1ー1:
──時は来たり。ここにいるふたりの冒険者に世界の希望が託された。
──冒険者よ。名を名乗り、誓いを立てよ。
出立の神事を執り行う司祭の厳かな声が場内に響く。それを合図に男女の冒険者が司祭の前に歩み出る。
「剣闘士アデル。神に許されし楽園のためにこの剣を捧ぐ」
隣の剣闘士が前に進み出て、決まり文句の宣誓をした。
これは自作ゲームのワンシーン。デバック作業で幾度となく目にしたものだ。
でも、何かが変だ。
画面越しで見ているはずの司祭と剣闘士のやり取りが私の目の前で繰り広げられていた。
疲れているのかな?
疲れすぎて、ゲームの世界をリアルに感じているだけか。
それにしても、没入しすぎだろう。
エナドリでも飲んで、気持ちを切り替えようと思ったところで、私(主人公)も誓いを立てるように促された。
……そう言えばこのシーンでプレイヤーが主人公の名前を入力するんだったと思い出し、「魔術士リリ」と名乗った。
パートナーの剣闘士と共に祭壇を降り、教会を退場する。
いくつも尖塔がついた高い屋根、石造りの壁、嵌め込まれたステンドグラスなど、ゲームの世界にしてはリアルだった。
厳かな、教会の分厚い扉が開かれれば、見送りと激励に訪れた村人に囲まれる。
彼らの立体感や血が通った暖かそうな肌色を見て、私は「おや?」と思った。
ゲームなのに、現実味がある。
……そこでやっと、何かがおかしいと確信する。
舞台設定と筋書きからして、ここは自分が創ったゲームの世界で間違いない。
しかし、自分の目の前に広がっているのはゲームの画面──モニターでもなく、VR空間でもなく、AR空間でもない。現実空間なのだ。
建造物はゲームグラフィックではなく本物で、そこにいるモブキャラクターも本物の人間なのである。
と、言うことはつまり──。
「「「ええーーーー!?!?」」」」
──私は、自作ゲームの世界に転生した!?
「うっせぇよ! ばか! 耳元でキンキン声を出すんじゃねぇ!」
驚愕し叫ぶ私の隣りで、剣闘士アデルは眉を吊り上げて怒鳴った。
一瞬思考が停止する。
なんだこれ。何が起こっている?
耳を塞いで渋い顔をしているアデルは黒髪で、中背の青少年だ。
あまり手入れがされていない硬い髪質。肩に届く切りっぱなしの襟足を紐で後ろに結んでいる。長い前髪の間からチラリと覗くネイビーブルーの三白眼が、挑発的に私を見下ろす。それと目が合えばドキリとしてしまう。
線が細いのに鍛え上げられた体躯は、服の上からでも筋肉の隆起が思い描けるくらい美しい。
年齢設定は女主人公と同じ十八歳。少年のようにあどけなさを残す顔と鍛え上げられた逞しい肉体が織り成すアンバランスさに心がくすぐられる。
好みの造形をした人物が現れ、自身の想像力の逞しさに心の中で拍手を送る。
加えて彼の声は中高音で、体の芯に響く。自分好みのイケボ。彼から発せられた怒声で私の体はトゥンクと拍動した。
見た目、声、台詞、はっきり言って私好みのイケボ俺様イケメンキャラだ。
好みのイケメンが「イケボに馬鹿って言わせてみた選手権」にエントリーするような台詞を発するので、私の動悸がさらに激しくなる。
(私的に、王道の)俺様ツンデレ系のアデルにこんなこと言わせたつもりはない。明らかに(私が書いた)シナリオにはない台詞。
それが、推し声優の声で発せられるのだから、罵り言葉だとしても涎もののご褒美でしかない。(私的に)
「えっ、ちょ、待って、どういうこと……!?」
「……はぁ? 何さっきからどうした、お前」
私の瞳に星が飛んだ。
好みの声に『お前』呼びされるとそれだけで悶えてしまう。
アデルの顔がひきつっていく。
俺様キャラのアデルが、私の様子に困惑している。
いや、むしろ、「こいつ頭おかしいんじゃねぇのか?」って蔑むような顔をして、見下ろしてくるのである。
推し絵師のキャラデザで描かれた私好みの俺様キャラは雄み抜群で、色気がダダ漏れしている。目尻が下がった切長の瞳で睨まれれば、瞬死する自信がある。
自分の好みをすべて注ぎ込んだ男がついに私の名を発した。
「おい……リリ?」
私の名はリリカ。だからリリ。
今更、「リリカって本名で呼ばれたかったー!」と後悔してたってもう遅い。
「う、う、う」
私は頭を抱える。
視界が滲み、頬に生暖かいものが伝った。ついでに鼻水も垂れてくる。
ついにアデルは言葉を失った。というか、私を置いていって、スタスタ先を歩いている……!?
「ま、まっでぇーーっ!! おいでかないでーー!! アデルぅ!!」
ダミ声も構わず、遠のいていくアデルを早足で追いかけた。
──その時。
「大変だーー! モンスターだ! みんな、教会の中へ」
年配の男性が森の方向から視界に飛び込んできた。
木こりなのだろう。手にしていた斧を投げ捨て、駆け寄ってくると、さっきまで私たちを祝福していた群衆が顔色を変えて教会へ雪崩れ込んでいく。
木こりが走ってきた方角からはモンスターの気配。
鳴き声は徐々に近づいてくる。
私の前を歩いていたアデルは足を止め、身を翻した。
「おっさん! ここは俺たちに任せろ! 出立祝いだ。報酬は要らねぇ。……よーし、リリ! 昼メシ前の仕事といくぞ!」
振り向いたアデルの瞳にはギラギラとした闘志が宿っていた。
聞き覚えがある彼の台詞に落ち着きを取り戻す。「えっ!? 私がゲームの世界に転生!?」の驚いたさっきまでとは対照的だ。
それもその通り。
この展開は私の筋書き通りなのだから。
正直、気持ちと状況の整理はできていない。しかし、目の前の敵を倒さなければ無情にもゲームオーバーになってしまう。それは絶対に避けなければならない。
拳を握りしめ、モンスターが迫ってくる方に向き直る。
「ちゃっとちゃっと、スライム倒して……、って、ええええーー!?」
この世界にきて二度目の悲鳴。それもたった一場面のうちに。
目を疑う。想定していなかったモンスターの姿。
木の葉を揺らし、飛来するワイバーン。
スライム……じゃない。
「……う、そ」
現実を受け入れたくないのか、私の視界の一部は黒い影がかかっていてぼんやりしていた。
目を擦ってもう一度視認する。
何度見てもワイバーンにしか見えない。
スライムが出てくるように実装したはずだったのに──。