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私は勇者になるはずだった  作者: 大木戸いずみ


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71 ヴィナス・ジェガナ 十八歳

「殿下」

 その声で目が覚める。また中庭のベンチで本を読みながら、寝落ちしてしまっていたようだ。

 僕はあくびをしながら、顔の上に置いてあった本を取って、視線だけを横に移す。すぐそばで陰のサミルが跪いていた。

 ……相変わらず気配を消すのが得意だな。

 この坊主の男性――サミルはサラの弟だ。サラはいつも複雑な調査をサミルに頼んでいる。早く、的確なその仕事ぶりは姉弟そろって優秀だ。

 彼はサラと同じぐらいの身長で男性にしては少し低い。細身だが、しっかりと鍛え上げられている。

 気が強そうな顔立ちはサラそっくりだ。彼は感情がほとんど顔に出ることはない。無愛想と言われているが、それぐらいがいい。

「どうしたんだい?」

 僕は穏やかな口調でサミルにそう聞いた。

「カイル団長とエルヴィ様の噂を流したカリナ・マリスについての報告です」

「それで?」

「噂を流すように指示したのは当主のガロット様です。カリナ様に悪意があったわけではなく『カイル団長とエルヴィ様が遅くまで訓練をしている』という情報を聞いて、それをガロット様に伝えたようです。ガロット様はその情報を利用して、エルヴィ様の評判を下げようとしたのでしょう。ガロット様はエルヴィ様が殿下の婚約者に選ばれたことが許せず、エルヴィ様を婚約者から引きずり落とすつもりです」

「彼は自分の娘を妃にするためになら、なんだってやりかねないからねぇ」

 そう穏やかに言いながらも、僕は冷たく静かな怒りがこみ上げていた。

 彼らの噂はエルヴィたちの実力のおかげで、今では逆に評判が上がっている。しかし、決して許せるようなことではない。

 エルヴィを傷つける者は誰だって容赦はしない。

 やっぱりあの当主は面倒だ。……いや、ガロットだけではない。第一貴族の連中はこぞってエルヴィが僕の婚約者になったことに対して納得がいっていないだろう。

 第二貴族の令嬢が第一貴族を差し置いて妃になるなんて気に入らないはずだ。

「『偽りの婚約者』と噂されているようです」

 サミルの言葉に「ハッ」と僕は思わず鼻で笑ってしまう。

 偽りの婚約者、誰がそんなほざいたことを……。始末するしか……。

「それと、昨夜のことですが、エルヴィ様はどうやらリーシャ・グラファンと接触したようです」 

 僕の思考を遮るように、サミルは言葉を続けた。

 ……リーシャ・グラファン? って、社交界で爪弾き者にされている令嬢か。……またどうして彼女と?

「エルヴィ様が声を掛けて、親睦を深めようとしていたようです。周りはざわついていましたが、そんなことを気にも留めることなくリーシャ様とシャンパンを飲んでいらっしゃいました」

 その様子を想像すると、自然と口角が上がる。

 あの空気の中でリーシャ・グラファンに声を掛けたとなれば、相当な空気感だっただろう。

 エルヴィの存在は社交界で今一番注目されている。令嬢として数奇なバックグラウンドも興味を持たれるだろうが、それに加えてあの美しい容姿だ。

 ああ、ますますこれからが楽しみだ。僕をこんなにもワクワクさせてくれるなんて、やっぱりエルヴィは最高の女だ。

「グラファン家に探りをいれましょうか?」

 サミルの言葉に一呼吸おいて僕は答えた。

「いや、放置していていい。あの家は信頼できる。……が、あの中でわざわざリーシャ・グラファンを選ぶとは、流石僕の婚約者だ。人を選ぶ才能がおありのようだ」

 僕はそう言って、笑みをこぼした。

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