竜宮城の女神
夢を見た。
とても壮大で、信じられない光景ばかりの1000年分の歴史。
人の苦悩と喜びの記憶。
今、人類がここに生きていられるのが奇跡とも思える偉業を成し遂げたのは、天津加里奈先輩の息子である天津士郎。
後に「皇帝アマツ」として大陸に1000年君臨し、絶滅寸前であった人類を9億人にまで増やした偉大なる為政者であり、また少年時代から俺に弟子入りしていた、かつての部下でもある。
研究者としての士郎は、まさに「天才」だった。
マター化してしまった母・加里奈先輩を救い出したい一心で、次々と成果を上げ続けた。
マターを使った通信、記憶領域の確保、そしてエネルギー活用……今の文明を支えるインフラは、すべて士郎が築いたものだ。
俺の作ったナノマシンも、士郎のマター技術と融合することで、世界を支える礎となっていた。
目が覚めた。
天井は昨日のままだが、壮大な夢を見ていたおかげで、ここが1000年後の世界だという実感がようやく湧いてきた。
俺の起きた気配を察したのか、隣の部屋からシズクがやってくる。
「おはようございます、月城様」
そう言うとシズクはベッドを起こし、配膳ロボットに朝食の指示を出した。
「お体の具合はいかがですか?」
俺は改めて自分の手足を動かしてみる。昨日よりしっかりと握れるし、足も曲げられる。
たった1日でここまで動けるとは、信じられない回復力だ。
俺がベッドから降りて立とうとすると、シズクが咄嗟に脇を支えてくれる。その感触で昨晩の出来事を思い出してしまうが、シズクはいたって平然としている。
昔、加里奈先輩が『こういうのを引きずるのって大体男の方で、女の方はあっさりしているもんよ』とドヤ顔で語っていたのを思い出し、妙に納得してしまった。
たどたどしいながらも歩くことができた。
地球の重力下で自力で歩いたのは、実に数年ぶり、実時間にすると1000年と数年ぶりのことだ。
ぐう、とお腹の鳴る音がした。
「リハビリは後にして、とりあえず朝食を食べましょう」
鶏粥のような料理が出てきた。
スプーンくらいなら持てそうだが、シズクがあまりにもよそよそしいので甘えることにした。
「はい、あーんして」
美女に世話していただくのは気分がいい反面、年齢差を考えるとただの老人介護でしかないという現実に直面する。
「そういえば、シズクって何歳なの?」
「月城様、女性に年齢とスリーサイズと男性遍歴は聞いてはいけないと教えてもらっていないのですか?」
煙に巻く話術も上手い。所作の一つ一つに品がある。
昨晩の夢で見た知識によれば、現在の大陸は皇帝アマツの血縁が支配する中央集権国家だ。地方の首長や官僚のほとんどがアマツの血縁者で占められている。
そして「教会」は、医療・教育・通信・金融といった社会インフラを一手に担う巨大組織。ここもまた、アマツの血縁による役職制が敷かれている。
つまり、教会の仕事を任される立場であるシズクも、アマツの血縁に近い家柄のお嬢様として、教養と社交性を叩き込まれているに違いない。
朝食を終えるとクモ型ロボットの出番である。
またもお姫様抱っこをされて、ドローンたちに服を脱がされて風呂にドボンである。風呂と呼んではいるが、「人工羊水」と呼ばれる特殊なマター溶液だ。
本来マターは液体に溶け込まないのだが、特殊な処理で溶解させてある。この中に浸かることで人体の仮マター化が可能となり、ナノマシンが活性化して驚異的な治癒力を発揮するのだ。
この人工羊水は竜宮城で生産され、教会を通じて世界中の医療施設へ供給されているらしい。
「わかってはいたけれど、ものすごい回復力だわ」
300年動いていなかった体が1日で立ったり、ぎこちないながら歩けるようになっているわけだから、確かに驚きである。
「加里奈先輩、俺にも見せてください」
加里奈先輩が俺の肩に触れると、目の前に空間ディスプレイが表示された。
「シンクロ率が73%……これ高いんですか?」
「まだまだね。体を完全に制御できるところまでは足りていないけれど、普通に生活するには十分よ」
やはり研究に熱中している時の加里奈先輩の横顔は凛々しい。そして今日も化粧をしている。
1000年の間にいろいろ女性としてのアレコレがあったのだろうけれど、こういうちょっとした過去との変化にやきもきするから人間の感情というのは面白いものだ。
「ナノマシン、動かしてみてもいいですか?」
どうやらこの体には常駐型のナノマシンが定住しているらしい。
もう少し効率化すれば、もっと早く回復して自由に歩き回れるはずだ。
……そうポジティブに考える反面、介助が必要なくなればシズクと共に過ごす時間が減ってしまうのではないか、なんてネガティブな感情まで出てきてしまう。
本当に人間というのはややこしい生き物だ。
「この体、シャイナが作ったと言ってましたっけ?」
「そうよ」
加里奈先輩が短い返事をよこすときは、それ以上詮索するな、ということである。
だが、俺にはうっすらとわかってしまう。
かつて俺は、人間が直感的に操縦できるように、人体と同じ骨格と筋肉構造を持たせた巨大作業用ロボット――通称「ドラゴン」を開発した。
その構造をそのまま小型化すれば、理論上は「人造人間」が作れるはずだった。だが当時は、動力源となるマター増殖炉を人間サイズにまで小型化することが物理的に不可能で、断念したのだ。
それを、シャイナのやつ……俺が眠っている間に一人でやり切ったんだな。
しかしこの体のどこにもマター増殖炉のようなものがない、どうやってこの体は動いているのか、AIに負けた気がして悔しい。
「シャイナは最後までその体を貸し出すの渋っていたのよ」
「貸し出すというか、生体認証を俺に書き換えるのが嫌なんですよ。あいつはセキュリティに関しては融通効かないように作られてますからね」
この個体は300年前までは動いていたという。この世界は身分証明から決済まで、考えられるすべてが生体認証でできている。
当然この体にも固有の生体認証があったはずだ。それを書き換えるなんて他人になりすましするハッキングと変わらない行為である。
セキュリティ管理AIとしては断腸の思いだったに違いない。
いやまてよ、AIに腸などないか?
あれやこれやしているともう昼食の時間となっていた。
人工羊水を出て車いすに乗せられて、研究棟の外にある食堂へ向かう。
廊下の端にある自動ドアを出ると、そこには広い地上と見まがうような世界が広がっていた。
「うわ、これ本当に海底ですか?」
昔、俺たちが研究していた頃は、コンテナハウスがつながったような無機質な場所だった。閉塞感で息がつまり、精神を病む研究員が続出したあの場所が、今はどうだ。
見渡す限りの広大なドーム。降り注ぐ人工太陽の光。豊かな緑。
「マターバーストが起こった時はここに10万人が避難していたのよ。今は研究者だけ3千人くらいしか住んでいないから、ちょっと寂しくなっちゃったけれど」
地上の英雄が皇帝アマツなら、作物が育たなくなった大地を救うために品種改良を続けたこの竜宮城は、海底の女神カリナの国なのだ。
女神カリナへの尊敬は皇帝の母だけではなく、人が普段食べているものを作りだしたという尊敬の念である。
しかし加里奈先輩は少し寂し気であった。
「加里奈先輩、さみしいんですか?」
俺は加里奈先輩の手を握った。本当は抱きしめてあげたかった。 かつてこの地で精神的に追い詰められた時、加里奈先輩に抱きしめられて精神が救われたことがあった。
「以前ここでつらかった俺をなぐさめてくれた、あの時のお返しです」
加里奈先輩は思い出してくすくすと笑っていた。
「あの時はひどかったわね。一週間お風呂にも入っていない体をお互いむさぼりあって……奏君あれが初体験だったんでしょう?」
「ええ、思い出すだけでとっても獣臭い初体験でしたが、あの時加里奈先輩に受け入れてもらえてなかったら狂っていたと思うので、本当に感謝です」
その後の俺たちは、特に深い仲になったわけでもない。地上に戻ればただの同僚に戻り、それぞれの人生を歩んだ。俺は独身のまま病に倒れ、先輩は母となり、そして女神となった。
「考えてもみれば加里奈先輩だけリア充になって不公平ですね」
「そう? でもまさか1000年もお母さんやるとは思ってもみなかったわ。それはそれでだれにもできない経験でうれしいけれど」
1000年も士郎の母親をやり、今は女神として世界を支えている。
再婚など考えられようもない。子供ができれば皇帝の兄弟が増え、権力争いが発生して大陸の安定が脅かされる。
この人の孤独は、俺なんかよりずっと深いのかもしれない。
「俺、ちゃんと立てるようになったら抱きしめてあげますから、もうちょっと我慢してくださいね」
加里奈先輩は微笑んだ。
「以前の奏君の体ならうれしいんだけれど、そんなイケメンに抱きしめられても落ち着けないから、気持ちだけもらっておくね」
加里奈先輩はやっぱり心の強い人なんだと改めて思った。
食堂は体育館くらいの広さの場所で、長テーブルと椅子が無機質に並べられているだけの空間であった。
「昨日は何を食べたの?」
「カレーですよ。とっても美味しかったんですが、あのカレーのスパイスって……」
加里奈先輩はまたもにやにやしていた。
「そう、1000年前に奏君がここで育てていたあのスパイスの子孫たちよ」
「やっぱり」
「しかもね、地上再構築でいくつかのスパイスは地上では育ちにくくなってしまったからほぼ独占なの。竜宮城の運営費はスパイス輸出でしっかり稼がせてもらっているのよ」
先輩はホログラムメニューから迷わずカレーを選び、小声で
「スパイスの売り上げ、少しだけだけど奏君に入るようにしておいたから」
とウインクした。
こういう表情が豊かなところが、彼女の魅力だ。
「今日は肉を食べろって言われていたのでローストビーフ丼かな。シズクは何にする?」
シズクは外に出てからずっと周囲を警戒している。
滅多に外に出ない女神カリナと、謎のイケメン。周囲の研究員たちの視線が集まるのも無理はない。 加里奈先輩は、そんなシズクを諭すように言った。
「ちゃんと食べなさい、食べるのも任務のうちよ」
先輩は時に厳しいお母さんになるようだ。
女神の立場はともかく、系図を辿れば、シズクもアマツの子孫の可能性が高い。加里奈先輩はシズクの大大大お婆ちゃんとかかもしれないわけだ。
……この地味顔の先輩から、どうやったらこんな美人が生まれてくるのか。遺伝子の仕事は本当に不思議だ。
食事を終え、再びマッサージを受け、夜になる。
個室でシズクと一緒に夕食を食べる。ずっと業務的だったシズクが、ふと口を開いた。
「カリナ様と昔はいい仲だったのですか?」
いきなりの質問に驚いた。
だが、この質問に正解はない。どう答えても地雷だというのは、過去の経験から推測できる。
「男性に年収と身長と女性遍歴は聞いてはいけないと教えてもらっていないのか?」
シズクは少し呆けたような顔をした後、すぐに意地悪そうな笑みを浮かべた。
「一本取られましたね。仕方ないので今日はとびきりサービスしておきます」
そう言うと、彼女は服を脱ぎだした。
「今日は? 今日もではないのか?」
「いつでも気安く抱ける女だと思わないでくださいね」
そう言いながら、俺たちはまたも重なり合う。
いきなり1000年後に目覚め、誰も知らない世界に放り出された不安。それを、シズクの体温が溶かしてくれる。
少しだけ自由に動くようになった腕でシズクを抱きしめ、俺はその胸に顔を埋めた。
「シズク、ありがとう」
シズクは何も言わず、ただ俺の頭を優しく撫で続けてくれた。




