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ジャドリック・ケーレス。
彼の生涯を全て知っているのは我々ケーレス家の人間と王族ぐらいだろう。存在は知られていても、彼の死に様を知る者は少ない。
貴族が勇者になることなど今よりもっとタブーとされていた時代だ。オレンジ色の瞳をしたとある男が勇者試験になった。
当時はまだ勇者試験などなく、魔物から世界を救っているものを「勇者」と定義していた。
そして、ある日、レグート国が魔物を従わせてジェガナ国に攻めてきた。凄まじい勢力にジェガナ国は劣勢となり、絶望を目の前にしていた。「もう助からないだろう」と誰もが思っていた。
そんな中、ジャドリックはジェガナ国を救ったのだ。
彼は特別な力を持っていた。自分の魔力以外に生命の力を魔力に換えることが可能だった。周囲の木々や動物の命までも。
レグート国からの侵略は防がれたが、ジェガナ国は食糧飢饉に苛まれた。深刻な問題だ。植物は枯れ、動物は痩せ細って死んでいる。まさに地獄だ。
この時代は暗黒時代とも呼ばれている。
ジャドリック・ケーレスについて知っていることはこれぐらいだ。
……果たしてどっちの方が良かったのか。レグート国に支配されるのか、ジェガナ国の民たちが飢えて苦しむのか。
…………どっちも最悪だ。
「それを君の口から聞けて良かった」
ヴィナスはふっと柔らかく笑みを浮かべる。
一体こいつは何を考えているんだ……。絶対に気付いていただろうに、わざわざ俺に確認をする理由があったんだ?
「ケーレス家の人間のことはケーレス家の人間から聞くのが一番だからね」
ヴィナスは俺が考えていたことを見透かしたのか、軽い口調でそう言った。
…………まぁ、それはそうだ。
ヴィナスの言葉に俺は心のどこかで納得していた。……が、口では「ここに呼ばれた時は何事かとビビったぜ」と返しておいた。
正直、またエルヴィがなにかやらかしたのかと思った。勇者試験を落ちてからの彼女はどんどん視野が広がったように思う。……が、中身は変わっていない。それに社交界では多くの貴族から白い目で見られている。妹に関しては心配事がなくなることはない。
「もう少しうまく立ち回れたらいいんだけどなぁ……」
俺が独り言をボソッと言うと、ヴィナスは「エルヴィのことかい?」と入ってきた。俺は「ああ」と頷き、話を続けた。
「俺も妹に甘いほうだけど、父はもっとエルヴィに甘い。俺がケーレス家を支えていかないとって思うぐらいだ。魔物と戦うことだけが世界を守ることじゃない。社交界で戦うことも今俺たちがいる世界を守っていく上で大切なことだ」
別に無理して令嬢たちと仲良くなる必要はない。媚びる必要も媚びられる必要もない。ただケーレス家の名を背負って社交界に出ている。せめて仮面を被って、コミュニケーションをうまくとっていてほしい。ただ、それだけだ。
「レグネルも苦労しているんだね」
ヴィナスは特にエルヴィの肩を持つことはなかった。彼のその反応が友として接している今、ありがたかった。
次の瞬間、コンコンっと別室が力強く叩かれた。「エルヴィ様が!」と男性の焦る声が部屋に響いた。
その様子に俺は一気に不安に駆られて、ヴィナスの方を見た。彼はいつもの冷たい王子の表情に戻っていた。
「行こうか」
ヴィナスの低い声に俺は慌ててヴィナスを追うように部屋を出る。
俺は必死に心の中で願った。
どうかエルヴィが問題を起こした側ではありませんように、と。




