竜宮城での目覚め
長い夢を見ていた。 そろそろ起きなきゃと思っているのに目覚められない、不思議なまどろみ。今日の仕事は……ああ、そうか。俺はコールドスリープしているんだったな。もうどれくらい眠っているのだろう。 そんな時間を超越したどこかを彷徨っていると――チャポン、と水音が響いた。
頭ががくっとなって水面を叩いたらしい。 (いけない、また風呂に入りながら寝落ちしてしまったか?) 体が重い。無理な仕事をしていたせいか。とりあえず、起きなきゃ。 ゆっくりと瞼を持ち上げると、そこは自宅の風呂場ではなく、柔らかな光に満ちた治療室だった。
「人格と脳のリンク確認、目覚めます!」
「視力・聴力、来ました。他、確認お願いします」
白い作務衣を着た研究者たちがコンソールを叩き、丸いドローンが忙しなく飛び回っている。あの光源は……マター管か? ゲイリーの奴、先に実用化しやがったな。 ぼんやりと周囲を眺めていると、一人の女性研究員が歩み寄ってきた。妙に懐かしい顔だ。
「奏君、お久しぶり。覚えてる?」
この声、この仕草。一気に記憶のロックが外れる。
「先輩? ……加里奈先輩? どうしたんですか、若作りしちゃって」
天津加里奈。大学時代からの二つ上の先輩だ。 循環型環境の構築という人気のない専攻をしてしまったがために、俺たちは海底にコンテナハウスを沈めて生活実験をするような、無茶ばかりしていた仲だ。 しかし、おかしい。彼女はたしか、宇宙でのマター研究中に事故に遭って……。
「だれが若作りよ。でもよかった、奏君に忘れられていたら結構ショックだったわ」
加里奈先輩は研究の鬼で、化粧っ気など皆無の人だったはずだ。それが今はきちんと化粧をし、妙に艶っぽい。それに、俺が知っている彼女より若返っているようにさえ見える。
「ここは?」
「奏君、手、動く?」
質問には答えず、彼女はグーパーと動作をして見せた。 ああ、そうだ。俺は「宇宙病」とかいう原因不明の病気で、コールドスリープに入ったんだった。 俺はカプセルの水面から手を出して握ってみる。筋が固着しているのか、完全には握り切れない。
「足は動くかしら?」
「……動くわね」
「加里奈先輩、俺、病気治ったんですか?」
先輩はちょっとバツの悪そうな顔をして、ドローンが運んできた手鏡を俺に向けた。
「ごめん、いろいろ事情があって」
鏡の中には、見たこともないイケメンの青年が映っていた。
「加里奈先輩が若返ってて、俺がイケメンになってて……なんか売れない同人ラノベみたいな展開なんですが。このあと俺はチート能力で無双してハーレム作る展開ですか?」
周囲を見渡せば、いるのは女性研究員ばかり。俺の軽口に、そこかしこからクスクスと忍び笑いが漏れる。
「いろいろ説明しなきゃいけないことは多いんだけど、今はまだ記憶と人格が定着しきっていないから、ゆっくりいきましょう」
先輩の合図で、大きなクモ型ロボットが俺を器用に抱きかかえた。すかさずドローンたちが群がり、体を乾かして服を着せてくれる。
「とりあえず数日はマッサージで体をほぐすけれど、介助が必要になるから」
「マッサージは加里奈先輩がしてくれるんですか?」
「してあげてもいいわよ。ついでに我慢できなくなったら、若い頃みたいにとは言えないけれど、手とか口でよければしてあげてもいいわよ」
先輩は昔と変わらず、いたずらっぽく笑った。 閉鎖環境での実験生活において、精神衛生を保つための「男女の営み」は否定されるべきものではない。俺たちも互いに助け合っていた時期がある。だが、この平穏な空間でそれを指摘されると、さすがに少し気恥ずかしい。
俺はロボットにお姫様抱っこをされたまま、隣の部屋のベッドへと運ばれた。無機質な部屋だが、ベッドの寝心地はいい。 それよりも気になるのは、体全体に感じる確かな重力だ。
「ここは地球ですか?」
「ええそうよ。しかも驚きなさい、ここは海底なのよ!」
「え? 海底なのにこんな広い部屋、あるんですか?」
加里奈先輩はニヤニヤしながら、一人の若い女性を手招きした。
「動けるようになったら案内してあげる。……紹介するわ。シズクちゃん」
お辞儀をしたのは、黒髪の美女だった。 「かわいい」ではない。「美女」だ。切れ長ながら存在感を主張する大きな瞳が印象的で、張り詰めたような空気を纏っている。
「教会より今回の件を担当させていただきます、シズクです。主に月城様の介助と護衛をいたします」
「護衛?」
「ほら、うち女所帯だから。若くてイケメンの男性がいるってなると、ね」
先輩の補足に、俺は天を仰ぎたくなった。 まさにリアルハーレムに放り込まれたわけだ。だが、極限環境を知る俺たちにとって、それは楽園ではない。男女関係のもつれ、嫉妬、独占欲。それらがチームを崩壊させる一番の要因だ。 俺が人間不信気味になり、結婚もせず研究に没頭して一生を終えかけたのも、それが原因だったというのに。
「ちなみに奏君が眠ってから1000年くらい経過しているから。ここでリハビリと教育を受けてから地上に戻りますからね」
「え? 1000年?」
「そうよ、1000年」
「じゃあ加里奈先輩は……あれ? ちゃんと足ついてますよね?」
「シズクちゃん、マッサージ手抜きしないでいいからね。痛いって言われても手を抜いちゃだめよ」
先輩は満面の作り笑顔を残し、さっさと部屋を出て行ってしまった。 部屋には、まともに動けない俺と、美女二人きりが残された。
介護用ベッドの上で、俺はシズクに食事を食べさせてもらっていた。
「はい、あーんして」
一口大に切ったナンを、カレーに浸して口に入れてくれる。 ご褒美というよりは老人介護の図だが、久しぶりの固形物は涙が出るほど美味かった。 咀嚼する喜び。広がる小麦の甘味とスパイスの香り。喉を通り、胃袋へと落ちる確かな重量感。 そのすべてが、俺に「生きている」と実感させてくれる。
食事が終わると、そのままマッサージの時間になった。 筋が凝り固まっているため、シズクは全体重を乗せてハードに揉みほぐしてくる。 痛みも伴うが、それ以上に困ったことがあった。 ……密着するのだ。シズクの若い体が。 一生懸命力を込める彼女の吐息が熱く、柔らかな感触が俺の体に押し付けられる。ただでさえ敏感になっているこの若い肉体は、即座に反応してしまった。
「もう少しお待ちくださいね。そちらの方はこのあと対処させていただきます」
「なんか、ごめんね」
「気にしなくてもいいんですよ。この体、300年使われていないので手間はかかりますが、手入れすれば最高の肉体ですので。焦らず馴染んでいきましょう」
シズクは顔色一つ変えずに淡々と業務をこなす。出来た娘だ。 それにしても1000年だの300年だの、単位が大きすぎて実感が湧かない。それらの歴史や技術情報は脳にインストール済みで、寝ている間に自然と覚えるらしいが……技術の進歩は思ったほどではないようだ。
「はい、マッサージは終わりましたので」
シズクはおもむろに、俺のズボンと下着に手をかけた。
「私も脱いだ方がいいですか?」
俺は生唾を飲み込み、小さく頷くことしかできなかった。 露わになったシズクの裸体に、目が釘付けになる。 久しぶりに見る女性の体というだけでなく、彼女の肢体は芸術的なまでに美しかった。残念ながら俺の手はまだ思うように動かないが、シズクが俺の手を取り、自身の胸へと導いてくれる。
「男性って胸を触るのが好きなんですよね?」
掌に伝わる確かな弾力と温もり。 これは夢じゃない。俺は生き返ったんだ。 シズクがゆっくりと腰を下ろしていく。 彼女の黒髪がすだれのように落ちてきて、視界を遮断した。目の前には、上気したシズクの顔だけがある。
「どうですか? 気持ちいいですか?」
問いかけと同時に、彼女が覆いかぶさってくる。 濃厚なキス。絡み合う舌。熱い吐息。 記憶にあるかつての経験よりも遥かに鮮烈な快感が、脳髄を直撃する。本能が、細胞の一つ一つが歓喜の声を上げていた。
「はい、よくできました」
事後、重なり合ったままシズクが耳元で囁きながら俺の頭を撫でる。
「シズク、ありがとう」
それ以外の言葉が見つからなかった。心地よい重みと疲労感の中で、俺は彼女を抱きしめる。 シズクは俺の耳に唇を寄せ、甘く、けれどどこか棘のある声で言った。
「私とってもやきもち焼きなので、私以外の女性とは絶対にしないでくださいね?」
ああ、そうだった。 俺は今、「女の園」に放り込まれた稀少なサンプル。 飛んで火にいるなんとやら。「護衛」とは、他の虫がつかないようにするための監視という意味もあったのだろう。
「私は隣の部屋におりますので、何かあったら呼んでください」
シズクはテキパキと服を着ると、業務連絡口調に戻った。 下着のままの後ろ姿があまりに綺麗で、追いかけられない不自由な体がもどかしい。 俺の視線に気づいたのか、彼女は最後に顔を近づけてきた。
「本当は一緒にいたいのですが、睡眠中に記憶の定着が行われるので、邪魔してはいけないと言われています。いい子でいっぱい寝てくださいね」
頬とおでこにキスを残し、シズクは出て行った。 静寂が戻る。 今日一日の出来事が怒涛すぎて、脳の処理が追いつかない。 寝るのが怖い。これが夢で、目が覚めたらまたあの暗い水底かもしれないという不安がある。 けれど、体は正直だ。重力に引かれるように、意識が急速に沈んでいく。
願おう。 明日もちゃんと、この世界で目覚めることを。




