ちゅらい海水族館
案の定、今日も残業になった。
でも頑張ろう。
辛いけど頑張ろう。
頑張ってはみたけれど、案の定、終電で帰ることになった。
都会の最終電車は、なかなか混んでいる。
今日は金曜日だから、やけに混んでいる。
早いところ仕事を終わらせて、この時間まで飲んで帰る人が多いからだ。
終電で帰ることになったカップルも紛れている。
そんなことよりも、終電で辛いのは空腹だ。
会社の最寄り駅で何か食べようと思えば店はあるが、終電には乗れなくなる。
この家までの小一時間が辛い。
今週はなんとか、土日の休みを確保できた。
こういう土曜日は、たっぷりと寝てリフレッシュする。
日曜日は、掃除と洗濯をして後は雑事をこなすことにしてる。
ワンルームの部屋だし洗濯物も多くはないが、こういうルーティーンは若者の独り暮らしでは案外大切なことだ。
土曜日は昼頃に起きて、ぶらっと電車で街に出て昼飯、その後は映画を観てから近くの飯屋に寄って帰るというのが定番になっている。
飯屋の後で飲んで帰ることもあるが、この日は街をプラプラする気もなく、家飲みをすることにして近所で買い物をして帰った。
酒とつまみを用意してテレビをつけると、美ら海水族館の特集番組をやっていた。
録画していた映画を観るつもりだったが、映されていた水槽の大きさと、その大きな水槽で泳ぐデカい魚たちに見入ってしまった。
水族館といろいろな魚の解説がほどよく盛り込まれていて、なかなかいい番組だった。
まだ寝るには早い時間だったせいか、この後にやっていた阿寒湖のマリモのドキュメンタリー番組まで観てしまった。
グラスはもう空のままだし、寝るにはちょうどいい頃合いだ。
酒は好きだが、飲み過ぎないように気をつけている。
大学を出て今の会社に就職してからもう5年、人生の辛さは酒では解決しないということが分かってきたからである。
それにしても、このところどうにも辛い。
そう、人生とは辛いものである。
きっと大仰な話ではない。
仕事が辛い。
そう、仕事とは大抵は辛いものである。
なかなか、普通の話である。
でもやっぱり、辛いものは辛い。
平日の夜にはこんなことを思う余裕すらないが、休日の夜にこんなことを考え続けていても良いことがあろう筈もない。
いつもの通りこう思って寝たのだけれども、この日の夢はなぜか、妙に鮮明で生々しかった。
それにしても、このところどうにもちゅらい。
そう、人生とはちゅらいものである。
きっと大仰な話ではない。
仕事がちゅらい。
そう、仕事とは大抵はちゅらいものである。
なかなか、普通の話である。
でもやっぱり、ちゅらいものはちゅらい。
夢の中でこう思いながら辿り着いたのは、「ちゅらい海水族館」の前だった。
次に気がついた時には、もう水族館の中にいた。
大きな大きな、厚いガラス張りの水槽の前である。
周りは薄暗く、水面からの光で水槽の中が明るく見える。
しかし、水槽が大きい割には沢山の小魚しか見当たらない。
何か大きな魚がいないものと見回していると、急に視界が暗くなった。
見上げると、大きなエイが右側からゆっくりとこちらに泳いできていた。
自分の夢だから、これが寝る前にテレビで観たマンタだとわかる。
水槽は分厚いガラスで隔てられているのに、マンタの声がハッキリと聴こえてきた。
「ちゅら~い。」
「いつも下しか見えなくてちゅら~い。」
マンタは大きなヒレを動かしながら、こう言った。
夢なんていつも荒唐無稽なのに、なんと真っ当な話であろうか。
そして、マンタがちょうど目の前に来た頃、もう一度声が聴こえてきた。
「ちゅら~い。」
「いつも下しか見えなくてちゅら~い。」
こんな真っ当な話をされてもどうしたものかと思っていると、すぐ近くで別の声が聞こえた。
「下を見て歩いてるとね~」
いつの間にか隣に、小学生の頃の自分がいた。
「100円玉が見つかるかもしれないよ~」
こう言って過去の自分は走り去っていった。
そして、目の前を通り過ぎていったマンタの声が聞こえた。
「ちゅら~い。」
「下しか見えなくてちゅら~いけど、いいことあるかも~」
そういえば、昔、落ちている100円玉を見つけた後、しばらくは下を見ながら歩いていたことがある。
別に下を見て歩いているからと言って、悪い事ばかりとは限らない。
更に言えば、気が変わったら上を向いたっていいじゃないか。
マンタじゃないんだから!
すると、水槽の方からまた別の声が聴こえてきた。
「ちゅら~い。」
右側の奥の方に大きな黒っぽい魚が見えた。
「ちゅら~い。」
声が大きくなってくる。
「ちゅら~い。」
近づいてきたのはマグロだった。
「ちゅら~い。」
かなり大きい。
「泳ぎ続けないと死んでしまうのがちゅら~い。」
サメとかマグロは泳ぎ続けないと死んでしまうらしいから、これまた真っ当な話である。
こんな真っ当な話に、はたまたどうしたものか。
こう思っていると、マグロはなぜか目の前で急に動かなくなった。
「アカン!」
夢だから自分がしようとすることが感覚的にわかる。
さっき現れた小学生の頃の自分のように、何かを言ってやらないといけないのだ。
とはいえ、そんなに上手い言葉が出てくる訳もない。
「働き続けると死んでしまうのがちゅら~い。」
こんなことを言うつもりはなかったが、こんなふうに夢とは勝手に進んでいくものであるからどうしようもない。
マグロに共感する気持ちは感じられたものの、だからといってマグロに何が伝わるというのだろうかと思っていたら、マグロは再び泳ぎ始めた。
「ちゅら~い。」
「でも泳ぎ続けて生きる~。」
遠ざかっていくマグロの後ろ姿から、こう聞こえてきた。
そう、泳ぎ続けるのはそんなに悪いことじゃない。
きっと、働き続けるのもそんなに悪いことじゃない。
でもそれは生きてこそだろう。
死にそうになったら辞めてもいいじゃないか。
マグロじゃないんだから!
するとまた、別の声が聴こえてきた。
「アカン!」
自分の心の声だった。
「尿意がアカン!」
後ろを見てトイレの案内板を探すと、矢印の方に走り出した。
トイレはあった。
用は足した。
「ふーっ」
でも尿意は収まらない。
夢とは大抵そういうものだ。
「まだまだアカン!」
目覚めたいのに夢の中の自分はこの夢から脱するべく出口に向かって走っていて、出口の看板が見えたところに「おまけ展示」があった。
その下の水槽にはマリモがいた。
水槽の札には「阿寒湖のマリモ」と書いてあった。
夢はこれを見せたいのに違いない。
しかし、おまけの展示を見てるような状況ではないのだ。
「いやいやいや、もう尿意がアカン!」
こう自分の夢に訴えた。
すると、マリモの声が聴こえてきた。
「コロコロ転がることしかできなくてちゅらい~」
もう我慢の限界だった。
「コロコロ転がればトイレに行ける!」
こう叫んで目が覚めた。
危ないところだった。
この歳で寝小便は本当にちゅらい。
自分の部屋のトイレで本当に小用を足した後、夢の余韻が残っているあいだに、もう一度しっかりと思った。
人は上も向ける!
死んだら元も子もない!
コロコロ転がればなんとかなる!