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12‐4忌屋

 妹姫、その言葉一つで、清澄な朝の空気は一変した。

 寒田男たちの顔色も変わる。

 多勢に詰め寄られるのは、純粋に恐怖だった。両の足に動くな震えるなと命じる。

 焦ってはならない。下手に動けば、暴虐の口実を与えることとなる。けれど、遅すぎれば、取り返しがつかない。


「誰ぞ、案内してくれぬか」。


 誰も彼も、応えない。


「お前の妻か、妹か、娘か。妹姫は何処」


 里は静まり返っていたが、息を殺した静寂だった。寒田男だけでなく、屋内から寒田女も様子を窺っているのを感じ取っていた。


「──誰ぞ!」

 誰ぞ、誰ぞ、誰ぞ!


 怒気を孕んだ声と共に、安是女の証である光を放つ。加えて、風が赤黒毛を逆立たせた。

 男らは善良なる里人だ。家族を愛し、寒田女を庇い、里を守る。同時に卑小であることを知っている。小色――末娘を、疎み、蔑み、邪険にしてきた。

 妹姫がいない、そんなはずはない。寒田の兄による数々の狼藉、小色の言動、燈吾の病。妹姫が現れたからこそ自分はオクダリサマとなり、山姫の力を受け継いだ――狂女(オクルイ)となるを引き換えに。

 寒田に降り立ち、感覚は研ぎ澄まされ、昂っている。隠し立てしたとて無意味。彼らが黙っているのなら──

 寒田男たちがにじり寄り、緊張が弾けるその刹那。


「――承知した」


 低い声音で発し、寒田長である宏南に視線を合わせる。そして、宣言した。  



「寒田に妹姫はおらぬ。承知した!」



 解き放った光の勢いを弱める。かすみの周囲を暗紫紅に霞ませる程度に淡く。そうして、微笑みかけた。あたう限り、柔らかく、あたたかく、親しみ深く、そして一言一句はっきりと。


妹姫が目覚めるなど(・・・・・・・・・)杞憂であったな(・・・・・・・)。安是と寒田の間にそのような憂いがあるはずない」


 同意を求めるように小首を傾げる。

 宏南は当惑していた、他の寒田男と同様に。

 寒田での目的は三つ。

 燈吾の身の安全の確保、妹姫の討伐、そして安是と寒田との和合。最後は、できる限り、という但し書きが付くが。

 なれど、妹姫の討伐と、安是と寒田の和合は相反する。燈吾の身を寒田に預けた手前、寒田とこじらせたくはない。しかれど燈吾を〈妹の力〉から解き放つためには、妹姫の討伐は必須。

 討伐という事実を覆い隠すために、彼らの弱さ、卑小さ、狡さを利用する。いや、利用というよりもむしろ期待であり、懇願だった。どうか――


「芳野嫗には、寒田には妹姫はいないと報告しておく」


 当然よな、と言い添えれば、寒田長は呆然としながらも、視線を返してくる。


「地揺れの検分は勝手にやらせてもらう。皆忙しかろう、案内は不要」

「だが、」

「煩わせるのは本意ではない、時間を決め置こう」


 太陽は山の端から完全に顔を覗かせ、空気をぬくめていた。かすみはその経路を指先で辿り真上で留める――太陽が中天に昇るまで。 


「余計なことはせぬ。用を済ますだけ」


 オクダリサマ、という躊躇いがちな呼び掛けが誰の口からか漏れた。一瞬、顔が強張るが、ゆっくりと首を横に振り、微笑んでみせた。


「……私は安是のかすのみ。オクダリサマはくだらない」


 なぜなら、妹姫はいないから(・・・・・)

 ゆえに、討伐はなされない。

 安是と寒田の関係はこじれない。せめて、建前上の和合は成る――たった一つ目を瞑るなら。

 かすみは寒田男らを眺めた。この中に、妹姫の身内はいないと思われた。いたならば、もっと殺気立っているだろう。ならば、付け入るのは無理ではないはず。

 宏南はかすみの言に異を唱えない。寒田長にとって悪い話ではないはず。正午(ひる)まで見て見ぬふりをしてくれるのならば、上出来だ。

 里の外れを見やる。自分と燈吾がやってきた黒山とは真反対の里の際。そこに小屋が建っているはずで、今の自分──オクダリサマとなった──には、わからないはずのことがわかっていた。

 残された、たった一枚の手札を寒田人らにかざして歩き出す。

 それはオクダリサマや山姫、黒山の排泄口としての力ではない。ただの何も持たない、かすのみのふり。




 寒田人の視線を受けながら進む。視線は石礫か銃弾に成り代わる可能性もあったが、里の目抜きを堂々と歩いた

 気分は悪くなかった。山中で惑わされた狂女の幻視も収まり、明瞭だ。軽く空腹も感じていたが、動くには快いぐらい。寒田に入る直前の奇妙な腹痛も絶えている。疲労のあまり夢でも見たのだろう──少なくとも、そう思わねば。

 一点を目指して西へ往く――降り注ぐ朝陽に背を押され、体に押し込めた暗紫紅の光が血となり手足を動かす。

 燈吾、あともう少し――上手くやってみせる。あんたを失望させない。

 脚が急くのに注意した。走ってはならないとわかっていながら。あくまで地揺れの被害の検分、建前は必要だ。

 別れ際、燈吾から背に落とされたものを取り出す。硬い感触は予想した通りで、以前に燐を介して渡した護身用の小刀だった。

 お守り代わりに懐へ仕舞い込もうとして、ふと鞘をずらして刀身を見る。小刀とはいえ、抜刀を見られては寒田人に警戒されるため、黒打掛の袖に隠しながら。

 我知らず眉を顰めた。少量ではあるが刃に血糊が付いている。自分が渡した時にはなかったはず。

 もしや、この小刀自体が、燈吾を危険に晒したのだろうか。やり場のない怒りに、昂りそうな気を静める。

 安是と同様、裂けた地面を越え、ぬかるむ土を踏み散らし、潰れた家屋や崩れた壁を足早に追い抜く。

 待ってて、もうすぐ――半時ほど歩き、西外れの小屋が見えてくる。他の家屋とは連なっておらず、ぽつねんと孤立していた。


 あすこに妹姫がいる。


 なぜわかるのかは説明しようがなく、絶対的な直感であり、吸い寄せられる。気狂いの第一歩なのかもしれず、疾く、疾く、疾くと、気が逸る。焦るあまり、飢餓感すら覚えた。

 小屋は、古く粗末な造りで、地揺れに耐えたのは、妹姫の妖力でも働いたのか。

 もしも、たった一つの犠牲で、和合を成せたならば、褒めてくれるでしょう。もしも狂い堕ちてしまっても――


 錠も心張り棒もなく、正面の戸はやすやすと開いた。

 生家の祖父母宅よりも狭く、ごく普通の家屋とは印象を異にする。小さく、裏腹に、がらんどう。常の住居というより、仮宿、あるいは特定の目的のための小屋に感じられた。

 朝だというのに影が濃く、じわりと湿り気を帯び、どこかしら生臭く、空気は澱んでいる。それは生家や二輔の茅屋と似通っていた。

 小刀を抜き、閉められた襖を開け放ち、薄暗い室内に踏み込んだ。

 囲炉裏の奥の壁際に女が俯き、蹲っている。全身に武者震いが走る。ゆるく束ねた黒髪で顔が隠れているが、まさしくこの女こそが――



 ゔああ、あー、あー、あああ、おあああー、うあ、ああ、ぎぃあ、おあ、おあ、おあう゛



 唐突に響いた獣の唸りに、小刀を取り落としそうになった。妹姫には〈寒田の兄〉が添うているのは当然としても、獣まで従えているとは予想していなかった。

 妹姫にも〈寒田の兄〉にも負けはしまいという自負がある。なれど、獣と戦う術があるかといえば、否。焦って周囲を見回すが。

  

  ねんねんころり、ねんころよ

   ねんねしないと、いもひめになる

  ねんねんころり、ねんころよ

   ねんねしないと、おくだりがくる

  ねんねんころり、ねんころよ

   ねんねしないと、おやまへかえる

   ねんころ、ねんころ、ねんころろ…… 


 獣の唸りの背後で、か細い唄が紡がれた。


「よしよし、起きてしまったね」


 声の主は女だ。唄を口ずさんでいたのも。女は懐を覗き込み、ああ、濡れているとひとりごちる。


「たくさん出たねえ、替えてやろう。干してあるものが乾いてるはず、取ってもらえませんか?」


 出し抜けにひとりごとは脇道へ逸れて、自分へと向かってきた。女は指先で方向を示すが、北側の引き戸に突き当たるばかり。数瞬遅れて、女が外を指しているのだと気付く。

 女は懐に抱いていたそれ(・・)を部屋の隅に広げてあった筵の上に寝かせ、巻かれていた白布を剥がす。突っ立ったままのかすみに、風邪をひかせてしまうから早くと急かしながら。

 引き戸を開ければ、そこは濡れ縁で、庭には物干し台があり、つぎあてがされた白布が数枚風に揺れていた。

 濡れ縁から降りて一枚取り、屋内に戻る際、先刻は土足で踏み込んだくせに思わず履物を脱いでしまう。

 女は白布を受け取ると、今度は剥がした白布を入れ替わりに渡してきて、濡れ縁の(たらい)に入れるよう言った。言う通りにして戻れば、女はすでにそれ(・・)襁褓(むつき)を替え終わり、胸に抱いてあやしている。


 ……赤子。


 ある意味、獣以上の存在だった。想像すらしなかったものと遭遇し、狼狽える。どうして、なぜ、こんなところに。

 だが、冷静になれば何もおかしくはない。遅ればせながら気付くが、ここは産屋――すなわち忌屋だ。

 血は穢れ、穢れをともなう月水(つきのさわり)や出産の時を過ごすため共用で使われる小屋。時々の女たちは、不浄の火を混ぜないようにと厳しい別火が定められていた。

 だが、安是ではその習慣は途絶えて久しく、すでに忌屋は無い。里で唯一の取り上げ婆の一葉や、おしらの方、芳野嫗などの歴代の〈白木の屋形〉の巫女の意向があったのだろう。


「助かりました。オクダリサマ――いえ、安是のかすみ(・・・)様」


 なぜ、名を知られているのか。

 女を見据える。ようよう上げられた面を拝むが、取り立てて特徴はない。長い黒髪を項でまとめ、目の下に青白い隈を浮かせている。簡素な着物に、着古して薄くなった綿入れを羽織っていた。かすみよりいくつか歳上か。慣れた手つきで赤子を抱いている様がそう思わせるのかもしれない。


 ……小色。思い付いて得心する。あの寒田娘が妹姫に恋敵の容姿を教えていたに違いなかった。波打つ赤黒毛を結びつけるのは容易なはず。


「あたしは小結(こゆい)。この子の名は教えられないけど、気を悪くしないでくださいね」


 女、小結は赤子の背を軽く叩きながら言う。

 その名は〝小色〟と響きが似ており、縁者かと一瞬思う。だが、こちらの考えを読んだのか彼女は首を横に振り、寒田女の名前のあたまには〝小〟が付けられるのだと説明してきた。


「安是様からのお達しですよ、寒田女とすぐわかるよう。だったら従うしかありません」


 つまりは安是から押しつけられた一種の蔑称なのか。たじろぐが、小結はお構いなしに続ける。妙に歯切れのよい口調で。


「でも、名前になんて大した意味はありません。あたしはあなたを存じ上げていた。そしてあなたもあたしをご存じのはず」


 まじまじと見つめるが、小結の顔には覚えがない。自分は安是の外で暮らした経験がなく、里に出入りがあるのは黒ヒ油を卸す油屋ぐらい。知るはずがなかった。

 小結が何を言っているのかわからない。産後に女が狂うというのは、これもまた遥野郷ではよく聞く話だ。彼女もそのくちなのか。妹姫もまた狂女であるのか。


「……でなけりゃ、あんまりでしょう」


 小結は伏し目がちになり、赤子を撫でる。

 襁褓を替える際に見えたが、赤子は女子のようだった。生まれて一、二月ほどか。頬やら額やら福々しく突っ張っている。小結の顔色とは対照的に。

 そして、せめて見覚えていませんか、と、小結は呟きを落とす。


 ――薄緑色の蛍火を。


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