一話 空泳ぐ魚と少年の話
クライの相棒こと『ハヤミ ナル』
彼がウワサ憑きになった日のお話。
霧みたいな雨の降る今日この日。オレは親友ことクライとウワサを呼び出す予定だった。
そう、「だった」。アイツが別に事故にあって死んだ―とかではなく、単純にアイツは学校に遅刻し、今は反省文を書かされている最中でオレの目の前にはいないってだけだ。あんなに朝起こしに行ったのに全く起きなくて結果これだから、自業自得と言ってしまえばその通りでしかない。
そういうお前は誰なんだ、と聞かれたらアレなんだけど。オレは高校一年生の陸上部で、名前は『速水 鳴』。ナルって覚えておいてくれたらいいぜ。
「懲りないよなぁ、アイツも。待ってる時間が無駄になる前に進めちまうか。」
今日は雨の日でそのウワサを怪異として呼び出す準備をするには丁度いい機会だった。雨の日を逃してしまうと、次はいつ雨が降るかわからない。つまりはウワサを呼び出すのが遠のくことになる。
呼び出すウワサの名称は「空泳ぐ魚」というものらしい。呼び出すためにはいくつか手順があって、それを順番通り雨の日に進めていくだけでいい、オレにでもできるくらいには簡単な呼び出し方だ。
手順のメモがあるから、それに沿って一つずつこなしていくことにする。
最初は校舎二階の生物室に行き、魚の絵を描いた紙飛行機を飛ばす。生物室は附属中学校にしかないから、そこに行く必要があるんだけど、今向かうべき場所は美術室だ。紙飛行機は折れたとしても、紙に魚の絵を描くことなんて俺には出来やしない。
簡単な絵でもいいなら自分で描いたかもしれないが、どうせ描くなら描き方を知っている人間に本格的に描いてもらおう、というのがオレの意見である。ここで失敗して面倒な手順をもう一度行う真似はしたくない。テストとかも一回で終わらせて、なるべく再試受けたくないだろ?それと一緒さ。
いつも隣の席で、仲良くしてくれている絵の上手な女子生徒(名前は言わない、本人からの要望だ。)に絵を描いてもらった。感謝してもしきれないし、魚の絵は折ることをためらってしまうほど綺麗に描かれていた。そうして出来上がった魚の絵の描かれた紙飛行機は、雨だというのによく飛んだ。まるで泳いでいるかのように、徐々に姿を小さくして、そのままオレの視界から消えていった。
「紙飛行機が魚になった...なんて冗談言わないよな?」
階段を降り学校を出て、次に向かった場所は小さな神社だ。やることはお御籤で凶を引くだけ、と聞けば簡単に思えるかもしれないが...凶が出る確率はなんと大吉が出る確率より低いらしい。しかもきついのは予算内に凶を出さないとまた最初から手順がリセット、という点だ。幸い凶を出しさえすればいいという条件のお陰で、凶以外を出したから紙飛行機のところからリセット、なんてことにはならないのが救いだ。
「そんな時間と金がかからなきゃいいけど、つか一種の賭け事みたいなもんだよなこれって。出るまで引けば当たるなんて言うけど、既にだれか引き当ててるかもうない可能性だってあるんだしなぁ。」
外しに外して、ようやく出たころには雨がさらに強くなっていた。本当にギリギリで引くことができたようで、オレが次に用意しなくてはならないものが丁度買えるくらいの金額が手元に残っていた。
「よく混ぜたのが良くなかったか?それか先に賽銭入れなかったからか?」
どちらも関係ないかもしれないが、丁寧にやってればもう少し早くででたかもしれない。今更どうしようもない若干の後悔とともにソライロラムネを買って飲むために駄菓子屋へ向かう。理由は安いから...という安直な理由も含め、縁側がお菓子を食えるスペースになっているから。和気あいあいとしていて窮屈じゃない、憩いの場っていうのはこういうところを言うんだろうな。うん。
「一本で百円もしないって...どうやって店回してんだろ。駄菓子屋のばぁちゃん、『趣味でやってるからいいの~』って言ってたけどさ。潰れたら潰れたで俺らの場所なくなっちまうからイヤだよなぁ~。」
元気に泡を吹きだす空の色に染まったラムネを一気に飲み、一息つく。時間は大分たって空は赤く染まり始めているのに、雨は降り続けている。狐の嫁入り、っていうんだったか?綺麗だな。温かみを感じる夕暮れの空とは反対に、俺の体はひんやり冷たいままだ。何せ傘がなかったから、雨ざらしの状態で歩いていたので、当然と言えば当然か。早く家に帰って、風呂に入るべきだな…風邪を引いちゃ元も子もねぇもんな。
しかし、最後の手順が残っている以上、やらずに帰るわけにもいかない。駄菓子屋のばぁちゃんが好意で貸してくれた傘をさして、目的地へと向かう。
着いた頃には真っ赤な夕日が水平線に沈みかけていた。ソライロラムネの瓶に、引いた御神籤を結んで中に入れる。そのあと灯台のテラスから投げ込まなくてはならない。暗くなる前に、と思っていたのに。まだまだ日が落ちるのは早いんだなぁ、なんてことを考えながら準備を終えて投げ込む。海の底には、今までにも呼び出そうとした人間たちのラムネ瓶が転がってるんだろうか。
結構な距離を歩き、家に帰って『ただいま』と一言。迎えてくれるような『人間』はいない。恐らくオレにも親というものは存在していたのだろうが、どうにも顔も姿も声さえも思い出せやしない。二年前の春。よく晴れた雨上がり、ふとしたときにずぶ濡れで町に現れた人間、それがオレらしい。しかし、どうにもオレはその話が信じられなかった。
「おかえり。」
この不思議な声は、オレの保護者ともいえる人物の声だ。名前をノクターンというのだが、性別は知らない。したいことを好きなようにさせてくれていて、病気にかかった時、学校のことなどすべての面倒を見てくれている。きっとこの先、オレの親を名乗る人物がいたとしても、オレの『母さん』はノクターンと名乗るこの人だけだ。
風呂に入り晩飯を平らげて、布団に入る。普通は布団に入る段階までにゲームだとかスマホ、あるいはテレビを見たりするんだろうがオレの家にはそういった娯楽はない。家の中にあるものは、学校や友達と連絡を取るためだけに存在している固定電話、食品保存用の冷蔵庫、布団に机、椅子といった最低限生活できるようなものだけである。
「今のままでも十分楽しいけど、気になりはするんだよな...。ゲームとか、スマホとか。」
ちょっとした不満を漏らしつつ、目を閉じる。
寝ているときに夢を見た。空に白い魚が泳いでいるが、子供が大騒ぎしていても誰も見えない、そんなものはないという。...直後、こちらに呼びかけてくる。姿はまだぼやけていて、誰なのかさえ分からない。その子供は慌てて駆け寄ってきて、話しかけてくる。
「なぁ、俺は見たんだ!あの日、空を飛んでた魚を、夢じゃなく現実で見たんだよ、信じてくれ!お前は『夢でも見たんじゃない?』って、否定したりしないよな!?」
...オレは思い出した。少なくとも一度、子供のころにこのウワサに遭遇していること。自分が本当に見たものを信じてもらえず、否定されて悲しかったこと。なら、オレがこの問いに対して答えるべきことはもうすでに決まっている。
「否定しないさ、任せとけ。オレがその話が本当だってことを証明してみせるからさ!」
子供が笑顔で去った頃、目を覚ますとすでに外は明るくなっていた。外を見ても、今のところは何の変化もない。ただ蒼く海のように空が広がり、雲は緩やかな風と共に流されていく。
学校に行くため、必要な準備だけ整えて外へ出る。いつも通りクライを起こすために家まで行って声をかけ、一緒に学校に向かう。
「なぁ、本当に空を泳ぐ魚が現れると思うか?」
少し自信を失いかけていたオレは、クライに問う。返ってきた答えは、オレの期待した言葉そのものだった。
「この町のウワサは...どんなものであってもほとんどが、実際に怪異となって『起きる』んだ。一度でもナルが見たって言うんなら、手順さえ間違えていなければ絶対に現れる。いくつも見てきた僕が言うんだから間違いないよ。」
ほら、空を見てみなよ。言われた通り空を見ると、そこには...魚が宙を泳いでいる。さっき見た空に、ここは海であるのだと言わんばかりに小魚にサメにクジラ...あらゆる魚が自由に泳いでいる。確かに昨日見た夢と同じだ、間違いない。本当に居たんだ、空を泳ぐ魚たちは!
「…昼の十二時、学校の屋上に行くんだ。きっと、ナルにとっていい体験ができるよ。」
「いい体験って、何のことなんだ?」
「それは、君自身の目で確かめることだ。きっと君は素直だから、何があってもなくても屋上へ向かうんだろう?」
少しにやりと笑うクライの顔はいつも通りで、嘘はついていないだろう。ウワサ話に怪異、町に詳しいこいつが言うからには何があっても、なかったとしても行ってみようと思えるんだ。わかった、じゃあお前も一緒な?といい、分かったよと一つ返事でクライは応じた。
学校ではあらゆるところで生徒たちがざわついている。いよいよこの怪異は現実に起きていて、皆の目にも『見えている』ということが分かるとオレは嬉しくなった。屋上に行くための階段は、だいたい大きな怪異が起きた時は決まって先生たちが封鎖している。なのでオレ達は外の階段を上り三階から、点検用に用意されているであろう梯子を勝手に拝借して登った。
屋上、時計の針が十二の位置で揃う頃。大きなクジラはこちらに降りてきてオレに背中に乗れと言わんばかりの位置で待機し始めた。オレがまだ決心がつかず、一歩を踏み出せないでいると、
「上手い言い訳は僕が探しておくから、君は思う存分に空泳ぐ魚と戯れてくるといいよ。」
とクライは言う。
「わかった、じゃあそっちのことは任せたぜ?」
そこからの行動に迷いはひとつもなかった。クジラの背中に飛び乗ると、その大きな体はオレを乗せてふわり、ふわりと浮いていく。そうして町が少し大きめのミニチュアくらいのサイズになると、クジラはゆったりと前へ前へと泳ぎだした。
空はいつもより空気が澄んでいるようで、オレの好んで飲むソライロラムネの香りがした。ゆったりと泳ぐその様は、人に見られていようと怯みも怯えもしない。これが雄大という言葉にふさわしいんだろうなぁと思っていた矢先、クジラの背から滑り落ちた。魚たちは前へ前へと進んでいき、このままではオレだけが置き去りにされてしまう。
「待っ、この高さから落ちたら死ぬ!」
と叫んだ反応はおかしかったんだろうか?体は確かに空にある。しかし姿勢を整えると地面に触れているような感触で、落下していく素振りさえも見せない。もし、今考えていることが『できる』としたら?いや、できるとしたら、じゃない。やるんだ、今ここで、目の前の魚たちに追いつくために!
「位置について...よーい...。」
ドン、雷管の音はもちろん鳴らない。想像するだけ、それだけで十分だった。脚は自然と動く、止まらないで加速する。もっと、もっと速く。トラックに引かれたフィニッシュラインなんてものはない、走り続けるんだ...追いつけるまで!
「逃げるゴールは初めてだぜ、追いついてやるよ!」
―午後二時四十九分、それがゴールことクジラに追いついた時間だった。なぜこんなに正確なのか、その理由は明らか。追いついたのが学校の大きな時計の前だから。久々に息が切れた、脚が震えてじわじわ疲れが込み上げてくる。ただ、そのことよりも、空を走れたという楽しさ、追いつくことができたという嬉しさが勝っていた。
「お前速いな~、この町で俺より速かった奴がいて嬉しかったぜ!」
褒めてやるとグルンと大きく一回転する。こちらの言葉はどうやら通じているようで、投げかけている言葉に対して様々な反応を示してくれているみたいだ。そうして丸一日中町の上空を飛び回り、魚たちと戯れるのは夢のような時間だった。
夜明け前、サラサラと細かい雨が降り出すと魚たちは一斉にとある方向に泳ぎ始めた。大きな目印、灯台のある海に向かって。なんとなく俺にもわかる。もうお別れの時間、ってやつなんだろう。灯台のテラス部分にオレは着地する。体はまるで雪が降るようにふんわりと落下していったから、痛みは勿論ない。雨の日に生物室から飛ばした紙飛行機のように、魚たちと一際大きかったはずのクジラの姿はゆるりとした速さで遠ざかっていく。その背中に向かって叫ぶ。
「また遊ぼうなー!オレはお前のこと忘れねぇから、お前もオレのこと忘れんなよな!また俺と競争したり空から町見渡したりするんだからな!絶対だぜ!」
返事するみたいに、潮吹きをひとつ。細かい雨が朝日で輝く中、空泳ぐ魚のウワサは消えていった。
と、思っていた。丸一日、オレが眠ってこっぴどく先生に怒られた次の日のことだった。
「いる。いや、何でこんなちっちゃいのがここに居るんだよ!?」
手のひらサイズってくらいのクジラがオレのそばを泳いでいる、慌てて家を飛び出して、クライの家に半ば殴り込みにでも来たのか、と言わんばかりに突っ込んでいく。しかし、予想に反してコイツは驚きもせず、まるでそれが当然であるかのようにこういった。
「あぁ、おめでとう。これでキミも晴れてウワサ憑きの仲間入りだ。面倒なことを省いて説明すると、キミはその空泳ぐ魚を、いつでも呼び出せてその能力も自由に行使できる。」
試しに空でも飛んでみれば?と簡単に言う。が、本当に難しいことではなかった。二日前のように空を自由に駆け巡ることができてしまったのだから。
「使いたいときに、念じる。口に出す。思い描く。なんだっていい、それさえできればいつだって好きな時に、好きなように能力を使えるよ。」
ちなみに、キミでその『空泳ぐ魚』のウワサ憑きは二人目だよ。と告げられた。オレ以外にも存在していた事実に驚きが隠せなかった。
「ただ、戦ってみようなんて思わないことだよ。練度が違い過ぎて、ナルじゃ話にならない。手も足も出ないどころか、姿を捉えきることさえ不可能。」
「その辺は言われなくたって自分でよくわかってるっての。ちょっとは遠慮してモノ言ってくれよな...。」
そうしてオレはウワサ憑きになった、というわけだ。退屈だった日常に、大きな変化が現れた。ウワサバナシが現実に起きる不思議な町こと『怪奇町』。
これから起きるさらなる怪異や大事件に、オレは全速力で駆け抜けていく。
...あ、これだけは言わないと。ばぁちゃんに借りた傘はちゃんと返したからな!
彼のほかにも『空泳ぐ魚』のウワサ憑きが存在するよう。
そのことを知っている親友ことクライは何者なのか、
一体だれがナルと同じウワサ憑きなのか...
今後の展開に 乞うご期待。