そしていつか君に100点の告白を
それから数日後、俺は人生で初めて、手作りのクッキーに挑戦した。
そして、今まで心配や迷惑をかけた菜穂の両親とクッキング部の友達へ、お詫びのつもりで配りに行った。俺が手作りのクッキーを持って行くと、みんな「ああ、やっといつもの菜穂ちゃんに戻ったんだ」と、ホッと安心して笑っていた。
「これでよかったの? 清鷹くん。これからもずっと、みんなからは菜穂ちゃんだと思われて」
「そうだなぁ……。俺を菜穂と呼ぶ人の前では、菜穂でいることにするよ。その方が、生きやすそうだし」
「そっか……。自分の居場所は、いくつあってもいいもんね」
「まあ……俺としては、エルーナのそばで水泳ができれば、それでいいけどな」
それさえあれば、俺はいつまでも俺でいられる。
これから何がどう変わっても、自分が井津清鷹であることは、決して忘れない。
*
そして、月日はあっという間にすぎ、想い出がたくさん詰まった夏休みが明けた。
二学期の初日。この日の放課後から、クッキング部のメンバー(女子しかいない)は家庭科室に集まって、10月にやるハロウィンパーティに向けての計画を立てることになった。
「近隣の幼稚園の子たちも招待するらしいから、一緒に招待状作ろっか。菜穂ちゃん」
「うん、一緒にやろっ。かわいいのを作ろうね」
「菜穂ちゃーん。去年の飾り付け、倉庫にたくさんあったよー」
「わぁ。かわいい〜。かわいい飾り付けが、いっぱーい」
「うーん、この辺りは先生に相談しないと……。うぅ……菜穂ちゃん、職員室まで付いてきてくれない?」
「ちょっぴり入りにくいよね、職員室って。いいよ、かわいく一緒に行こっ♪」
クッキング部女子たちは、言わばふわふわした小動物の群れ。
その中で上手くやっていくために、俺は「かわいい」を多様するという戦術を覚えた。最初は少し抵抗があったが、「そのエプロン、かわいいね」「ふふっ、かわいいお菓子っ」みたいに褒めると、大抵はみんな喜んでくれるので、今はすっかり慣れて便利に使っている。
「菜穂ちゃんも、今日は一緒に帰る…?」
「あっ、ごめんね! 今日は友達と会う約束しててっ」
「そっか……。じゃあ、また別の日にね」
「うんっ。誘ってくれてありがとっ。お疲れ様ー。」
本日の活動終了。
クッキング部は、毎日練習があるわけではないので、割とヒマな部活だ。学内や地域でやるクッキングイベントの計画と、その実施が、主な活動となる。全国お菓子バトルもなければ、厳しい先輩や鬼のようなコーチもいない。
「さて、と……」
俺は梨花ちゃん(そばかすメガネ)と珠希ちゃん(小さいおかっぱ)に手を振って、駅へと向かうことにした。
素早く気持ちを切り替えて、電車に乗って、いつものあの場所へ。
*
海。
「お姉さん、細くてキレイだね」
「うるせー。まだそんなに細くねーよ」
「髪もキレイなセミロングで、とっても似合ってるし」
「触んな、バカ。乱れるだろ」
「ねぇ、今からどっか遊びに行かない?」
「行かない。この海で待ち合わせてるんだ。友達と」
「へー、どんな友達?」
「優しくて、かわいくて、一緒にいると楽しくて……最近はちょっとかっこよくもなった、俺の大切な友達」
「わ。……なんか、照れるね」
「お前が聞いてきたんだろ! エルーナっ!」
そいつは似合わねーサングラスを外し、爽やかに笑った。
豊沢エルーナ。女子になった男子の俺とは逆で、男子になった女子。そして、今はまだ……俺の友達。
「最近……かっこよくなってる? 私」
「さあな」
夏休み前とは、たしかに変わった。
ボサボサだった髪や眉毛を整え、さらに体型も少しがっしりしているのだ。そういえば最近、「そばにいる女の子を、"男の戦略"でしっかり守ってあげたくて」とか言って、レスリングを始めたらしい。男だらけで大変な環境だろうけど、こいつは誰よりも努力するやつだから、きっと上手くやれる。
「実は、すっごくかっこいい競泳選手がいてね。あの人みたいになりたくて、見た目からマネをすることにしたの」
「え……!? そうだったのか!?」
「そっちはどう? 最近なんだか美人になった気がするけど、誰か憧れの人でもいるのー?」
「あー。なんだよ、お前もそういう……感じか」
実は、こっそり寄せてた。あの世界的なフルート奏者に。このまま女の人生を歩むなら、あんな風に美しい人を目標にしようと思ったから。
髪型をセミロングにしてるのは、その憧れの人と同じ長さまで伸ばしたいからだ。
「すっかり女の子だね。清鷹くん」
「お前もすっかり男になってるよ。才女のエルーナさん」
菜穂と信朋。普段はそうやって生きてる。
入れ替わってることは、これからもずっと、二人だけの秘密だ。
「練習が終わったら、今日も……菜穂ちゃん家?」
「ああ……いや、それがさ……」
「うん? 何? 問題でもあった?」
「えっと……俺たちが抱き合って寝てること、ママにバレた」
「えっ……!? ヤバっ!」
「ちゃんと説明はしたんだ! 『私たちの欲求を抑えるための、大事なことなの』って! でも、『はいはい。カレシができたら、ママにも紹介してね』って感じで、どう説明しても流されるんだよ」
「まあ、嫌がられてるわけじゃないなら、別に気にしなくていいんじゃない? ねぇ、それなら早く……カレシにしてよ」
「カレシにはしない。カノジョにする」
「それでもいいけど」
「でもさ……お前の採点が、厳しいからっ」
「じゃあ、今だけっ! 点数2倍ボーナス!」
「マジかよっ!? じゃあ……好きだ。エルーナ」
「ぷっ……! あははっ。ごめん、やっぱり再提出」
「あーーー! もういい! 泳いでくるっ! クロールで往復10本、ガンガン泳ぎまくってやるっ!!」
「ふふっ……。できないくせに」
今日も泳げない。エルーナとは付き合えない。
失敗ばかり。できないことばかり。
でも、明日もきっと挑戦する。
挑戦を続けるのはアスリートだから? 違う。好きだからだ。