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2-1姉娘

 かすみは光らない。故に安是の里では女として扱われない。

 けれど、安是の里には光らずとも女として扱われる女が、たった一人いた。


「かすみ、今日はあんたに良い話を持ってきてやったよ」


 黒髪を横流しにした(りん)という女は、里でかすみに気軽に声をかける珍しい人物だった。といっても、親切心からではない。

 昼餉を終え、ほんの束の間の休憩時間。他の者が娘宿でごろりと寝転がっている間、黒ヒョウビを貯蔵倉へ運びにやってきていたところに、燐はふらりとやってきた。

 ふらり、というのは比喩ではなく、彼女は陽が高いというのに酒臭い。

 彼女は、元々、娘宿の姉貴分だった。かすみが娘宿に入った当時、燐は年長組だったが、かすみが十、燐が十八の頃に娘宿を出ている。嫁いだわけではなく、娘宿が気に入らなかっただけで、帰る生家も無かった彼女は里外れのあばらやに勝手に住み始めた。以来、娘宿に属さず、嫁ぎもせず、一人で暮らしている。


「もうすぐ秋祭だろ。相手は見つけたのかい?」


 かすみは首を横に振る。秋祭を共に過ごす男はいない。なにせ、参加しないのだから。

 燐はにんまりと笑って何やら蓋付きの小箱を差し出してきた。彼女が蓋をずらすと、中から鬱金色の粉末が覗く。


「わけてやろうと思ってね。油屋からせしめた光料(こうりょう)さ。こいつは特別な調合をされていて、昼間はわかりにくいけど、夜になればかなり明るく光るんだよ」


 ――これであんたも一人前の女さね。そう言って、燐はちらり衿元をあだっぽくめくってみせる。鎖骨のあたりに粉が塗ってあるのだろう、うすぼんやりと光っていた。

 女が一人、この鄙地でどうやって日々の糧を得てきたのか――燐は里のたった一人の私娼だった。

 安是の里では光らない女は女として扱われない。男は光らない女――自分に気がない女を、自尊心から抱くことはない。

 だから燐は光料と呼ばれる塗粉で身を光らせて男を誘う。もちろん、天然の発光とは一目で違うとわかるのだが、男はあっさりだまされる。だまされる(・・・・・)という体裁が整うからこそ。あるいは、粉を使ってまで売る媚を、男の甲斐性として買うようなものなのか。

 安是では一夫一妻が普通だが、それはそれとして、他の女も味見したくなるものらしい。女は女で小さな嫉妬の火を燻らせるものの、遊女(あそびめ)は格下、燐との火遊びで離縁にまで発展した話は聞いたことがない。


「今ならこの光料、米と酒それぞれ一升で交換してやるよ。なけりゃ着物でもいい。とちの実(・・・・)ぼべら(・・・)は駄目だよ」

「……私はいらない」


 きょとん、とした燐の顔は新鮮だった。蓮っ葉なふりをしている顔が、子どもに戻ったふうで。断られるとは思ってもみなかったのだろう。

 燐との〝交換〟には度々応じてきたが、なにやら怪しげなげなものが多く、実質、娘宿からの盗みを命じられているようなものだった。

 それでも付き合いをやめなかったのは、唯一、里でかすみを蔑ろにしなかったから。それは〝同病相憐れむ〟だったのかもしれない。燐の生家は貧しく、里での序列は最後尾に近い。そんな彼女に、断りを入れるのが心苦しくないわけでもなかった。


「いらないって、あんた」

「必要ないから」

「必要ないって……寂しくないのかい、もうすぐ秋祭なんだよ」


 なぜだか狼狽したふうな燐に、首を横に振った。

 もちろん、寂しい。

 逢瀬の短い夜を除けば、かすみはひとりだ。祝福される関係ではなく、隠し続けなくてはならない。隠せていると思っているのは当事者だけである、駒と若衆頭の恋が妬ましい。一年前より、ずっと寂しく、夜明けの冷たさが染み入る。

 なれど他の誰かのぬくもりを求めるはずがない。欲しいのはただ一人。だからこそ、二人でいるためには、一人でいる強さを持たねばならない――

 そう説明したかった。だが、できるはずもない。


「へえ、そうかい。あんたもあたしを莫迦にするわけだ」


 すぅっと、燐の口調が刃物の鋭さを帯びてゆく。慌てて首を横に振り、


「姉さん、そういうわけじゃ」

「じゃあどういうわけさ。光料を塗って男を誘うなんて浅ましいってんだろ」

「違う、」

「だけど光らなけりゃ女としての価値はない。あたしらみたいな女でも、こうすりゃ可愛がってもらえるんだよ。妻の座に胡座かいてる奥方様よりずっとね」

「姉さん」

「なんだい、せっかく所場をわけてやろうってのにさ。女として見られないよりかずっとましさ。そうやって生きていくしかないんだよ」

「でも姉さん、姉さんだって本当は光料なんていらないはずだ。あの人の前なら――」


 吐き捨てるような燐の言葉に、つい言い返してしまった。次の瞬間、凍り付いた姉娘の表情を見て、後悔する。

 十六、七の娘盛り、燐には好いた里男がいた。しかし男は里長の長女にも見初められ、結局男が秋祭で契ったのは燐ではなかった。

 男は光る女の求愛を退けられない。ゆえに一人の男に二人の女が光をのぼらせた場合、どちらかの女が身を退くのが慣わしだ。大抵は、男の将来を慮かって里での序列が低い女が。そうせざるを得ない状況に追い込まれる。

 燐の場合、身を退いたのか、退かされたのかは知らない。誰に聞いた話でもない。里のそちこちで咲く噂話をつぎはぎした想像なので、事実とは違うのかもしれない。

 けれどかすみは自身の目で見ていた。逢瀬の帰り、夜が明け切らぬ刻限、里の外れのあばらやの前でぼおと立ち尽くす、灰白く輝く幽鬼を。男が揺らす提灯が里の中へと向かうのを見送り、その灯が見えなくなると幽鬼もまた立ちのぼる線香の煙のように儚く消えゆくのを。


 光料ではありえない。思慕を純化した白光(しらびかり)


 恋する男がいるのに、なぜ私娼を生業としているか――そうではない。恋しい男に逢う、ただそれだけのために。


 かすみに生業を勧めたのは、想い人と結ばれぬままに娘宿に居続ける辛さを知っているからか、恋を知らぬ〝かすのみ〟でも誰かと肌を合わせれば凍え死ぬことはないと考えたのか。なんにせよ、米や酒との交換だけではないと思う。

 言葉途中で口を閉ざしたかすみの頬に平手が飛んだ。はずみで光料の容器が落ち、粉が地面にこぼれる。

 燐はしゃがみ込み、まがい粉を掻き集め、砂混じりになったそれを容器に戻す。


「かすのみに……何がわかるっていうんだ」


 燐は立ち上がると、怨みのこもった一瞥と呟きを残し、光料を抱いて足早に去った。


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