2ー9:
先程まで感じていなかった魔の気配が強くなる。
一匹どころではない。群れである。
獣型モンスターのヘルハウンドは群れて行動し、仲間が攻撃を受ければ容赦なく報復する。 その性質を忘れていた。
異変を感じたのか、アデルも強ばらせた顔をこちらに向けた。
恐怖で全身が震える。
自分は今、何も手立てがない。カインの袖に縋りつく。
彼はじっと佇んだまま、息を殺し耳を澄ませている。取り乱すことなく、どこまでも冷静。冷たい空気が彼の周りを包んでいた。
彼の両耳に下がっている水晶のピアスが青白く光を放ち始めた。
獣の唸り声が聞こえ、重なっていく。
駆けてきた群れが草むらから一匹、また一匹と飛び出して、牙を剥き出しにした獣の面が迫る。
「……っ、あっ」
緊張が走り、息を飲む。
「氷霰弾」
カインが佇んだまま、そう呟いた瞬間だった。
鋭利な氷の矢が空中に現れ、獣の胴を串刺しにした。
飛びかかってきた獣は勢いを失くし、撃ち落とされた鳥のようにバタバタと地面に墜落していく。
詠唱と共に、腕で空を薙ぎ払った刹那の出来事。
反応速度、攻撃範囲、威力。どれをとっても最上級。
貫かれた獣の胴体は氷の矢に触れたところから凍結し始め、目の前には氷漬けにされた獣の死骸が八匹分積み上がった。
まるで手品だ。戦闘ではない。
それだけ華麗で幻想的であった。
カインからは焦燥も感じなければ、闘志も見られなかった。ただ冷たい眼差しを向け、羽虫を叩き落とすような仕草にしか見えなかった。
「これで、もう大丈夫なはずだよ。群をまるごと打ちのめした」
今度は氷解したように笑顔を向けてくるので、背筋が寒くなった。
カインの持つ二面性は作者自身が想像するよりもずっと恐ろしいものだった。
「さて、」
呆然としているアデルと私を残し、カインは氷漬けになった獣の前に進み出る。
先ほどまで動いてきたモンスターが彫刻のように固まっている。そこだけときが止まってしまったかのようだ。
「王都に戻る前にやることがある」
そう言いながら、カインは一番最初に襲いかかってきた獣の鼻先に触れた。
指先から圧力の魔術が放たれたのか、点で触れたところから亀裂が走った。氷漬けの獣は崩れ去ってしまいそうなほどに脆い。キシキシと不評和音を立て、まだ原型は保っている。
「なにをするの……?」
私の問いかけにカインはすぐに答えず、もったいぶるように間を取った。
「こいつらを根絶やしにするのさ。さぁ、リリちゃん。君の大切なアデルくんを襲った、こいつとその仲間達でたちを消炭にしてやるんだ」
カインの瞳は黒で塗りつぶされたように光を失っていた。どこまでも続く闇のような暗さ。
「こいつは君の大切なアデルくんを脅かしたんだろう? その罰として、君の自らの手を下してみなよ。僕がこの手で粉々にしてしまう前に」
「え」
戸惑う私の手を引き、その手に魔法のペンデュラムを握らせてきた。石は光らない。私の魔力はとうに尽きている。
「あ、私……」
「魔力がないの」と、言う前にカインが察した。
「ああ、ごめんね。魔力不足だったか。……失礼」
ひと言断られると、慣れた手つきで背後に腕を回される。
「きゃっ」
「……っ!」
突然背中から抱きすくめられたことに驚き、アデルは言葉にならない声を漏らした。
「リリちゃんのアデルくん、悪いけどリリちゃんを借りるね」
許可伺いではなく、報告だった。
カインの指先が形を確かめるように顔に触れた。氷のように冷たい指が、欲望の在り処を探っているようで背徳感を覚える。
アデルが私を見ている。それだけが気がかりだった。
信じられない。
そう言いたげな顔で。
アデルの顔は火がついたように赤くなり、歪んでいった。羞恥か怒りか。どちらなのかはわからない。
なんだか生暖かいと感じた頃には、私の耳たぶをカインが口に含んでいた。
舌なめずりする音が脳にぞぞぞと響き、心臓が跳ねる。慣れない感覚はすぐに心地よさに変わってしまった。
今だけは自分の煩悩を殴りたくなり、憤りが増す。
「さぁ、君の全てを僕に委ねて」
艶のある声。それでいて心地よく、癒される甘い声が脳内に響く。
ああ、これが、オリジナルキャラの推し声によるASMRか……。
画面の向こう側でゲームでもしているような錯覚を覚える。
いや、違う。これは今、目の前に実現している世界の出来事だ。
必死で自分の意識を引き戻す。
「君の力はそんなものじゃないはずだよ。黒い影を見ることができる君なら……」
甘い声が意味深なことを語る。
「リリッ!」
アデルの声。
こんなに近くにいるのに、遠くから微かに聞こえてくるようだった。
体の芯が燃えるように熱い。
早くなる鼓動に視界が揺らぎ、目眩を覚えた。
熱さに違和感を覚え左胸を見ると、カインが手を添えていた。鼓動が早くなったのは彼のせいだ。それだけじゃない、枯渇していた体に魔力が満ちつつある。
彼だ。カインが私に触れたからだ。
アデルに触れられた時とは違う興奮と熱が全身を支配する。体の奥で、この力を解き放ちたいと強大な魔力が渦を巻いている。
自分にも、こんな力があったのか……!?
魔力の渦に飲み込まれるのではないかと錯覚し、恐怖のあまり手が宙を彷徨った。
縋るようにして手を伸ばせば、差し出されたカインの手を掴んでしまう。
「さぁ、全部さらけ出してよ。君の中に眠る欲望を」
緩く結ばれた手を強く握られた瞬間、掌から力が迸った。
身を焦がすほどの灼熱が、体を、大地を、空を焼き尽くす。
まばゆいほどの光。そして、轟音。
体から熱が抜けていく過程で、目の前に広がる火炎魔術を放っているのは自分なのだと、初めて気づいた。
なぜ? 自分の魔力は底を尽きたのに。
その理由はすぐに思い至った。
カインが私の魔力を回復させた?
アデル以外の人間でも回復できるのか。
節操ない女主人公だな。
朦朧とする意識の中で自分にツッコミを入れる。
最初からパートナーにカインを選んでいれば、互いの体を慰め合って互いに魔力を回復するわけで、設定・仕様の範囲内だなと、最後の最後は納得した。
なんとも罪な自作ゲームだ。
頭の中に残る甘美な声の余韻で、まだ体が蕩けてしまっている。
頭に血液が行かず、ボーッとする。
体も力が入らない。
このまま倒れる……。くらりとしたところで、腕に受け止められた。
視界はまだ赤に染まったまま。炎は周囲を根こそぎ焼き尽くすまで消えやしない。
自分の体から完全に解き放たれた後も、轟轟と音を立て燃え続ける。
薄れゆく意識の中、抱き止めてくれた彼が笑う。
最後に見えたのは、恐ろしく冷徹な笑顔と赤に染め上げられた視界。
大地から燃え上がる炎を背負って笑う彼の姿には、何者かを彷彿と連想させた。
──魔王。
不穏にも、その言葉がしっくりときた。




