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1ー8:ひとり、酒場にて(アデル視点)


 賑やかな談笑に耳を傾けながら、乾いた喉を潤す。

 みずみずしい果汁を飲み込むと、爽やかな空気が鼻から抜けた。


 ここはギルドに併設された酒場。昼はリリと食事をした食堂でもある。日が落ちると、酒場営業が始まる。


 魔力回復後、気を失うようにして眠りに落ちたリリを部屋に残し、俺は酒場でひとり、夜食を取っていた。

 厄介な客に絡まれないように、カウンターの隅に座り、物思いに耽る。


 一人前の冒険者になった。国内法では飲酒できる年齢だ。

 酒も苦手というわけではない。幼少期、まだリリと孤児院にいた頃、職員が隠し持っていた酒をこっそり飲んだことがある。もちろん少量ではあるが、少年期までちびちびと盗み飲みを続け、なんともならなかったので酒は得意という認識だ。


 冒険者として旅立ちを許されて祝い酒を煽りたいところではあるが、そのような気分にはなれなかった。

 好物の果汁絞りを選んだのはせめてもの贅沢だ。


「好き……、ね」


 周囲に聞こえないように、記憶に新しい言葉をこっそり反芻する。


 リリは聞こえただろうか。

 彼女の耳元にそっと息を吹き込んだ時、ダークブラウンの大きな瞳が揺らぐのがわかった。

 俺も同じだった。自分が発した言葉なのにも関わらず、頭の中で反響する自分の声に動揺してしまった。


 そうか、やっぱり、俺は。リリのことが……。


 自分でもわかっていたはずなのに、言葉にすると恐ろしくなる。


 故郷の村をモンスターに襲われ、リリと共に孤児になってから十二年。彼女は妹のような存在だ。共に肩を支え合い、身を寄せあって生き抜いた家族だ。


 彼女をひとりの愛おしい女性として認めてしまえば、自分の中で何かが変わってしまう。

 そんな恐ろしさから、妹にのぼせることは禁忌だった。


 震える手を眺める。

 葛藤し、自身を抑圧できた証明だ。今夜も自分の欲を彼女にぶつけずに済ませられたと、俺自身を褒める。


 自分にできるのは兄のように優しく、彼女を見守り、包んでやる。

 魔力不足だったら、欲を刺激してやる。ただそれだけだ。


 欲を欠いた時こそ、魔力の尽き時。欲望を引き出せばまたそれが魔術を繰り出す糧となる。 それが魔力の仕組みだ。


 自分は剣闘士だが、魔術と物理攻撃を組み合わせた技を放つことができる。魔術士が強大な魔力を注ぎ込んで作った武器──魔剣を扱う。

 だから、俺には魔力回復は不要。節操ない奴らの仲間入りはしなくて済む。


 なぜ俺が魔術士をよく思ってないかと言えば、彼らは爛れている連中が多いからだ。


 魔術士の魔力は欲望と比例関係にある。大きい欲を持つものほど、強大な魔力を持ち、強大な魔術を発動し続けることができる。

 魔術士には野心家や己欲に溺れるものが多いのもそのせい。


 魔力回復に手っ取り早いのが性欲で、欲情に溺れ、体を繋げればすぐに回復ができるそう。老若男女問わず淫らで、若い男女も早熟だ。


 リリに魔術の素質があると言われた時は心底落胆した。

 風紀と貞操観念が乱れに乱れた魔術士の世界に、純真無垢な妹が放り込まれる恐怖。体表を無数の虫が這い回るのを連想するほど胸糞悪い。


 他の男になんて触れさせない。特に魔術士を欲望の捌け口としか認識しない輩から遠ざけてきた。

 自分では魔力回復は心許ないかもしれない。

これも兄の務めと、恋人のように振る舞って、リリをそっと腕の中に抱き入れる。


 耳元で甘く囁いてみたり。頭を撫でたり。指を絡めて触れ合う。リリが心から満たされるような褒め言葉を言う。


 どうやれば魔力の原動力となる、彼女の欲を引き出せるのか。あれこれ考えを巡らすが、これが精一杯だった。


 絶大な効果があると知りながら、口づけを交わす以上のことはできなかった。

 抱き合いながら見つめ合うことすら躊躇する。目を合わせれば、心の中に抱いている感情がすべて見透かされそうで。


「はぁ……」


 腹の底から吐き出される深いため息は、我慢の限界を知らせていた。


 魔力回復を建前に自分の欲を彼女にぶつけてはいけない。

 その決意をもう一度自分に言い聞かせる。


 リリの笑顔は俺の希望だった。


 その笑顔が曇らないよう、悪しき者に穢れされないよう、全力で妹を守り抜く。共生してきた兄としての務めとして。

 最大の危機の前に、壁となって立ちはだかり、リリを守る。


 十二年前の苦い記憶が頭の中でちらつく。今度こそ、借りは返す。

 きつく拳を握りしめた。



「最近、王都も物騒だな。忽然と人が消えるらしい」


 真後ろのテーブルに座っていた客の会話が、突然耳に入ってきた。


 例え他人の世間話でも、有益な情報だと思えば盗み聞きする。穏やかではない話に耳をそばだてる。


「本当か? モンスターの仕業なのか?」


「いや、その可能性は低いらしい。王都は巨大な城壁に囲まれているだろう? 中までモンスターが入り込んでくることはない」


「じゃあ、人攫いか……、夜逃げか……」


「なんでも、人の目の前でパッと姿を消してしまうんだと」


「おい、なんだ、その手品みたいなのは」


 声からして客が驚いている様子が目に浮かぶ。もう一方の客が「それでな」と、小声で語りだした。

 重要情報を聞き逃すまいと、俺は神経を研ぎ澄ませる。


「王国の妃もな、その件で行方不明になっているって話だ」


「最近ご病気されていると聞いたが」


「ああ、下々の人間が騒ぎ立てないように、病気っていうことにしているんだろう。まだ世継ぎもお生まれになっていない王だ。妃が行方不明と知り渡れば、国は荒れる」


「……つい一昨日も荷馬車に何人か乗せてやったが……、王都に冒険者たちが集まっているのはそのせいか」


「ああ、その事件を解決するためだそうだ」


「噂されている魔王ってやつじゃないといいが」


「さぁ、どうだかな」



 人が消える事件。

 魔王。

 王妃の失踪。

 どれも不確かな情報だ。


 ただ、噂になるくらいだから、王都で物騒な事件が起こっているのは確かなのだろう。


 俺はゆで野菜で好物の魚醤ソースを弄んだあと、口に運んだ。


 王都で待ち受けるであろう出来事に期待と不安で胸を高鳴らせながら。


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