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4ー4:


「くっ……」


 アデルは悔しさから唇を噛み締めていた。


「何よりもあなたが大切なの。アデル。……大丈夫だから」


 たぶん、大丈夫。彼ごときに好きにはさせない。

 力強く目を見開きアデルに告げた。彼は私の中にある強い意思に気付いたようだ。黙り込んで事の次第を伺う。


 最大の目的を達成したカインは声に出して笑った。


「ふふ、ははは…。ついに手に入れた! これがこの世界の理か」


 目つきは完全に常軌を逸していた。

 口にする台詞は完全に悪役そのものだった。


「僕に、すべてを凌駕する、最強の力を!」


 酔狂な願いを口にしながら、カインは【石板】に触れた。

 版面に光る文字が浮かび、瞬時に消えた。


「ふははは……。──……っ!?」


 勝利を確信して疑わなかったカインの高笑いが突然途切れた。

 顔色を変えてその場に崩れ落ちる。


 カインの手から滑り落ちた【石板】をアデルが受け止めた。

 損傷しなくて良かったとほっと息を吐く。


「な、……なに、が……」


 カインは口をぱくぱく動かすだけで、後の言葉は続かなかった。

 顔色は青白く、呼吸は荒い。体は痺れ、手先は痙攣を起こしていた。


「中毒よ。あなたは今、中毒を起こしているの。【石板】の文字を書き換えたせいでね」


「……」


 返事はない。

 だが、アイスグレーの瞳は驚愕の色をして、「まさか」と訴えている。


「リリ。これを」


 眉を寄せたアデルから【石板】を受け取った。


「さすがに肝が冷えたぜ。こんな隠し球があったとはな」


「見くびらないで。私を誰だと思っているの?」


 ふふんと、胸を張る。

 勝算があると踏んで、カインに【石板】を手渡した。カインに悟られないように、抵抗感と悔しさを出す演技を忘れずに。

 もちろん、アデルには伝えていない。独断で実行した作戦にアデル自身も翻弄された。

 結果は上手くいき、アデルもほっと息をついた。


 だが、今は振り返ってお喋りしている余裕はない。


 床に四肢を投げ出し横たわるカインに目をやる。


「残念だったわね。ソースコードが読めないあなたには制御不能よ。勝手にいじられないようにロックをかけたの。……ある部分を除いてね」


 カインの解毒をする前に彼を説得し、自省させなければ。


「中毒症状を引き起こしたのはあなたが【石板】の文字を書き換えたからよ」


 カインの異常ステータスだけはロックをかけていなかった。無作為に書き換えれば何かしらの状態異常を引き起こすようにしていたのだ。


「これはあなたが自ら招いた結果。あなたが欲していた【石板】の力にはこんな危険な側面があるの。自分に跳ね返ってきた気分はどう?」


「……」


 カインは力なく宙を見上げていた。

 完全にすべてを放棄したような虚無の眼差し。

 すでに全身に毒が回り始めている。


 私は膝をつき、彼と目線を合わせる。


「カイン。もう【石板】の力を使ってこの世界を意のままに操ろうだなんて、恐ろしいことは考えないで。約束してくれるなら、この毒は解いてあげるから」


「……な、ぜ……、こんな……、ぼ、くは……ただ……」


 口をぱくぱくと開き、震わせながら掠れ声を絞り出す。

 普通ならば喋ることもままならない。

 それでも彼は言わずにはいられないようだ。


 ──なんで僕が、こんな目に。僕はただ……。

 無念の感情を吐き出したいのだと、私は察した。


 刻々と青くなっていくカインの顔を見て、私は焦りを募らせた。

 どっと背中から汗が吹き出す。彼に残された時間はない。


「カインっ! お願い。もうこんなことをしないと誓って。誓いのしるしに私の指に触れて。……お願いだから」


 手を差し出す。うまく力の入らないカインの指でも私に触れられるように。


 まるでカインに縋るような私の姿を、アデルは静かに見守っていた。

 ずっとカインを敵視していた彼だったが、背中に受ける眼差しは暖かかった。


 カインはなかなか私の指に触れてはくれない。

 こんなに近いのに。あともう少し、数センチなのに。


「カイン……。お願い。じゃないと、あなたは毒で……」


 命が尽きてしまう。

 その前に私の手を取って欲しい。

 必死の懇願が目頭を熱くし、暖かい雫がほろほろと両頬を伝った。


 カインは驚いたように少し目を開き、反応を示した。


「き、み……は……な、に……もの、だ?」


 カインが息も絶え絶えに問い掛ける。

 声を出すのも苦しい状態なのに。それでも彼は知りたかったのだろう。


 ──私が何者なのかを。


「私は……」


 意を決して口を開く。

 緊張のせいで乾ききった口内は、舌がもつれてうまく動かない。

 ゆっくりと言葉のひとつひとつを確かめながら、紡ぎ出す。


「この世界と、あなた……そして、アデルの生みの親」


 傍らに寄り添うように立つアデルに視線を向ける。彼は「そうだ、教えてやれ」と強い輝きを宿した瞳でこくりと頷いた。


「この世界は私の想像から生まれた。……この【石板】に浮かび上がる、ソースコードと呼ばれる呪文で……、私が、創った。この世界も、あなたも」


「き、みが……、創造……主」


 虚ろだったカインの瞳が輝いた。

 神々しいものを見るような、畏怖するような眼差しを向けてくる。


「そう。……創造主の私がなぜこんなところに居るのかはよくわからない話なんだけど」


 思わず漏れてしまった苦笑を噛み殺し、解明不可能な話は脇に置いておく。


「私が創った世界だからこそ、あなたにめちゃくちゃにされるのが腹立たしくてたまらなかった。あなたは嫉妬深くて、ひねくれやで、誰よりも自分が優れていると思っていて。幼少時の不遇な経験から、いつかは世界を目にもの見せてやろうと息巻く野心家の性質があるけど。愛を注げば、何倍もの愛を返してくれる。あなたもそんな深い優しさを持っているはず」


 目頭が熱い。

 堪えきれなくなった涙がぼとぼととこぼれ落ちた。


 思い当たることがあるのか、いうことが効かない体で、カインはゆっくりと顎を動かし、頷いて見せた。


 中毒のせいで明らかに正常な目つきではなかったけれど、カインの瞳は憑き物がとれたように澄んでいた。晴れ渡った空の色にも似たアイスグレーの眼差しが美しい。

 私が微笑むとカインも笑おうと目尻だけをひくりと動かす。


 ゆっくりと彼の指先が私の指先に向かって伸びてきた。

 彼を受け入れようとじっと待つ。



 ──!?



 あと僅かで届くはずのもどかしい距離を、彼の指がかすっていく。

 指に触れることはかなわなかった。


 それはカインのせいではない。

 体勢を保つのが難しいくらい、轟々と地響きを立てて地面が揺れたせいだ。


「な、なんだ!? リリ、あれを見ろ!」


「え……」



 アデルが指さす方に振り向き、私は息を飲んだ。



「……ありえない。なんで。……パンデモニウムが」



 私の無力な呟きは、地面が裂かれる音で掻き消された。


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