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11-7共謀

 遠く、里外れに灯る壮麗な赤光。木々を跳び、家並みを越え、稲田を踏み荒らし、見る間に火球は膨らみゆく。


 美舟の言葉と、黒沼問い後の実感として、〝山姫〟なる人あらざる存在は、いない。ない。

 ただ黒山に溜め込まれた力の排泄口としての座が、部位があるのみ。それは人の身に尻穴があるのとなんら変わらない。その役割を担うには、黒山の力の流れを知るための、黒山の記憶を辿る〝黒沼問い〟が必要だった。そして、その副産物として、人あらざる力を得て、里を守護するオクダリサマとなった。なれど黒山に溜め込まれた力や記憶は膨大であり、善なるものばかりではない。もとより、女捨て、狂女の里。恨み、辛み、怨念、嫉妬、侮蔑、嘲り――濁り、腐った、異臭を放つ感情すらも。耐えきれず、オクダリは狂女(オクルイ)となり、〈白木の屋形〉に閉じ込められる。あるいは――


 おくだりさまは、おやまへかえる


 ――唄の通り、狂って、山へと帰り、行方知れずとなるか。遥野郷に伝わる神隠しの一端であり、阿古はその体現者だった。

 だが、三度、阿古は帰ってきた。かすみの求めにより黒山の是認を得て、ある程度の正気を取り戻し、人でありながら人あらざる力を持って。


 膨らみ広がる赤光を隠すでもなく、豊かな黒髪とともに靡かせ、悠然と歩み寄る。舞い散る燐光は、幾千幾万もの彼岸花が一斉に咲いては散る様。かすみが知るどの光よりも苛烈で、華麗で、神々しい。比肩するとすれば寒田の妹――尼そぎ頭の娘の一世一代の焔ぐらい。その危険性も含めて。

 樹影に身を潜めている里男らが息を呑む気配が伝わってくる。

 阿古はたんなる光濡れる安是女の美しさを凌駕していた。相変わらずの異様な風体だが、背筋を伸ばした姿は逆に堂に入っているよう。女はゆったりとした足取りで歩み寄ってきた。


「阿古」


 呼び掛けたのは、修羅落としの予定位置よりも幾分手前だった。待ち構える安是人らに動揺が走る。だが、無駄に飛び出しては来ない。それだけの分別はあるようだった。阿古は足を止める。


「かあさんと呼んでくれないのかい」


 無言のまま阿古を見据える。挑発に乗ってはならない。

 阿古は、まあいいさと屈託ない。完爾と笑う真白い面に銃創は見当たらない。白蛭が湧き出て埋めた穴。


「あたしを待っていたってことは、心を決めたのかい。


 安是を滅ぼし、母娘二人で黒山を統べる。毎日面白おかしく暮らそうじゃないか」


 ――あたしなら、もっと燈吾を悦ばせられる


 先の言葉でこちらの怒りを買ったのを忘れたかのような親しい口ぶり。

 風雨で束ねていたはずの赤黒毛は乱れて視界を遮る。一方の阿古の黒髪は赤光と舞い踊るように優雅に風と泳いでいた。かすみには容赦なく雨が打ち付けているのに、阿古の面はただつるりと白い。


 ――阿古が一番良かったのは、目と頭だ。


 中年男の言葉を思い出す――あと、賭け事が嫌いだった。ならば必ず阿古の言葉にはくわだてが、行動には意味が潜んでいる。

 今まで、父親が誰なのか、どうして自分が産まれたか、考えなかったわけではない。父母が愛し合った結実であり、いつか迎えにきてくれるのではないかと、夢想したこともある。

 だが、狂女の世話をし、里人の仕打ちを受け、阿古について漏れ聞き、夢はとおの昔にかなぐり棄てた。大方、気狂いなれど見目良い阿古が、さすらううちに犯され、本能のまま戻ったのだろう。己の生に意味などなく、ただ事象の重なりの産物だ思っていた。だが。


「あんたの(のぞ)みを叶える。その代わり、燈吾を助けてほしい」

「あたしと一緒に来るってことかい」


 おいでと言わんばかりに差し伸べられた手に、首を横に振る。


「あんたは本気で黒山を統べるなんて希んじゃいない」


 川慈宅で、佐和の骸の(うろ)から覗いた青鈍の眼。ねっちゃねっちゃ臓物を食む音。とんとん涙袋を叩いた仕草。銃口を誘うそれらを思い出す。

 一方で正気を戻してからの阿古の言行は支離滅裂だった。安是女らを無残に嬲り殺して里人らの恐怖と憎悪を深め、かすみを誘ったかと思えば燈吾に色目を使うような言を吐いて激高させる。だが、それは。


「あんたは死にたがっている。あんたは自分を殺させるために()を産んだ」


 オクダリサマという黒山の排泄口を、人々は里の守護者とした。だが、人の勝手で山の排泄口を棄てられるはずもない。阿古はこの十九年間、死ぬに死ねなかったのではないか。なれど〈白木の屋形〉は空座、譲るべく次代のオクダリサマを自ら用意するしかなかった。有用ならばこそ、阿古はかすみを守る。そしてこの考えが正しいのなら、〝オクダリサマ〟なる座が、阿古すら厭うという代物だと示している。


「くわだて通り、あんたを殺してやる。だから」


 ――燈吾を助けて。


 オクルイに成り果て、里を出奔しておよそ二十年のたくらみ。

 降りしきる雨を挟み、寸暇、沈黙が満ちた。安是人らの気配が遠い。阿古の力か、黒山の作用か、はたまた緊張のせいか、雨の御簾で隔絶されてしまったように。 


 ――取引にならないね、阿古は鼻で笑う。


「仮にあたしが死にたがりだとして、安是人のどいつもこいつも殺気を漲らせているのに、どうしてわざわざ殺してもらう必要がある?」


 それは当然の話だった。取引の材料にはならない。そして自分は取引をするつもりはなかった。


「里人らに阿古が本当は死にたがっていると伝える。もう何年も死に焦がれていると。ならば安是人は――美舟(・・)はあんたがやすやす死ぬのを許さない。あんたを閉じ込め、繋ぎ、生き(ながら)えさせる」

 

 青鈍のまなこがわずかに見開き、呟きが漏れる。


「脅しかい」


 頷きはしなかったが、多少なりと驚かせられたことにほの暗い満足を覚える。

 阿古と相対し、里人の動向に気を払い、檻に入れられ死人のごとく動かない夫に顔は向けねど五感を集中させていた。

 神経は磨り減り、削り取られ、少しでも気を抜けば突っ伏してしまいそう。なれど阿古から視線を外さない。呑まれてはならない。獣の相対だった。

 ふん、と阿古は鼻を鳴らした。けれどうっすら笑みを佩いて。


「……多少、頭を使ったわけかい。おまえがさほど馬鹿でないとはわかった。いいだろう、でも長くはできないよ」 


 ――あたしが生きている間だけ


 こちらの返事も待たず阿古が踏み出す。同時に、下ろされていた分厚い御簾が上がったように、風雨が、音が、里人の気配が、明瞭となる。


 ――開門! 開門! 開門! 開門!


 安是男らの号令が降り注いだ。山の斜面で丸木を堰き止めていた木板の()が開かれる。


 ――開門、開門、開門、開門、開門開門開門開門!


 狂ったような、捨て鉢の号令一下、斉唱だった。祭りや儀式じみた熱に浮かされた。

 下から見上げた原木は、覚悟していたより巨大で重量を予期させ怖気が走る。

 その真下、阿古は真っ直ぐに赤光を立ち上らせ、真正面に立ちはだかっていた。見ようによっては、背後の者を守ろうとするかのごとく。

 ご、ごご、ごごと山肌を磨り潰すような轟音が鳴る。再び、地揺れが起きたのかと錯覚するほど。寄合所に身を寄せていた里人は皆、余震を恐れていた。それが今や自らの力で起こそうとしている。阿古という災厄を滅するために。自分自身が言い出したとはいえ、狂気の沙汰だった。

 原木の波が解き放たれる。里人の怒り憎悪と狂乱と共に。最初こそは緩慢に思えたが、ただ圧倒されて目が頭が心が追いついていないだけかもしれなかった。人の何倍も重量があるはずの巨木が恐ろしい勢いで滑り落ち、空を舞い、迫りくる。


 呑まれる、呑まれてしまう。燈吾――

 死ねない。死なせない。死にたくない。


 阿古に背を向け、燈吾が囚われている檻に向かって走った。案の定、檻は曳かれておらず、打ち捨てられている。足の怪我は意識から追い出し、暗紫紅の焔をたなびかせ、ただひたすら。

 原木が踏み出す先に翳りを落とす――間に合わない。それでも必死に突き進む。

 何かに押されて横に倒れ込んだ。みえなかったが、脳裏に浮かんだのは子どもの手だ。母親を黒沼に突き落とした、小さなそれ。押した重さ分、押され返されたような心地がした。

 ぬかるんだ地面に伏したすぐ脇を原木があめあられと降り注ぐ。隙間から覗いた先に、あのちっぽけな檻は見当たらない。轟音と振動と共に原木が積み重なるのみ。


「――燈吾!」


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