表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/79

11-8本懐

 立ち上がり、駆け寄る自分を遮ったのは、怒号と炎と熱だった。


「放て、放て、放てぇ!」


 原木には滑りをよくするため黒蝋が塗り込められていた。そこに安是人によって火矢が放たれる。風雨の中ではあるが、炎は野火のごとく広がり舞い踊る。だが、構ってはいられない。原木の下に、炎の海に、安是の憎しみの渦中に燈吾がいるのだ。火の手が弱い箇所から折り重なった原木の隙間を覗き込むが、燈吾の気配は辿れない。


「絶対に目を離すな、阿古はオクルイ、人あらざる化け物ぞ。這い出おったら、斧を振り下ろし、手足を断ち切れ、頭蓋をかち割れ、火を絶やすな、骨の随まで燃やし尽くせ!」


 原木の山に取り縋る自分の足を何かが引っ張る。

 川慈か――振り払おうとしてほんの刹那目をやった。足首には白銀の糸が絡みつき、小色の罠による疵痕に白蛭が潜り込もうとしている。な、と一瞬混乱に陥った。痛みはない。むしろ和らぐ。阿古の銃創を埋めた蛭。嫌悪はあるが受け入れるべきかと、一瞬思考が止まった。


「二波、開門!」


 ――開門、開門、開門、開門、開門開門開門開門!


 二波――この流れは事前に聞かされていない。つまりはそういうことなのだ。所詮はかすのみ、と。


 重なり合う響きには、ひとつの生物じみたうねりが感じられた。

 駄目押しの二波が来る。原木と原木の隙間の虚に、白銀糸の尾が見え隠れした――あたしが、生きている間だけ。阿古。

 燈吾が助かるなら、自分の生は無駄遣いできない。原木の山から離れて飛び伏せた。

 轟音と共に再び原木が雪崩れ落ち、次々と巨大な焚き火へと自らを(なげう)つ。火の粉を吹き上がらせ、視界を遮り、さながら黄金滝の逆流れ。一瞬、二波の原木で圧し消されたかに思われた炎は再び燃え盛り、壁となって立ち上がる。


「燈吾、返事をして、燈吾!」


 炎熱に向かって叫ぶが応答はない。ぞっとしたその時。原木が重なった隙間、その虚から青白の鬼火がふらりさまよい出る。

 弱々しい。なれど、生きている。

 歓喜と憂慮が交じった声音で繰り返し名を呼んだ。暗紫紅の光は押さえようなく燃え立つ。暗がりから白い指先が覗く。いや、あまりに華奢過ぎる。歓喜が虚しさに変わろうとした時、気付く、白い紐だ。阿古の白蛭が縒り合わさったそれ。

 燈吾が寒田の男――小平太の首を締めたものと同一だろう。白紐はかすみに向かって這い寄ってくる。手に取り、力の限り曳き寄せた。虚の中で白蛭が触手めいて蠢くのが見える。落ちてくる原木を支え、一方では押し退けようとしているのだ。

 表立っては安是人らと阿古を斃そうとして、裏では阿古の分身たる白蛭と夫を助け出そうとしている。支離滅裂だが、なりふり構っていられない。

 全力を込め、なれど神経を張り詰めて曳く――と、白い塊が奥から垣間見えた。近付くにつれ明らかになる。何重にも糸を巻かれた一抱えほどもある繭。

 繭は不思議と焦げ無く、純白のまま曳き出された。

 成人が包まれているにしては少し小さいだろうか、いや、手足を折り曲げているのならこれくらい? それとも──

 恐々と取り縋れば、自然と花開くと同様、縒られていた紐がほどけ、ぼたりぼたり白蛭が溢れ出し、夫に降り注ぐ。最早、嫌悪の情は無い。なんなら、白蛭らには自分の血を吸わせても良い。燈吾が無事ならば……!


 目蓋を下ろし、手足を竦めたままの夫に呼び掛ければ、長い睫毛が震えた。茫洋とした視線が自分と結ばれる。かすみ、と掠れた声が漏れた。

 生きている、胸の内で叫んだ快哉が消えぬ間に、燈吾の右手を取った。多少薄汚れてはいるが、白布で手当してある。夫の右手に白布越しに口づけ、燈吾に肩を貸して立ち上がらせる。

 歩けるかと問えば、燈吾は薄く笑んで頷いた。だが、寄り添う身体は力ない。

 狂乱状態の里人の間をすり抜け、黒山へと向かう。山へ逃げ込み、燈吾の知る道を往けば、おいそれと追ってこれまい――お願い、追ってこないで。


「待て、どこへ行く!」


 放たれた制止の声は無視した。夫を最早引きずって進む。かすみ自身の足の痛みは消えていた。白蛭に癒やされたとは、俄に信じがたかったが。

 お願い、来ないで、放っておいて。なれど無言の願いが聞き入れられるはずなく背後で剣呑な気配が膨れ上がる。走りだそうしたその時。


 轟音が響き渡る――反射的に振り返れば、燃え盛る原木の山をも霞ませる、天衝く真赤の火柱が立ち上がっていた。あるいは天蓋の炎の巨樹か。

 あまりに壮麗、荘厳、壮大な迸り。

 呼応するように雷が暗雲に亀裂を描く。原木の火と煙は火柱の周りを渦巻き、火花が舞い踊る。本来、安是女の光に熱はないはずで、一体どんな力が働いているのかわからない。なれど、直感した――これは、阿古の終焉なのだと。


「……神の火」

 

 連理のごとく腕を絡ませた夫が呟く。言い得て妙だった。赤い災厄、淫蕩の誘い火、安是の悪夢。自身にとって生来の呪い。そんな女の末期に相応しいのかわからねど。

 安是人らは呆然と火柱を見上げている。この混乱に乗じて、逃げ出さねば。と。


 ――是。


 頭の中に響く音がある。


 是。是。是。是。


 阿古が死んだ。オクダリが、オクルイが、山姫が、黒山の排泄口が。


 是、是、是、是、是、是是是是是――


 黒山は阿古の本懐を、死にたがりを許すだろうか。鳴り響くは是認と賛頌。すなわち――


 ――是是是是是是是是是是っ!


 後頭部を殴られたような衝撃に、堪らず膝をついた。

 いや、泥を含んだ濁流が頭蓋に直接流し込まれるような感覚。視界は万華鏡じみて回転し、幾筋もの、色とりどりの光が過る。阿古と折半していた黒山の記憶が一気に襲いかかってくる。正気でいられない、狂う、狂い死ぬ。

 ――あにい様を解き放つと誓ってくださいますか?

 ああ、理解していた、覚悟していた、承知していた。〈白木の屋形〉の茅屋で老爺から話を聞いてとっくに。燈吾を救うために、狂わなくてはならない。奇声を発し、糞尿垂れ流し、手掴み物を喰らう。

 自らの獣じみた絶叫が耳奥に谺す中、かすみ、かすみと声が届く。真夏日に涼風が吹いたように。

 後頭部を自ら殴りつけ、ぶれた頭の舵を取り直す。乱れた赤黒毛を掻き上げるのと口の端から垂れた涎を拭うのを一挙動で済ませた。

 大丈夫か、と問う夫に頷いた。どう見ても狂った所作だったろうが、一瞬の迷いもなく。狂い切っていない、まだ間に合う。だから、急がなけりゃ。

 しかし、次の一歩を踏み出せなかった。二人をぐるり安是人が取り囲んでいたがゆえ。


「どこへと逃げる」

「……用を済ませに行く。急いでいる。通して」


 芳野嫗の面を被った美舟は、火柱を背後にして威厳ある巫女に見えた。今更、燈吾の身の安全の違約を詰ったとて意味はないだろう。


「阿古は死んだわ」


 宣言に、押し殺した、なれど抑えきれない興奮が周囲の男らから沸き起こる。俺たちはやり遂げた、災厄に打ち勝ったのだと。

 女一人に里中の男が寄って集ってと皮肉を含めていたが、誰も気付かない。


「私は黒沼問いを終えている。これがどういう意味かわかるでしょう」

「ならば、なお生かしておけん」


 それはまったく理性的な判断ではなかった。

 美舟は理解しているはずだった。未だ妹姫と〈寒田の兄〉の脅威は消えてない。そもそもの予定通りオクダリサマとしての力を継いだかすみを、安是の指導者ならば囲い込むなり、懐柔するなりすべきだろうに。

 美舟も他の安是人同様、酔っている。いや、狂っている。狂者だ。狂者は妹姫も〈寒田の兄〉も恐れない。狂者とは交渉できない――ぞっとして叫び返す。


「阿古を斃せたのはあんたちだけの力ではない、阿古の希いであったからこそ」

「黙れ、悪夢の娘よ! 禍根を断ってく」


 言は半端に途切れた。そして二度と紡がれない。前触れなく倒れ伏し、美舟を斧で斬り付けた者が姿を顕す。

 徐々に火柱は治りつつあったが、表情は翳ってわからない。なれどその小柄な、傾いた体躯は間違えようがなかった。

 渇いた口から、名が漏れる――二輔、と。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ