇太子を新皇帝として擁立した。それが現在の若き皇帝フウガだ。

 だが、不運は重なるものだ。  

 新皇帝フウガが即位し、父の撒き散らした混乱を収拾しようとしていた矢先に、隠居していたアマツが崩御したのだ。  

 大陸中の管理者権限を持つ彼の死により、彼が生前に凍結していた古代のマター増殖炉は、永久に沈黙したまま解除不能となった。

 現在の大陸は300年の平和のおかげで人口が増え、新しい街がどんどんできたおかげで慢性的なエネルギー不足に喘いでいる。  

 現皇帝は、アマツの遺志を継ぐ「文明規制派」を掲げ、マターに頼らない風力や水力への転換を推し進めているが、マター文明に合わせて作られた今のインフラ機器は、電気エネルギーでは動くはずもなく、また電気機器の流通量が少ないのと高価なのとで不人気なのである。

 一方、官僚や商会を中心とする「文明開放派」は、再稼働できないことを知らないフリをして凍結された増殖炉の再稼働を叫び、現皇帝を突き上げている。  

 大切なエネルギー政策が、ただの権力争いの道具に成り下がってしまっている。

 元々が「宰相の息子」に過ぎない現皇帝には、アマツのようなカリスマも血統的な正当性もない。その足元は、常にぐらついている。


(……やれやれ。アマツ、お前は人を見る目はあっても、権力の魔力が人をどう変えるかまでは計算できなかったか)


 目が覚めて、天井を確認する。  

 見慣れた無機質な天井だ。あれから二ヶ月。俺の脳は睡眠中に学習を続け、この歪な世界の構造をほぼ理解しつつあった。

「おはようございます、カナデ」

 俺が身じろぎすると、隣で寝ていたシズクが目を覚まし、とろけるような笑顔で挨拶をしてくる。  

 彼女は自然な動作で俺の胸に顔を埋め、朝のキスを求めてきた。  

 柔らかい唇の感触。甘い吐息。俺の首に回される腕の温もり。  

 二ヶ月前、よそよそしく敬語を使っていた教会からの監視役の姿はどこへやら。今の俺たちは、側から見れば熱愛中のカップルそのものだ。

「おはよう、シズク」

 俺たちはベッドから抜け出し、身支度を整えて一緒に朝食をとる。  

 俺の体は劇的に回復していた。ナノマシンを最適化したことにより体への適合が進み、今では補助なしで歩けるどころか、軽いランニングまでこなせるようになっている。

 二か月のうちに、俺たちの「日常」は確立されていた。  

 午前中はライブラリに引きこもり、さらに詳細な技術データや歴史を検索する。シズクも隣で付き合ってくれ、二人でランチを食べる。  

 午後は訓練場へ移動し、シズクからこの時代の剣術や護身術を教わる。俺の身体スペックが高いおかげで、模擬戦ならシズクといい勝負ができるまでになった。  

 そして夕方。一緒にお風呂に入り、互いの背中を流し合い、そのままベッドへ雪崩れ込む。  夜は、互いの体温を確かめ合うように激しく、そして深く交わる。

 借り物の体、仮初めの時間。  

 けれど、俺はこの温かい日常に、心の底から安らぎを感じてしまっていた。


 そんなある日、加里奈先輩から呼び出しがあった。  

 場所はいつもの管理人室ではなく、少し改まった応接室だった。

「体の方はもう万全そうね」

「ええ、もう日常生活には困りません」

 俺が頷くと、先輩は真剣な表情で切り出した。

「ではそろそろお話するころね。教会があなたを目覚めさせた条件は一つ。あなたが『鍵』になることよ」

「鍵?」

「そう。亡くなったアマツの、士郎の代わりに、大陸中の旧ナルハイムシステムを流用した施設の……もっと具体的に言えば、今権力争いの中心になっている凍結された旧マター増殖炉を稼働させられる鍵となって欲しいの」

 ナルハイム。俺がかつて所長を務めていた、月軌道上の実験施設だ。

「システムの根幹に関わる『管理者権限』を行使できるのは、ナルハイムの歴代所長経験者だけ。全部で4人しかいないわ」

「初代所長の俺と、最後の所長士郎と……あとの二人は?」

「退職後地球に戻ったところでマターバーストが起こって、混乱の最中に行方不明よ」

「行方不明ではマターからの掘り起こし(サルベージ)もできないですね」

「そして唯一現存していた鍵の士郎は亡くなってしまった。でも生きていても首を縦には振らなかったでしょうけれど。つまり、現在確認されている生存者で権限を持っているのは、あなた一人だけなの」

 俺は大きく息を吐き出し、天井を仰いだ。  

 つまり、俺は文明開放派からも、場合によっては文明規制派からも命を狙われる存在であるらしい。  

 しかも旧マター増殖炉の再稼働に頑固反対であったアマツに関しては、暗殺説すら出ているときたら命がいくらあっても足りやしない。

「……勘弁してくださいよ。俺はただの研究者ですよ。世界の命運なんて背負いたくない」

「でも、あなたしかいないの」

「新規発行すればいいじゃないですか。新しい管理者を作れば済む話、そう今の皇帝を管理者にすれば一石二鳥じゃないですか」

「それができないのよ」

 加里奈先輩は苦々しげに首を振った。

「ナルハイムは地球帰還作戦の時にハードランディングして、中枢システムが物理的に破損してしまったの。自己修復機能は維持はできていたので徐々には回復いているのだけれど、まだ新規のアカウント発行機能は死んでるわ。だから、古いIDを持っているあなたが必要なのよ」

 なるほど。俺はただの「生き残り」ではなく、失われた鍵穴に合う「唯一の鍵」というわけか。  

 俺は腕を組み、冷徹に計算を始めた。

「あれ? でも今、生体認証の話をしてますよね? 俺のこの体じゃ俺って認識してくれないんじゃないですか?」

 生体認証とは文字通り体の情報を使った認証であるため、いくら中身が俺でも体が違えば違う人と読み取られるのだ。

「だからシャイナを説得するのが大変だったのよ。右手の手のひらと網膜だけは、かつての奏君の身体情報を元に再構築されたものなの」

 遠い記憶をたどる。たしかに自分の体を治療するために何度も俺のナノマシンスキャン結果はシャイナに渡していたが、それだけで再構築できるほどの技術って、もう義手とか義足とかいらない世界じゃないか。

「でもやっぱり、元の体とは違う遺伝子を無理矢理くっつけているから、1年もすれば拒絶反応で壊死する可能性が高いの。今シャイナが日本で、奏君の体を急いで再構築しているのよ」

「……つまり、俺が生き永らえるためにも、システムを掌握するためにも、日本へ行くことは避けられない既定路線というわけですね」

 俺はため息をついて、話をまとめた。  

 自分の体の寿命と、世界の寿命。その両方の首根っこを掴まれている状態だ。

「理解しました。俺は日本へ行って、新しい体と管理権限を手に入れる。……で、その『鍵』となった俺を管理するのは、教会ってことですよね?」

 俺の問いに、加里奈先輩は不敵な笑みで肯定した。

「なるほど、この先ずっと教会のお世話になりっぱなしってことですね」

 好意的にみれば、権力闘争の外にいる第三者機関として旧マター増殖炉の管理を担い、帝国内の争いを仲裁するためだろう。  

 だが、ただでさえ医療や通信を握る強力な教会が、エネルギー供給の蛇口まで握ってしまえばどうなるか。それは実質、帝国政府を完全に骨抜きにし、教会がこの大陸の真の支配者になることを意味する。

 教会とはいうけれど、事実上は三女神の出張機関であり、その筆頭が国母である加里奈先輩だ。  

 表の統治は皇帝にさせておき、裏側でコントロールしてきた歴史。

 最初は統治に不慣れな息子をサポートする母心だったのだろうけれど。今回他人の皇帝が誕生したことでさらに強く握り締めようとしている。

 そこで俺の脳裏に、ある冷ややかな計算式が浮かび上がった。

 再稼働に頑固反対していた「蓋」であるアマツが死に、ロックがかかって世界が困窮し、その解決策として都合よく「鍵」である俺が目覚めた。  

 あまりにも、タイミングが良すぎる。  

 まるで、古くなった部品を交換するかのような、スムーズな移行劇。

(……まさかな)

 俺は目の前で静かに微笑む、かつての先輩を見つめた。  

 巷で流れるアマツ暗殺説。もしそのシナリオを書いたのが、実の母親である彼女だとしたら?  

 人類という種を存続させるための「管理」として、実の息子すらも損切りできるのだとしたら?

 背筋に冷たいものが走る。  

 だが、俺はその疑念を口には出さなかった。  

 聞いたところで彼女が認めるはずもないし、仮に真実だったとして、俺に何ができるというのか。  

 1000年を生き、女神と崇められる統治者の深淵など、人間が安易に覗き込むべきではないのだ。

「人間の本質は闘争よ。それが活力となるし時に信じられない偉業も成し遂げるけれど、行き過ぎるとまた全滅してしまいかねないわ」

 先輩は俺の視線に気づいているのかいないのか、穏やかな口調で語る。

「だから、重しが必要なの。かつてのアマツがそうであったように、これからはあなたが」

 それはおせっかいです、と言いたいが、実際に1000年前にマターバーストを引き起こして全滅しかけているだけに、そうも言えない重みがある。

「……重たい荷物、背負わせますね」

「奏君じゃなきゃこんな無茶頼まないわよ」

 俺は肩をすくめた。  

 彼女が女神だろうが黒幕だろうが、俺には選択肢などないのだ。

「わかりました。とりあえず日本へ行って自分の体を受け取ってくるところから始めます」 「ええ、そしてそのまましばらく日本にいて欲しいの」

 これ以上、先輩の腹の内を探るのは野暮というものだ。俺は話を切り替えた。

「シズクも同行してくれるんですよね?」

 一瞬の静寂の後、加里奈先輩は首を横へ振った。

「カリナ様、私も……」

「シズクはここに残ってください。日本は今鎖国中なの。そう誰でもは受け入れてくれないのよ」

 いつかは別れがくるとわかってはいたが、こんなに急だと気持ちの整理もつかない。

「いつ出発ですか?」

「今日午後の定期便が出るわ、それでバセンに向かいなさい。港にジーマ家の者が迎えにきています。日本からの迎えをジーマ家で待っていて」

「ジーマ家って、アマツの孫の家か」

「安心して、私の孫やひ孫たちよ。スパイスの販売も手伝ってもらっているから大元締めの奏君を粗末には扱わないわ」

 拒否権はないので仕方ない。  

 俺はシズクを抱きしめた。シズクも強く抱き返してきた。

「今生の別れでもないけれど、次会う時は全然別のイケメンでもない俺だから気が付かないかもな」

 そう、シズクが愛してくれた俺は俺じゃない、仮の器に入った俺なのだ。  

 この素晴らしい肉体と顔がなくなれば、いやそもそもそんな見た目が違う人間なんて誰にとってただの他人でしかないのだ。

「今までありがとう、シズク」

 1000年前も含めてこんなに恋愛に熱くなったことなどなかった、こんな恋愛はラノベの主人公しかできないのだと思っていた。  

 これもイケメンの体のおかげなのだろうとどこか冷めた自分もいる。  

 とにかくいい経験をさせてもらった。  

 人は見た目じゃないなんて嘘っぱちだ。

「シャイナに新しい体もこの体に負けず劣らずイケメンにしてってお願いしておかなきゃ」

 俺が冗談めかして言うと、シズクは何も言わず、ただ震える体で俺を締め上げるように抱きしめていた。  

 そしてやっと絞り出すように言葉を発せられた。

「ありがとう」

 こうして俺の年齢に見合わない恋愛はあっけなく幕を下ろした。


 部屋に戻って持っていくものもない、ここには、いやこの世界には俺の私物などなにもない。  

 当面の着替えと石鹸や歯ブラシをリュックに詰め込んで港へと向かった。  さようなら、竜宮城。


 奏を見送った後、加里奈は隣に立つシズクのお腹に、そっと手を添えた。

「シャイナ、怒ってたわよ。約束を破ったって」

「……いつ気が付いたんですか?」

「シャイナがあの体に何も仕込まずに渡してくるわけないじゃない。あの体はずっとモニターされていたのよ」

 シズクは驚く様子もなく、ただ静かに海を見つめていた。その手は、加里奈の手の上から自身の腹を慈しむように覆っている。

「産みたいんです」

「シャイナは『せっかくの理想的な人体がただの人間に退化するだけでつまらない』とか言っていたけれど、普通の子じゃないことは想像できるわ。命がけになるけれど、覚悟はできているのね?」

 シズクは小さく、けれど力強く頷いた。

「どんな出産でも命がけじゃないですか。特別なことだとは思っていません」

 その瞳には、迷いなど微塵もなかった。  

 今、彼女の中にあるのは、ただ愛する人の遺伝子をこの世に繋ぎ止めたいという、根源的な本能と愛だ。

 加里奈はシズクの決意に満ちた瞳を見て、止めるのは野暮だと悟った。  そして同時に、胸の奥に懐かしい痛みを感じた。

「育てるのも大変よ、特に一人だと……」

 そう言いながら、加里奈は遠い記憶を手繰り寄せようとした。  

 かつて、自分もこうして腹をさすり、士郎アマツが産まれてくるのを待ちわびた日々があったはずだ。  

 けれど、もう1000年前のことだ。  

 愛おしかったはずの記憶は、長い時の流れの中で霧散し、思い出そうとしても指の隙間からこぼれ落ちてしまう。

 無くしてしまった記憶なら、また始めればいいのかもしれない。

「乗りかかった船ですもの。奏君にはいろいろと迷惑をかけちゃうし、これから忙しくなると思うから……私が手伝うわよ」

 加里奈の言葉に、シズクは花が咲くようににっこりと微笑み返した。  

 その笑顔を守るためなら、もう一度くらい苦労を背負い込むのも悪くはない。

「1000年母親やってきたんだし、今更あと15年くらい伸びても誤差ってもんね」

 加里奈は海風に目を細め、新たな命を宿したシズクの背中を、優しく撫でた。



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