表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/79

11-9 黄泉路

 老爺は斧を下ろしたまま、茫洋とした眼差しを美舟に向けていた。雨が炎に熱され、白い蒸気となり、老爺を包む。

 

 どうして、などと問うのはあまりに野暮であろう。二輔は寧の仇をとったのだ。

 そのきっかけを与えたのは他ならぬかすみ自身だった。

 地下牢で芳野嫗が偽物だと告げたゆえ。

 寧の死の直接の原因ではない。黒沼のめくるめく幻視の万華鏡は、座敷牢に入れられた阿古と怯え混乱した寧を映し出していた。だが、安是の悪夢を〈白木の屋形〉に引き入れたのは美舟だ。二輔は断片からその結論に辿り着いた。

 修羅を燃やした炎や阿古の火柱に比べ、美舟から噴き出た鮮血は勢いも量もささやかだった。しかし、背中に突き立てられた斧はあまりに深い。地面に縫い止められたようにも見える。

 だが、なお、生きていた。震える腕を伸ばし、俯せとなっていた顔をわずかに上げる。その口元が、あく、あく、と動いた。


 あく、あく。あく、あく。あく、あく。喘ぎは言葉にならない。ごぼり溢れた血泡が口を塞ぐ。


 芳野嫗、と男の叫びが響き渡る。

 中年男が持ち場を離れて駆け寄ってきた。だが、遅い。どうしたって、この老女の姿をした女は死ぬ。


 ――どうして。


 嫗、嫗と取り縋る男と、あく、あくとなおも口を動かす女を眺めて絶望的に思う。


 ――どうして、美舟と呼んでやらないのか。


 かすみには死にかけの女が(こいねが)うものが手に取るようにわかった。なれど川慈は理解できない、思いもよらない。男が求めるのはあくまで芳野嫗たる庇護者、指導者、母なる者。

 業火に焼かれながら生き、欺き、護り、尽くした。すべては愛しい男のため。残ったのは骨と皮と、光と恋。その鬱金色の光すら末期の灯火を燃やそうとしていた。


 ――せめて、名を。


 叫びそうになった。説明のつかない情動が膨れ上がりそうになりおののいた。死にゆく者へ、せめての餞を、憐れみを施そうというのか。

 芳野嫗であろうが、美舟であろうが、怨みも憎しみも消えぬ、身の内も外も傷つけられてきた、侵され、膿み、未だ感情は煮え滾っている。なれど。

 ぐっと唇を噛み締め、傍らの夫を支えてその実頼みにして、怺えた。怺えねばならぬことに屈辱を感じながら。

 そして鬱金の光が一つしなったかと思えば、再び小柄な女の背に沈み、消える。二度と光らない。

 皮肉か、必然か。安是の女指導者と、安是の悪夢は、ほぼ同時に事切れた。

 ワカオクサマ、との呼び掛けに呆然とした意識を向ける。自分を〝ワカオクサマ〟と呼ぶ者は一人しかいない。


「……海は諦めましたさあ」 


 焔の勢いが弱まり、顔の翳りが消えて今度は表情が読める。

 悲嘆か、憤りか、いっそ虚無か――だが、二輔のそれは想像していたものとは違った。どこか清々しさすら感じられる、泣き笑いのような。血塗れの斧を、美舟の背を踏みつけにしてぞんざいに引き抜きながら。


「わっしは骨の髄まで安是の男。情けねえこってす」


 情けないと言いながら、彼は晴れ晴れと斧を肩に担ぐ。


「ワカオクサマは、おゆきなされ」


 ――遠くへ。


 傾いた身が哀切を誘うといえば、かすみのみ風情に同情されたと憤るだろうか。同時に二輔は満ち足りているようにも見え、妙な話だが羨ましくも思えた。



 そして、小柄な吊り合いの悪い身にあめあられの銃弾が撃ち込まれた。



 咄嗟、燈吾に覆い被さる。薄っぺらな肉壁はさほどの盾にはなるまいが。襲撃の音が止み、素早く身を起こして立ち上がるが、遅かった。

 猟銃やら鉈やら武器を構えた安是男らはすでに二輔から狙いを変えていた。

 男が寄ってくる。美舟を喪い、こぼれ落ちてきたその職務の受け皿たる者。

 川慈は沈痛な面持ちながら、すでに意気を立ち直らせていた。いや、職務にこそ支えられているというべきか。ひどく憎憎しく思われ、皮肉を吐き出す。


「二輔は殺すべきじゃなかった。あれは〈白木の屋形〉の生き字引き。知るところは多かったはず」


 黒山は女捨ての里。忌まわしき事実を隠すために一部にしか伝わっていなかった安是の昔語りは、さらにおぼろに霞み、人の思惑も混ざり込み、濁るだろう。隠された過去から将来は見えず、要らぬ犠牲を生む。


「衆目で芳野嫗を殺し、生かしておけるはずがない」


 低いが断固とした口調だった。その開き直ったふうがますます癇に障る。

 かすみが〈白木の屋形〉で暮らしたのは十日と少し。小色がいなくなってから――追い出してからは、二輔が日常の世話を一手に引き受けていた。川慈も世話になっていたものを。

 いや、この自身の情動はおかしかった。二輔も川慈も仲間ではなく、腹を立てる筋合いはない。だが、気に喰わない。あるいは女としての苛立ちだったのか。それこそ筋違いだと十二分に承知していたが。


「もう(おさ)気取り? あんたに安是が治められるはずがない」

「……芳野嫗の跡目だ。誰かがやらねばならんというのなら」


 仕方が無い、と言わんばかりの口ぶり。 

 芳野嫗の跡目を継ぐというのなら、かすみと燈吾は格好の贄となろう。仕方なく(・・・・)、川慈は猟銃を構える。都合の良い話だ。


「阿古を(たお)し、美舟を喪い、二輔を殺して……あんたはこの世の春を迎えたわけね」


 嫌味に、川慈はお前に何がわかると吐き捨てる。

 中年男は悲壮な面をしていた。そもそも、笑みなど見た記憶はないが。常に深刻ぶって眉根を寄せて苦虫噛み潰して。

 雨は激しさを増し、男の顔を満遍なく濡らして、泣いているように見えなくもない。だが、同情する気にも、従う気にも、ましてや命乞いする気にもなれなかった。

 傲然と顎を上げて睨め付ける。だが、猟銃を突き付けられ絶体絶命なのは違いない。燈吾を護り、生き延び、解き放たなくてはならない――狂い切る前に。阿古はくわだて通りに死んだ。もうなんの後ろ盾はない。

 雨が頬から(おとがい)を伝い、滴となって落ちたその時。


 ――読め、と囁きが聴こえた。相手の(ねが)うところを。自分が腕を回して支える夫その人から。


 ――最たる弱味を突け。お前ならできようぞ。我が妻ならばこそ。


 それは殺し文句だった。我が妻ならばこそ。

 覗き込めば、燈吾は蒼褪めた面に笑みを浮かべていた。こんな場所、こんな状況、こんな具合で、人の悪い笑みを。派手にやれ、とまで嘯いて。

 そう、己に残された手札は、畢竟あと一枚。燈吾には見透かされている。


 火のごとく ひかり輝く かすみ燃ゆ 我いざないて 妻とせん


 秋祭の夜、里の賑わいを逃れて、森閑とした黒沼で出会った物の怪。背の君、あんたがそう言うのなら。


 ……最初は燐寸(マッチ)ほどの可愛らしいものだったのに。今じゃ大火事、都の大火も敵わんな。


 あんたがそう言ったから。あんたがそう言ったなら。


 かつて、ぽぅっと喉から胸のあたりにかけてともった暗紫紅の初光、燐寸の灯火のかそけき輝き。それが今では夏の蔓草めいて旺盛に、野火より速く、腕に脚に赤黒髪に、全身をしとど光り濡らす。良人が繕うた黒打掛では隠すどころか、燃え煽る。

 そして光は自身の身体に留まらない。抱いた夫も、取り囲む寒田男も、地面に伏した無数の亡骸も、広がりうねり波打つ暗紫紅の光が呑み込む。

 安是女の思慕の光。駒の満作色、叶の藤色、美舟の鬱金よりも、激しく、色濃く、華々しく。燈吾が望むならば、阿古の神火をも超えてみしょう。

 かすみを中軸として、暗紫紅の光は渦巻き燃え広がる。里へ、黒山へ、遥野郷一円、いやもっともっともっと遥か遠くへ――


「なんのつもりだ」


 光など見慣れているはずの安是男らに動揺が走る。さもありなん、男らが閨で見る光とは規模が、格が違う。男におもねるための光ではない。光らぬ娘、かすのみの情炎。

 川慈は皆を落ち着けようと声を荒げ、汚らわしいと言わんばかりに暗紫紅の光を振り払おうとするが、当然、効果はない。その挙動こそが、川慈の狼狽を示していた。憐れな男に静かに告げる。


新都(にいと)を焼く」


 は、と。かすみの言に安是男どもの息が漏れる。

 意味がわからない、意味がない、こいつは狂っているのかというように。慕情の光に熱はなく、焼くといっても、光のみ。なれど。


「新都を焼き、(あまね)東国(あずまこく)全土へ知らしめる」


 それが何を意味するか理解できない愚か者ならば、これ以上の交渉は望めないが。


「それは、」


 安是は隠れ里、かつての覇権争いに負け、現帝の流れからは朝敵とされている。もしもこの光を辿って、新都から討手が遣わされたのなら。

 かろうじて川慈は思い至ったようだ――里を人質にとられ、恫喝されているのだと。

 川慈が真実、芳野嫗を継ぐというのなら、絶対に無下にできないはず。相手が言葉を喪っているうちに、追い打ちを掛ける。


「以前に私が黒山を炎上させたのは覚えているでしょう。私は光り燃やす、新都まで届かせる」


 暗紫紅の波、うねり、飛沫。あまりに壮麗、絢爛、絶佳の地獄絵図を男共の脳裏に思い描かせる。実際のところ、新都まで届かせられるはずもない。しかし、要は捨て置けないほどの注目を引けば良いのだ。

 そうして、なれど、と続ける。燈吾を支えるのとは反対の腕を上げ、


「私たちを行かせなさい。追ってこないのなら、」


 言葉を切ると同時に、暗紫紅の光が際だって大きく波立ち、沈み、そして平らかになる。


 ――夜明けまでに光を鎮める。


 どよめきが終わらぬうちに腕を下げれば、再び光はかすみを中心に沸き立った。光の粉を吹き上げ、撒き散らし、降り注がせる。


「私を殺したとて光は止まらない。黒山の力を解放したゆえ」


 はったりというより、どうなるかわからなかった。阿古から鑑み、黒山が死なせない(・・・・・)ということは考えられるが、試す気にはなれない。 


「誰も追ってはならぬ」


 睥睨し、宣し、燈吾を支えてぬかるみを踏み出す。

 暗紫紅の光を豪奢な打掛じみて、閃かせ、纏わりつかせ、ひけらかして。暗紫紅の光が近付けば、触れたそばから火傷を負うかのように、安是男らの輪は自然と切れた。

 と、進む背に力ない呟きがぶつけられる。


「……行くあてなど無かろうが」


 まるで婚家の理不尽に耐えかね出て行こうとする妻への台詞で、少し笑えて、それ以上に不愉快だった。

 答える必要は無く、未練も無く、無視して往く。その先が黄泉路に繋がるとしても、暗紫紅の光で照らし出して。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ